久保田正志『日本の軍事革命』 紹介と感想
軍事革命 military revolution というのは、多くの方にとって馴染みの無い言葉でしょう。これは近代初期、軍事技術の革新(火器の登場)によって戦争の方法が変化し、それに対応した軍事力の肥大に対応する中で近代国家がその態勢を整えていったという考え方です。その軍事革命について、もっともよく纏まった概要を示しているのが本書です。原題はずばり The Military Revolution で、ヨーロッパを中心に軍事革命が世界各地にどのような影響を与え広まっていったかまでも述べられ、その一環で日本の戦国時代も出てくるため、上のような邦題がつけられたようです。しかし、戦国史の専門家曰く、長篠合戦はヨーロッパ式火力優先軍隊とは全然違うので、長篠の信長が軍事革命の担い手であるかのごとき本書の記述は誤りであるそうです。これは著者のパーカー教授の責任というよりは、彼に日本史のレクチャーをした人々の勘違いによるもののようですが。訳者の大久保桂子氏は西洋近世史の方なので、その辺りに気が付かなかったのか、中央公論社の『世界の歴史』の中、大久保氏が軍事革命についての説明を述べた箇所でこの誤謬を繰り返してしまっているのは、誤解の再生産に繋がる恐れがあります。(後略)自分で書くのも何ですが、パーカーの本の意義と、日本について触れている箇所についての問題点を手短に指摘した文章ということで、ここに再録させていただきました。
で、この誤解の再生産を食い止める本が、遂に出たのです。
久保田正志『日本の軍事革命』(錦正社)
帯の文句が、そのまま本書の狙いを示しています。
繰り返すと、ヨーロッパ史でいわれる軍事革命とは、戦場に火器が導入されることにより、戦術や城塞が変化し、結果巨大な軍隊を恒常的に維持するという要請から国家の体制が整備され、近代化に繋がったということです。それが日本ではどうだったのでしょうか。
パーカーは『長篠合戦の世界史』の中で日本における軍事革命について、火縄銃の導入と築城技術の変化について述べていますが、社会に及ぼした影響についてはヨーロッパのようには述べていません。また日本にもたらした変化についても、長篠合戦の所謂「三段撃ち」が最近疑問視されているように、首を傾げるところがあります。どうやらパーカーは、「日本の軍事革命は中断した」という考えのようですが(本書p.6)、その見方は妥当なのでしょうか(単純なヨーロッパの図式の当てはめかも知れません)。そういった側面を検証しているのが、本書の内容です。
以下に目次の概要を掲げます。
序章 軍事革命論と本書の問題意識と、火器の導入によって日本に起こった野戦・築城・兵站といった戦術の変化をヨーロッパとの相違に注目しつつ追い、社会に与えた影響がどう違ったかを指摘しています。
第一章 日本の槍戦術の推移と特徴―ヨーロッパの戦例との比較から―第二章 銃兵の訓練と常備兵化
第三章 近世初期までの日本での大砲使用
第四章 鉄砲による山城の弱体化と城郭立地の変遷
第五章 鉄砲の普及による野戦の決定力の上昇と大名勢力圏の拡大の促進第六章 兵農分離の進展とその要因
第七章 近世初期の日本の兵站・輜重隊の整備とその限界―ヨーロッパとの比較から―第八章 近世城郭築城に関わる作業量の増大と大名財政
第九章 大名における軍事要員雇用態様の変化と財政
終章 本書の結論・日本の軍事革命の態様について
その具体的な様相は本書を読んでいただければよいので、詳細ははしょりますが、「馬」が鍵になります。日本の馬が小柄で弱体だったため、野戦では騎兵の脅威がないから歩兵は一斉射撃で弾幕を張って騎兵突撃を阻止する必要がなく、むしろ狙撃の個人プレーに走ります(首を取ったら恩賞、という伝統的システムにもその方が適合的)。一方馬が弱いので大砲を運べず(馭法も未発達)、城郭は対鉄砲戦のみに特化して砲撃戦を考えない形になりました。兵站についても具体的な検討がなされています。
鉄砲の導入で兵士の死傷率は上がっても、ヨーロッパのような要塞が出来なかったので、日本では戦争の決着はむしろ速まりました。そして成長した大勢力は、住民を根こそぎ動員しなくても、精鋭だけ選りすぐっても十分な兵力になったため、兵農分離がすすみ、江戸時代の身分制に繋がったと結論づけています。
軍事の歴史はこれまで、その範囲の専門家(マニア)内部の議論にとどまりがちでしたが、ヨーロッパの軍事革命論は、軍事の変化が社会や国家のあり方に大きな変化を与えたことを指摘し、軍事史をそれまでの狭い垣根の中から解き放ったといいます。本書もまた、狭い垣根――それは日本の戦国時代の場合、軍事専門家(マニア)内という垣根だけでなく、「大河ドラマ的」とでもいうべき通俗的歴史観という、社会や経済を捨象した英雄物語的な、「戦国無双」的な垣根もあると思いますが――から戦国時代の歴史を解き放ち、世界との比較をも可能にする、大変重要な一冊と思います。
本書の主張では、日本の軍事革命は、中断というよりむしろ「必要最小限の範囲で革命を終えた」(p.255)としています。とすれば、「軍事革命」を経ていた江戸時代の評価についても、特にその"近代性"を考える上での視座を与えてくれるかも知れません。更に、火器のような技術が他の文化圏に受け入れられた時、既存の社会をどのように変えるか、かつその技術の使い方がどのように変わるか、という技術導入と社会の関係についても、考える手がかりを数多く与えてくれるでしょう。
例を一つあげれば、馬というネックが軍事革命期における日本の大砲導入を妨げたといいますが、明治以降の近代軍でも、やはり馬がネックとなって輸送などに大きな問題が起こっています。著者の久保田氏は比較軍事史研究者と称しておられますが、比較の軸は東西に限らず、時間軸にも応用できるでしょう(実際、久保田氏は戊辰戦争に焦点を当てて次回作を予定しておられるそうです)。
誉めるばかりも何なので、苦情も一つ二つ。
本書では軍記を史料として数多く用い、その中に記された数字を収集して統計的な分析を加えている箇所が多くあります。ですが、これは中世史にはとんと疎い者の思い過ごしなのかも知れませんが、果たして単純に軍記の数字をそのような利用をして良いのか、ということです。これはなかなか難しいことだろうとは思いますが、史料のさらなる検討は今後進められるべきだろうと思います。
また本書では、鉄砲導入後の日本の城郭の変化について、「完全隔絶型」と「不完全隔絶型」という新たな区分を導入しています。それは鉄砲対策として、水による障害が城を周囲と隔絶しているかどうかに拠る(p.83)由ですが、定義の解説そのものはさらりと流してしまっていて、どうもイメージがつかみにくい難があります。特定非営利活動法人・城塞史跡協会の理事長をつとめ、数多くの城を巡っておられる久保田氏であれば、具体例に則して、図・写真など活用して明確に定義を説明していただきたかったところです。
これに限らず、軍事の理論のようなことについて説明する場合は、図式による説明を導入することが定義を明確にする上でも有効なことが多かろうと思います。もちろん、本書の場合は新たな視角を切り開いたものである以上、まだ図式を早々に固める段階ではないとはいえるかも知れません。
しかし、些少な問題は措いてもなお、この本は大変面白い本です。お値段もハードカバーの立派な装丁(栞の紐付き)で272ページ3400円と、この種の本としては比較的安価ですし、歴史好きには強く本書をお勧め致します。日本の軍事革命を取りかかりに、様々な方向に議論を発展させる起点になりうる本でしょう。英雄譚的なものを求める向きには「実も蓋もない」と受け取られるかも知れませんが、それだけにむしろ、読み手の力をも同時に問われる一冊であろうかと思います。
中世は専門ではないので何とも言いがたいですが、近代において、日本の騎兵戦力が騎槍を用いなかったことに、日本の乗馬技術の限界が見えると考えています。
又、一般の日本人(今日ではなく小生が幼少のころ)の多くは馬は横臥しないと平然と語っていた(軍隊経験のある人間までもが。)辺りにも無知さが見えると思います。
本書のような面白い本を読んで、心機一転のきっかけとして下さい。
>無名さま
槍もそうですし、馭法や馬具など、馬を巡る諸技術が未発達、というか馬の限界から発達のしようがなかったんでしょうね。
江戸時代は開墾が進んでその分牧草地が減り、牛馬の頭数は戦国時代より減ったと何かで読んだ覚えがありますが、そうして日本人と馬との縁は更に薄くなったのかも知れません。でも軍隊経験者はねえ・・・?
日本の馬、とくに軍馬こそが調教がろくにされておらずに動員され、
その都度不祥事を起こしていますので馬匹のレベルは結局欧米水準に
達したことはないので馬のことはもっと注目されてもいいと思います。
これが昭和になっても改善されないで難儀するので
軍隊経験者といってもこの程度のことで驚くことはありません
(キッパリ
必死に第二段階に至った軍馬行政を押し進めておりました。
(第一次計画は日露戦争直後の明治39(1906)年より開始、ようやく昭和10年完成)
この第二計画とは昭和11年より第一期十年間で第一期完成が昭和20年。
この途上でシナ事変~大戦へと突入してしまいました。
(ちなみにこの第二次計画の完成は昭和40年!)
そういえばドイツ海軍が1944年完成のZプラン未了では戦えない、と
悲鳴を上げていましたっけ。
日本人は中途半端に馬に優しいので「横臥は本来馬に優しくない」とか
自己肯定してそれをヨシとしたりしますので、
軍隊経験者の言もあながち間違いとは言えません。
欧米の馬の「調教」とは、日本人の感覚からすると、
もっと残酷かつ厳しいもので「横臥させる」ものであって
するしないとかいう次元ではないんです。
いずれにしても、今書いている本でも軍馬のことは触れるのですが、
いかに日本軍馬が駄目であったのかという、些か耳の痛い話に終始してしまいます。
戦国時代にとどまらず軍馬は日本のアキレスけんですよ。
是非、こういったことにお詳しいアトリー卿さんのコメントが欲しいところでしたので、まことにありがとうございます。
馬の話は、自動車普及までの交通インフラ全般に関わる話にも関わらず、注目度が低い論点ですね。鉄道でも、馬車鉄道の馬の話とかはあんまり聞きません。
育成計画に30年もかかるというのは、やはり生き物だけに簡単に増産を図れないということの反映でしょうか。むしろ、予算と人材をつぎ込めばある程度何とかなるモータリゼーションの方が、容易だったのかも知れませんね。
個人的には、馬車の伝統がろくすっぽなかったこの国が、何であれよあれよという間に世界で一二を争う自動車生産国になれたんだろうと疑問に思っていましたが、案外余計な道路交通や車輌交通の伝統がなかった方が、簡単に自動車化できた・・・ということがあるのでしょうか?
調教といえば、日本は馬の去勢もしませんでしたね。扱いには宗教的な価値観の違いも影響しているのでしょう。
とまれ、ご執筆されている本の一日も早い上梓をお待ちしております。
>城郭
ウォーバン型の要塞でも,大砲への対抗策は堀と濃密な火網で大砲を主要部に寄せず,縦深をとるのが主眼だと思っていたのですが,どうなんでしょうか.
そういう意味では総構えを大きく取り,西南戦争でも耐えた熊本城も発想としては近いのかなと.
> 騎兵
もしも江戸時代以降も明・清や西欧との軍事的接触が続いていたらどうなったんでしょうかね.
もっともその場合戦場となるであろう台湾や朝鮮半島でも騎兵は使いにくいでしょうから,変わらないかも.
逆にいえばそこまでしなければ戦地での運用および調教(調教師も兼ねていたらしい。)が不可能であったということだと思います。
きっと貴殿も気に入ると思いますので、是非お求め下さい。
で、読んでいただければ疑問は解決するかと思いますが、あえてレスすれば、
>城郭
ヨーロッパの要塞が、砲撃の目標となることを避けるために、重心を取ると同時に高さを下げたのに対し、日本の近代城郭は高い石垣を築いて高所から射撃するようにしました。高さに違いがあります。
>騎兵
そうですね、騎兵向きではないので大きくは変わらない気がします。
ただ、大陸での陸上輸送の要請から、多頭立ての馬車が導入されたとしたら面白いかも。
>無名さま
蹄鉄も在来の馬関係技術にはありませんでしたね。馬に草鞋を履かせて。
こういったことの特殊技能としての希少性が、日本は西欧よりずっと高かったのでしょう。