アパグループ『謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本。』瞥見
●田母神「論文」とかで自衛隊の知性が疑われると嫌なので…と語っておられます。
○一応私も元ですし
○現役の方の論文も引用しているです。
○つーか、田母神「論文」はひどい。
ここでいう「田母神『論文』」とは、昨年10月から11月にかけて話題となった、田母神俊雄航空幕僚長(当時)がアパグループの「『真の近現代史観』論文顕彰」に応募した「論文」である「日本は侵略国家であったのか」が賞金300万円の最優秀賞に選ばれたものの、その内容が政府の見解と異なっていたことなどから問題となり、結局田母神氏は空幕長を事実上辞めさせられた、その一件のことですね。当ブログでもちょこっと触れましたが、書記長も指摘する通りのその内容の酷さは、多少なりとも歴史に関心のある向きからは、あるいは論文的な文章を読み書きする経験を有している人々からは、広く認められました。田母神氏が出典とした文献の著者である秦郁彦氏が、この「論文」をこっぴどく批判したことが、その象徴です。
その後12月に、この顕彰「論文」の入選作を集めた本(ISBNコードも雑誌コードも無いようなので、書籍というよりパンフレット的な扱いのようですが)が出ていました。どこまでがタイトルなのか分かりかねるのですが、多分『謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本。』(前半がサブタイトルで、後半が本題)だろうと思います。「!」と「。」も題名に入っているようです。
で、「田母神『論文』」の時はかなり世間を騒がしたものの、出た本については少々検索してみた限りでは、あんまりまとまった検討をしているものは見あたりませんでした(評価するにせよ、批判するにせよ)。タイトルが長く探しにくいという事情もあるかも知れませんが・・・
さて、その『誇れる国、日本。』ですが、今小生の手許に一冊あるのです。まあ、さるルートから持ち込まれたものなのですが(もちろん一文も払ってません)。ので、ちょっとだけ検討を加えてみたいと思います。もっとも、このブログのここひと月を振り返っただけでも、『西日本鉄道百年史』だとか、橋本寿朗先生の論文集だとか、水洗トイレの歴史だとか、さらにはナヲコ先生の同人誌まで、このアッパッパーな「論文」集より遥かに遥かに小生の人生にとって価値があって一読心を躍らせるに違いないとわかりきっている「積ん読」本がある以上、この本を全部読んで書評するが如きことはしておりません。あくまで「瞥見」です。しかし問題点の指摘としては、それほど無意味でもないと思います。
まずは外形をご紹介。大きさはA4です。
日本語の部と、英語に翻訳した部とからなっています。英語に詳しい人によると、翻訳の部分はかなり良くできている(稚拙な日本語の文章より良くできている箇所すらあるらしい)との由です。日本の歴史研究を海外に発信する必要自体は非常に高いものと思いますので、顕彰論文を募集するよりも、既にある優れた研究を海外に紹介する活動をしてくれればいいのですが・・・それは「真の」近現代史観ではない、ということなのでしょうか。
ところで、この顕彰(懸賞? サイトは「顕彰」だが本は「懸賞」)では、全部で13本の「論文」が何らかの形で入選しこの本にまとめられたのですが、奇妙なことにアパの公式であろう紹介サイトには、他の受賞者の名前も「論文」のタイトルも載っていないので、以下に本から書き起こしておきます。中には旧字体をわざわざ使っている方もおられますが、面倒なので新字体で統一。
ついでに補足しておくと、この本の目次では、「論文」の著者の名前だけが列挙されていて、肝心の「論文」のタイトルが載っておりません。はなはだ理解に苦しむことです。お陰で、一々ページをめくってその「論文」のタイトルを探さねばならず、面倒なこと夥しい次第。学術論文っぽくするなら、著者名と表題は表紙に刷り込んでおいて欲しいところです。アパの社長にそういう発想がなかったことは恕するにしても、審査委員長である渡部昇一先生が左様なことにお気づきでなかったことは遺憾です。
最優秀賞
田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」
優秀賞(社会人部門)
落合道夫「真の近現代史観」
優秀賞(学生部門)
多田羅健志「戦後外交と歴史認識 近現代史にみる二十一世紀日本の展望」
佳作
岩田温「真の歴史の復活を求めて -検閲と東京裁判史観-」
江崎京「世界文明というドグマ」
姜永根「日本の朝鮮半島統治に関する私の史観」
木下雅俊「高貴な日本の再生」
志川久「絶対史観から相対史観に -新ナショナリズム史観への予兆として」
出原行男「落ち行く日本の救国過程は」
原子昭三「『東京裁判史観』をのりこえて日本再生の道に邁進しよう」
三好誠「近代史における情報の操作と欠落」
諸橋茂一「日本人としての自信と誇りを取り戻そう!」
渡辺映典「真の独立国になるために」
以上です。なぜこれだけの基本的情報すらネット上に無いのでしょうか(図書館の所蔵図書詳細情報しか見つからん・・・)。
なお、この当選者のプロフィールについて、興味深い情報が「dj19の日記」さんの昨年12月28日付記事「アパ懸賞論文ネタ」に紹介されておりますので、以下に引用させていただきます。
いつも保守の立場から劣化しきった産経文化人(笑)を批判している切葉鳩さんのブログより転載。うーむ。dj19さんのご指摘「知り合い同士の出来レース」という印象は否めないですね。
愛国と田母神氏の件とアパ・花岡などの考察らしきもの - ステージ虱発(引用註:リンク先消滅)
非常に面白いカキコを発見したので掲載しちゃう(笑)※
28 :文責・名無しさん:2008/11/05(水) 12:05:11 ID:oaDKOQl/0
●APA GROUP News & Information 平成20年10月31日
アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文
■■■受賞者■■■(敬称略)
最優秀藤誠志賞:田母神 俊雄 (航空幕僚長)
佳 作 :諸橋 茂一 (KBM 代表取締役社長)
<元谷が会長を務める ↑ 小松基地友の会の事務局長>
原子 昭三 (無職(中学教師24 年・弘前市議20 年)
<国柱会顧問であり ↑ 青森県の日本会議や作る会幹部>
岩田 温 (拓殖大学日本文化研究所 客員研究員)
<(『撃論ムック』によく登場する若手の保守>
木下 雅敏 (アパ株式会社 リスク管理室室長)
<仲間うちで「賞」を出していてなんちゅうことするねん!>
(引用註:中略)
その他のソース
【諸橋茂一】(もろはし しげいち)(株)KBM社長(本社・金沢)。
チャンネル桜:(参照リンク)
小松基地金沢友の会・事務局長。村山富市元首相と河野洋平衆院議長を告訴した人物。(参照リンク)
石川の教育を考える県民の会・会長。(特別顧問 拓殖大学 藤岡信勝)(参照リンク)
【原子昭三】(はらこ しょうぞう)日本会議青森県本部運営委員長。新しい歴史教科書をつくる会青森県支部長。(参考リンク)
さてさて、「論文」を読まなくても、この「懸賞論文集」の非常に奇妙な点が判明しました。それを検証するくらいは目を通しましたけど。
この懸賞だか顕彰だかには、全部で235点の「論文」が寄せられたそうです。その中から田母神氏を最優秀賞とし、2点の優秀作と10点の佳作を選んだわけですね。ところが、何故それらの「論文」が受賞したのか、最優秀賞や優秀賞はどこが評価されたのか、佳作にとどまったものは何が足りなかったのか、そういった説明が一切ありません。これは懸賞論文集としての必要な要件を満たしているとは思われず、さてこそ田母神氏に300万渡すために(そして田母神氏を売り出すために)この企画をやったのではないかと疑いたくもなります。
審査委員の選評と称するページはありますが、そこは「素晴らしい論文がたくさん集まりました」といった漠然とした話しかなく、個別具体的な「論文」や作者については触れていません。これでは選評の用をなしません。
この懸賞企画じたいの怪しさは以上でもある程度察せられますので、次に中身の「論文」について話を写しましょう。といって、一々読むのは正直面倒ですが、これまた1ページだけ見れば、本書に収められた「論文」の水準が推し量れることに気がついたので、以下にそのページをご紹介します。
歴史について多少なりとも専門的な勉強をされた方でしたら、史料を読むことの重要さをご存じのことと思います。実証主義に基づく歴史学とは、史料と向き合い、史料批判を忘れずに、史料の声を聞き取る、それが基本となっている営為と思います。また学問というものは、先行研究の積み重ねの上に自分の研究を積み重ね、さらに次の代へと伝えていく、そういう営為であろうと思います。一人でいきなり完全な真理にたどり着けるわけではありません。でも、先人の試行錯誤に学び、自分も試行錯誤を積み重ね、それを後代に伝えることで、次第に「真理」へと近づいてゆく、そんな作業です。
つまり、歴史の研究について評価するのにもっとも手っ取り早い方法は、使った史料と参考文献を見ればいい、ということです。好都合なことに、この『誇れる国、日本。』では、すべての「論文」の参考文献が一ページにまとめられています。では、そのページを見てみましょう。
正直、「見れば分かる通りです」と書いて、ここで記事を終わりにしてしまいたい欲求に小生は駆られてしまっています。ですが、分かる人に分かればいい、という専門家の態度が、歴史に於いて学問研究の水準と一般的な社会における認識との齟齬を生んできた面は、否定しきれることではないでしょう。
そこで多少具体的に説明するならば、「史料」と呼べそうなものは陸奥宗光『蹇蹇録』ほか数点程度しかありません。専門的な研究と目される文献も数点程度です。あとはおよそ参考文献としては程度の落ちる二次的三次的の一般書ばかりです。ことに、数の上では最大の諸橋茂一氏の文献リストは、「南京大虐殺否定派」のリファレンスとしては使えそうかな、という以上の評価は出来ません。更に恐ろしいことには、全部で13点の「論文」に対し、ここに参考文献を載せている著者は11人でしかないということです。史料も文献もなしに書いたものは、論文とは普通呼べません。
そこで考えてみれば、秦郁彦氏の本を読み(と著者は主張している)、総督府の統計を使っている田母神「論文」は、もしかするとこの中では「優秀」な部類なのかも知れない・・・?
『蹇蹇録』を使っている、学生部門優秀賞の多田羅健志氏の「論文」は、この中では比較的マシかも知れないと思え、チラ見した印象では少なくとも田母神氏よりは出来ている(「論文」とは呼べねども「レポート」くらいにはなっている)感はあります。外交に「リアリズム」を持てという主張らしく、まあこれを読んだという国際関係論を専攻の院生の友人は「覚えた言葉『リアリズム』を言いたかっただけとちゃうか」と突っ込んでましたが。
しかし、『蹇蹇録』を読んだのはいいとしても、あとの文献がいただけません。多田羅氏は、陸奥のような明治の「リアリズム」な外交が昭和以後はダメになった、その復興をと主張しているようですが、それは日本の「リアリズム」が変わった以上に、外交そのものが変わったという可能性を考えていないようです。
外交史は小生全くの門外漢ですが、第一次大戦前後で外交のあり方自体が変わり、勢力均衡的な(多田羅氏的に言えば「リアリズム」ですか)ウェストファリア条約以来の「旧外交」から、「新外交」へと変化したといいます。日本は開国以後陸奥のように「旧外交」を学び、やっと習熟した途端にその時代が終わってしまったのでした。これについてはやはり、千葉功先生の『旧外交の形成 日本外交一九〇〇~一九一九』を読むべきであり、ちょうど去年の4月に出た本だから時期的にもちょうど良かったはずなのに、と思わずにはいられません。もっとも、えらそうなことを書いている割には、小生とてこの本をきちんと読んだわけではないのですが・・・(マイミクの鮭缶氏に絞め殺されそうな話ですが、有難くも一冊頂戴したのです)
さて、しかし最近の雑誌記事に拠れば、斯様な「論文」を書いた田母神氏は、講演などで引っ張りだこだそうです。
「講演に引っ張りだこ タモちゃん現象の使命感」(AERA 2009年2月16日号掲載)
※リンク切れにつき魚拓へリンク切り替え→1ページ目 / 2ページ目 / 3ページ目
こういった状況を考えれば、曲がりなりにも歴史を学ぶ者として、ただ単にこれらの「論文」を「お話にならない」と切り捨てて済ませてしまうわけにはいかないのではないか、という思いも湧き上がってきます。といって、今の小生にこれを議論するだけの余裕も力も十分にあるわけではありません(まず何より、自分の論文を、カギカッコ付きでないそれを、ちゃんと書くということが・・・)。ですが、一つだけ簡単に書いておこうと思います。
上でも書きましたように、歴史は、史料を積み重ね議論を重ねていくことで、少しづつより良いものへと近づいていく営為です。人文系の学問は大体そうだと思いますが。つまり、絶対の真理へいきなり手を伸ばすのではなく、試行錯誤を積み重ねながら進んでいくものです。然るにこの顕彰論文、「真の近現代史観」などと銘打って、史料も先行研究も頓着せず、ただちに「真の」「史観」を掴めると考えているわけです。
このような「分かりやすさ」、「手っ取り早く結論」、「それを真の模範解答として安心」を求めることが、問題の根底であろうと思います。といって、分かりにくいのは読み手が悪いと開き直るわけにも行かないことは確かです。
で、以前もちょっと書いたことですが、これは歴史教育のあり方を改善することによって、ある程度は解決することが可能なのではないかと思います。
すなわち、教科書暗記になりがちな歴史教育に、「史料」そのもの(これは文献でなくても構いません。遺跡や、近代の場合は現役の構造物なども多々あります)に触れること、そして自分でそれを読んで考えるということを取り入れられないかということです。歴史学の結果ではなく、むしろプロセスの方を一般に普及できないかと。ついでに言えば、資料を読んで考えるという営為を身につけることは、社会生活の様々な局面で役に立つことは間違いありません。ただもちろん、これは実際に行うことはかなり難しいでしょうが・・・
しかし、歴史の効用を、「社長が朝礼で垂れる訓辞のネタ」以上の社会的なものとするには、その研究成果をつまみ食いするのではなく、その手法をも広める意味はあると思います。もちろん他の人文系の学問でも構わないわけですが、取り付きやすさという点で特に歴史はやりやすいのではないかと思います。まあ、その見た目の取っつきやすさが、このアパの本の「論文」を書いたような人を誤解させてしまっている面もあるのでしょうが・・・。
いろいろ考えるべきことはありますが、表題の「瞥見」の範疇を超えることにもなりますし、ひとまずここまでとします。
※追記:田母神「論文」の評価に端を発した『諸君!』(2009年4月号)の秦郁彦・西尾幹二対談についてはこちらの記事を参照→前篇・後篇
推敲を重ねた文章、確かな一次資料、代表的な論文の問題点の指摘、等の点に気をつけてもう一度書き直すことを提案します。
グループのリスク管理室のトップがリスクを誘引している感があるのですが?。
それでAPAグループがこの論文集を「刊行しない」という選択をしたならば馬脚を現すことなく「完成」したのですが。
むしろ、知性以前のレベルの人を大量に使って一定の成果を挙げるからこそ、大組織なのだという気がしてなりません。
時代はゼロ年代ですから、史料にも先行研究にもとらわれず書きたいように書くのがいいのかも(原○史とか中島○志みたいに)。ま、そんなことしたら比喩的な意味ではなく殺されると思うけど(苦笑)
というか嫌だ(笑)
「国」とは何か、「愛する」とはどういうことか、というのが難しいんですよ。
考えようによっては、史料を探して日本の有様を考えている日本史の研究者なんてのは、よっぽど「国」を「愛して」なければできる仕事じゃありません。お金にもあんまりならないのに。
この「論文」を書いた人々が考えているであろう「国」や「愛し方」との懸隔を埋めることは容易ではなさそうですし、そもそも彼らは埋めたいと思っているのかも怪しいことです。
>無名さま
文学にもなってないような・・・。
リスク管理ができれば安全保障も語れる、というものなのでしょうか。
むしろ冷戦体制という、一見敵味方がはっきりしているような構図自体が、左右両方を劣化させたのではないかと思います。戦前の右翼と較べ冷戦の右翼が駄目になったということは、鈴木邦男氏が言っていたかと思います。
>ラーゲリ氏
なるほど。軍隊という組織の根幹を突いたご指摘、感じ入りました。
しかし空幕長というのは、そういう人を使って組織を動かす側じゃないかと・・・
コメントありがとうございます。ほっとしました(笑)
ご指摘の「ゼロ年代」の作法、あずまんへの最近の批判も通じることがあるように思われます。「論壇」というのはそれで通る世界なのかも知れませんが・・・
我が身は顧みないらしいので、田母神氏はきっと生体GPSの模範を示して下さるでしょう。