「近代日本のおみやげと鉄道」補足・質疑応答摘録
で、歴博フォーラムは会場の都合上、あるいはイベントの都合上、会場内からの質問受付タイムというのはなかったのですが、こちらの学会では質問の時間が設けられました。なかなか興味深いやりとりがありましたし、以前の鈴木さんの講演を理解する助けにもなろうかと思いますので、補足記事としてこちらに記させていただきます。小生が取ったメモをもとにしておりますので、文責はすべて小生にあります。質疑が噛み合わないように見えたら、それはまとめのせいです。
まず、前提としてこちらの鈴木さんの講演要旨をご参照ください。そうでないと、多分意味が分かりません。
では、以下質疑応答。
・質問1:おみやげには保存期間が大事だと言うが、明治以降のおみやげの保存期間はどの程度か。
→赤福の場合を例に取ると、1日~2日程度。
・質問2:鉄道弘済会のキオスクは弁当を扱わなかったというが、既得権を持つ業者との関係はどうだったのか。
→時代が下るにつれ、駅での販売というのは制度化される。しかし完全に弘済会に一本化されることはなかった。
・質問3:今回の報告では東海道本線のおみやげがメインだったが、東海道以外、私鉄などではどうだったか。鉄道会社自体が自ら売り出したりはしていないか。
→鉄道会社直営おみやげは見あたらない。私鉄の詳細は不詳であるが、山陽鉄道の岡山駅ではキビダンゴが有名だった。ただしこれは「吉備団子」で黍は入っていない。山陽鉄道で売られてメジャーになった。
・質問4:八つ橋の歴史で、同社のサイトによれば七条駅で売り始めたというが、京都駅では売れなかったのか。(註:「七条駅」は奈良鉄道→関西鉄道→現奈良線の京都のターミナルを指す。官鉄→現東海道線の京都駅と違う扱いだったらしい)
→直営か委託かは不明。一次史料がなく詳細不明。
・会場からの指摘:官鉄の京都駅も当時「七条」と呼んでいた。
・質問5:講演冒頭の大英博物館の評価が引っかかる。おみやげが日本特有とするなら、鉄道だけではおみやげの存在は説明できない(発展は説明できても)。近世以来の伝統ではないか。
→この講演では鉄道に引きつけて論じた。近世以前の要素はかなりおみやげに影響している。しかし近世から直線的に今に結びついているわけではない。近代的な装置を媒介として発展。
・指摘1:鉄道唱歌の京都では、「おしろい、紅」が京都の土産で登場、「鷺知らず」という菓子も歌詞に出てくる。
註:鉄道唱歌(東海道篇)の53番。・質問6:講の影響はどうか。
扇おしろい京都紅
また加茂川の鷺しらず
みやげを提げていざ立たん
あとに名残は残れども
→共同体が発達していたからこそおみやげが発達してきたのは確か。しかしそれでは、おみやげの現状が説明できない。
・質問7:駅での大量の食事供給という点で、軍の影響は。駅弁の発展には影響していたはず。このノウハウがおみやげに影響していないか。
→軍は自分で食糧供給を行える団体で、そもそもなんで駅弁を使うようになったかが謎。慰問品として名物は利用され、また修学旅行の影響はあったはず。
以上、かなり活発な質疑があり、それだけこの講演に寄せられた関心も強かったということでしょう。
余談ですが、講演開始前、鈴木さんに「前回のお話と同じ内容ですか?」と壇の前で小生は伺ったりしていたところ、突然学会の偉い先生が「では始めましょう。墨公委君、司会宜しく」と仰っていきなり司会を仰せつかり、実は結構あがり症なもので内心震え上がりました。が、幸いこれらの質問も無事に捌ききることが出来ました。あとで聞いたところ、偉い先生は前で鈴木さんと小生が打ち合わせをしているのだとばかり思われたそうです。
あ、でも一つヘマをしたな・・・最後に自分も質問をしたのに、そこを書き留めておりませんでした。そして記事を書くまで間が開きすぎて忘却。無念。
余談はともかく、大変興味深いお話でした。これをきっかけに、おみやげや駅弁(この両者の系譜が重なるのか違うのか、それも要検討のポイントでしょう)についての研究も深まると、日本の鉄道、ひいては日本文化の特徴を知る上で、少なからぬ貢献がなされることでしょう。
確か米国では、現役および予備役軍人に対し様様な物品、運賃の割引がされています。
軍隊向けに大量の駅弁を供給するノウハウが、旅行者向け土産物に応用されたのかという話で、軍隊向けおみやげという意味ではありません。
割引運賃は日本でもあったと思いますが、予備役まで割り引いてもらえたかは・・・? いつか調べてみたいですね。
ところで予備役軍人は・・・そこまで割り引いてたらきりがない気もしますが、昔は私鉄従業員も国鉄が顔パスだったりその逆もあったり、どうなんでしょう。