戦前の映画を見た話(亀井文夫作品2点)
見に行った映画とは、上のリンクにある通り、亀井文夫監督作品の「姿なき姿」(1935年・29分)と「支那事変後方記録 上海」(1938年・77分)の二本立てです。映画館に映画を見に行ったなんて何年ぶりだろう。酒井翁とメイド系映画(?)を見に行って以来かも。
場所は京橋のフィルムセンターです。そういや中島らも『なにわのアホぢから』の中のひさうちみちおの漫画で、「京橋で映画を見る」というと、東京ならフィルムセンターに行くことだけど、大阪ではポルノ映画を見る意味になるというネタがありましたな。
閑話休題、先に結論を書けば、二本とも非常に面白く鑑賞し、時間があっという間に過ぎました。もっともそれは、映画としての出来の善し悪しを云々するというよりも、「歴史の史料として」非常に面白かったということなので、映画ファンの方からすれば邪道な感想かも知れません。ただ、史料として見るならば、コマ送りでじっくり見たい所で、映画館で一通り見るだけではかえって欲求不満が溜まる感もないではありません。
以下うろ覚えですが、個々の映画について印象に残っていることをつらつらと。
まず、戦前の日本最大の電力会社であった(最大の民間企業でもある)東京電灯のPR映画「姿なき姿」について。小生は電力業の歴史にも少なからず関心がありますので、この日見に来た最大の理由でもあります。
昭和初期の日本の電力は水主火従(特に東京電灯は水力依存傾向が強かった)でしたので、大規模な水力発電所の映像が続々と流れ、インフラ好きにはたまりません(フーヴァーダムの迫力には残念ながら負けますが)。火力発電所も紹介され、確か「お化け煙突」の千住火力も出てきましたっけ。
このような大規模な水力発電所を建設するには、まず山を切り開いて資材運搬手段を講じねばなりません。今なら道路でトラックですが、戦前のことですから軽便鉄道を敷設して建設資材を輸送します。その模様が数多く出てくるので、画面から目が離せません。そもそもこの映画自体、軽便の機関車が大写しになって始まっています(文脈がちょっと分かりにくいのですが)。
その中で、確か大井川の開発だったかと思いますが、橋を架けて川を渡る軽便鉄道の背後に、もう一本川を渡らない別な線路があって、二本の列車が同時に走っているという、模型のレイアウトのような情景がありました。あれはどこなんだろう。
映画の最後は、冬の送電線を守る作業の大変さを写しています。新潟県や長野県から山を越えて東京まで延びる送電線を、雪をスキーで乗り越えて保守するのですが、ナレーションでは、食料を運び上げておいた山小屋に冬の間中こもって保線員は作業をするとのことでした。大変な作業であることはもちろんですが、この地域の住民にしてみれば、降雪で農作業が出来ない時期の間じゅう衣食住東京電灯持ちの賃金仕事というのは、合理的なものだったのかも知れないとも思われました。
映画では、電気が産業や生活に不可欠になっていると強調するシーンがあり、そこで流線型の電気機関車・EF55が疾走しているのはよく分かるのですが、電気の使用例として「劇場照明」が挙げられているのが、何だか突飛な例に思えました。しかもその劇場、羽根をつけたおねいさんたちが階段で隊列をなしてダンス・・・ヅカか。いや、東京電灯だから東京宝塚劇場? というところでやっと気づいたのですが、1935年当時の東京電灯社長は小林一三だったのでした。成程。
「支那事変後方記録 上海」の方は、日中戦争初期に占領された上海の模様を撮影した宣伝映画です。しかし一見しては声高なプロパガンダ映画ではなく、むしろ淡々と戦闘が終わった上海の情景を描写しています(そのように作られています)。
これは盛りだくさんで、市街戦の跡であるとか、揚子江(の支流)に浮かぶ各国軍艦、航空機の出撃前状況や防空戦闘の説明など、陸海空すべての状況が盛り込まれています。市街戦では、共同租界との境界線にあったことを利用して、国府軍が最後まで抵抗した有名な倉庫の状況が分かります。市外だけでなく、郊外で激戦が展開されたクリークの様子も映し出されます(この戦闘に関しては、以前紹介した『第百一師団長日誌』が良い史料になります)。軍艦関係では、連装砲塔を4基備えたイタリア巡洋艦(多分。連装砲塔の二門の砲の間隔が狭いので。実は仏艦の見間違い?)や連装砲塔3基備えたイギリス巡洋艦(多分)が大写しになりますが、艦名が分からない辺りが我ながらヘタレでありました(ご存じの方がおられましたらご教示下さい)。
雑駁な感想ですが、「聖戦完遂」的なスローガンの単純な連呼ではなく、むしろ戦闘の過酷さを示唆させるような、そんな印象を受けます(そのため現在でも尚鑑賞に堪える作品となっているのでしょう)。兵士の戦死した地点に、木柱に「誰それ戦死之地」と記した慰霊碑を建てた情景が、随所に織り込まれています。市街戦に関して、「世界に類例のない激戦」といったようなナレーションもあったかと思います。
実際、第1次大戦の陣地戦の経験を積んだドイツから導入した技術を活用し、中国軍としてはもっとも装備も練度も高い部隊が投入された上海戦は、大変な激戦であり、日本軍もその突破には様々な工夫と大きな犠牲を必要としました(詳しくは上掲リンクの『百一師団長日誌』参照)。その直後の第2次世界大戦の奔流の中で霞んでしまいましたが、当時としては確かに、一時代を画した戦場であったのでしょう。そして、その激戦という背景があったからこそ、その直後の南京事件へと繋がっていくのです。
で、あからさまな戦意高揚でない、むしろ犠牲の大きさや激戦を強調する、一歩間違えば厭戦機運にも繋がりかねない、この映画が当時の軍に許されたのは、一時代を画した戦場ということを軍も感じていたからなのかも知れません。これは全くの思いつきですが。
ところで、やはりプロパガンダ映画といえば、子供の扱いが大事ですね。この映画でも例に漏れず、子供が登場します。それもご丁寧にも、在上海在留邦人の子供と、中国人の子供と、両方を写しています。
また、動物も同じような、プロパガンダの道具として使われるものでしょう。平和の演出に有効ですから、犬猫もこの映画に何度も登場したかと思います。ですがその中で、海軍陸戦隊の水兵さんが犬を連れて出かけるシーンがあったのですが、どういうわけかその犬、四本の足を全力で踏ん張って、首輪につけた縄を引っ張る水兵さんにちっとも従わないのです。映画だということで無理に引っ張り出されて不機嫌だったのか、はたまた抗日精神旺盛な愛国犬だったのか。

同じシリーズで「南京 戦線後方記録映画」というのもあります。これにアマゾンでつけられたカスタマーレビューの酷いこと酷いこと。日本軍公認の映画を根拠に「虐殺事件はなかった」と言い切るというその神経は信じがたいものです。当然その映画に何を写すかは、軍の意向が反映されないはずはないですから(完全に意嚮そのまま、ではないにしても)。史料批判ということを知らないのでしょう。
興味深いのは、「南京」については8件のレビューがあるのに比し、「上海」には一つもないということです。これは虐殺まぼろし説を批判している側にも言えそうな問題点ですが、上海があったからこそ南京もあったわけで(映画も上海・北京・南京と三部作になっているそうで)、その関係は念頭に置かねばならないでしょう。南京だけが歴史の中に漂っているわけではないのですから。そして、映画やその制作者の評価はまた別でしょう。
で、その「上海」をアマゾンのページを改めて見ると、驚くべき発見がありました。これは経時的に変わるかもしれませんので、画像の形で取り込んで示します。以下の画像をご参照下さい。

「類似した商品から提示されたタグ パンツじゃないから恥ずかしくないもん」
もう詳しく解説する気はありませんので、意味の分からない方はご自分で検索してください。
結局、「南京」は南京事件ということでしか興味を抱かれず、「上海」は趣味の偏ったミリヲタのみが関心を示したということになります(「南京」の「類似した商品から提示されたタグ」には、「チャンネル桜」が出てくる)。
・・・なるべく本はアマゾンではなく、神保町で買いたいと思います。
嗚呼、昔の映画を見て面白かった、ということを書きたかっただけなのに、何でこんなハナシになってしまうのでしょうか。亀山監督、申し訳ありません。
最後ぐらい真面目にまとめれば、映像資料の活用については、歴史学の研究はまだあまり多くを蓄積していない、現状のごたごたはそれ故の一時的な(将来解決せられるであろう)問題である、そう信じたいものです。