小島英俊『文豪たちの大陸横断鉄道』雑感
小島英俊『文豪たちの大陸横断鉄道』(新潮新書)
題名に惹かれたのは「大陸横断鉄道」であって「文豪」ではありません(笑)。大陸横断鉄道って言ったらやはりアメリカだよなあ、とアメリカ系鉄道好きとしてはあまり深く考えずに購入しました。
ところで、買ってから気がついたのですが、この本の著者は『流線形列車の時代―世界鉄道外史―』の著者の方だったんですね。同書については当ブログでも以前取り上げたことがありました。もっとも『流線型列車の時代』についての感想はちょっぴりで、そこから何故か当時放映していたアニメ『SoltyRei』の話になっていくんですけど(笑)。
さて本書は、夏目漱石・永井荷風・里見弴・林芙美子・横光利一・野上弥生子の六人の作家の紀行文を引用しつつ、20世紀前半の鉄道・汽船最盛期の世界の交通の模様を振り返ろうというものです。
で、「大陸横断鉄道」と表題にうたいつつ、やはり日本の作家の紀行文を元にしていますから、最初の三分の一ぐらいは満州関係で、あんまり大陸横断ではないのでした。また大陸横断はシベリア鉄道がメインで、アメリカの話は最後に二十数ページ程度でした(この本の本文はちょうど200ページくらいです)。ちょっと残念。
前作は、文章があまり読みやすいとは言えなかったところもあったのですが、本書ではその点は改善されて読みやすくなっていると思われます。扱っている題材は魅力的なものですし、シベリア鉄道経路が道中の不安や設備の貧弱さからあまり利用されていなかったという説明はなかなか興味深いところです。
また、あまり日本では紹介されていなかったイタリアの昔の鉄道に触れているのも嬉しいですね。ただ、日本の長距離電車に影響を与えたのがイタリアだというのは(pp.185-6)、どうなんでしょうか。「最も影響を受けているのは間違いなくイタリア」とまで言い切っていいのか、やはり素直にアメリカで良いように思われますが。そのアメリカの電車、インターアーバンについても、最後の箇所でちゃんと紹介しています。
わりと面白く一息にすぐ読める本で、その点『流線型列車の時代』とは対照的です。ただそれを美点と言い切ってしまって良いのか、鉄道に関する説明はあっさりで、ちょっと物足りない読後感もありました。それは趣味の偏った鉄道趣味者のつけた因縁であって、昨今の「鉄道ブーム」にかこつけて、鉄道と昔の話に興味を持った(でも詳しくはない)層に向けて売る新書としては、妥当な方向性なのかも知れません。文学作品に書いてある鉄道ネタを綿密につつき回しすぎて読者を辟易させてしまった松下了平『シャーロック・ホームズの鉄道学』という本もありましたし(小生も以前サイトのネタに使いました)。
しかし、一方本書は文学評論という性格でもありませんで、この6人の作家を取り上げる理由が何か文学上の意義があるというわけでもなく、その作家の作品に及ぼした影響などを解説しているわけでもないので、どっち付かずな印象をも受けるわけです。文学+鉄道という本を今から書くのが難しいのは、小池滋『英国鉄道物語』の水準の高さというのが一つあるかも知れません。
読んでいて首を傾げた箇所を一つ挙げれば、表題に銘打っている「大陸横断鉄道」のうち、アメリカのそれについて、「7ルートもあった北米大陸横断列車」という節を設け、その地図を載せています(p.197)。北からカナディアン・ナショナル(CN)、カナディアン・パシフィック(CP)、グレート・ノーザン(GN)、ノーザン・パシフィック(NP)、ユニオン・パシフィック(UP)、サンタフェ(SF)、サザン・パシフィック(SP)というわけです(サンタフェのフルネームはアチソン・トピーカ&サンタフェなので、略称はAT&SFと書く方が多いと思います)。
ですが、これでは2ルート欠けています。シカゴ・ミルウォーキー・セントポール&パシフィック(CMSTP&P or MILW)のルートと、ウェスタン・パシフィック(WP)およびデンヴァー&リオグランデ・ウェスタン(D&RGW)の連携によるルートです。なるほどこの2ルートは完成したのが遅い分マイナーかも知れませんが、著者の小島氏は前作『流線型列車の時代』でミルウォーキー鉄道やWPの列車を取り上げているので、ご存じなかったはずはないのですが。ミルウォーキー鉄道は流線型の超高速蒸気機関車を造ったり、ロッキー山越えの区間を延べざっと千キロも電化して当時世界最強クラスの電気機関車を走らせたり、そんな投資をしまくったせいでアメリカの鉄道の黄金時代だったはずの両大戦間に三度破産したり、話題も多そうな会社のはずです。
地図について細かい文句を言えばきりがありませんが、この二つを足して9ルートというのでも、あくまでもそれはメインラインであって、列車の運行経路としてはまだ足りないだろうと思います。あいにく小生は昔のアメリカの鉄道の時刻表を持っていないので詳細は分かりかねますが、こちらのブログ「蒸気機関車拾遺」さんの記事「米大陸横断1」と「米大陸横断2」の記事をご参照下さい。特に「2」には、1946年のアメリカ大陸横断鉄道の概念図が掲載されていますので、ご興味のある方は是非ご参照ください。この地図も細かく見れば、ん? な所もないではないですが。
ちなみに小生が地図云々言っているネタ本は Yenne,Bill Atlas of North American Railroads です。これは西山洋書のセールで見かけて買ったのですが、アメリカの鉄道マニア(多分)が個人的にコレクションしたらしい鉄道路線図(1950年代頃のが多い)を一冊にまとめたものです。会社の選択基準は多分、著者が手に入れられたかどうかなんでしょうが、主要な鉄道会社は一通り集められているようで、カナダのCNとCPも載っています。地図に各社の簡単な歴史が付けられていて、小生のような、それほどディープではないけど一通りのことを知りたい、という程度の人間にはうってつけの本でした。これを読んで、漸くアメリカの鉄道各社のネットワークがどのようなものか、概要が掴めました。あとはこれに時刻表(Official Guide)があれば・・・(各社ごとに無料配布していたような戦後の時刻表なら、古本屋で幾つか見つけて買ったのですが)。
ところで、文学部卒業のくせにあまり文学を読まない小生ではありますが、荷風の作品は幾つか読んだものでした(小生のHNと荷風作品は無関係です)。ただ『あめりか物語』はちゃんと読んだことがなかったので、荷風がアメリカでインターアーバンの電車に乗ったということは知りませんでした。本書によると、シアトルとセントルイスと、二箇所で乗っているそうです。
電車についての説明は本書ではそれ以上ありませんでしたので、そこでこれまたネタ本を当たりますと、荷風がシアトルからタコマまで乗ったという電車は、Puget Sound Electric Railway という1902年にシアトル~タコマ間36マイルを結んだ鉄道のようです。この頃としては先進的な鉄道で、第3軌条方式を採用したインターアーバンの早い例だそうです(もちろん第三軌条方式は郊外の専用軌道区間で、市内の路面区間は架空線方式ですが)。荷風が米仏生活を終えて帰国すると、東京にも路面電車が開業していましたが、荷風はその架空線が風致を害すると酷評しています(『日和下駄』)。PSEの第三軌条方式を見ていた影響がもしかするとあったのかも知れません。・・・と、鉄道の情報を一応文学と結びつけてみました。
ちなみにこの鉄道、シアトルとタコマを最速では70分(表定ほぼ50km/hの計算になります)、30分ヘッドで結んでいたそうです。でも1928年廃止。経営者が鉄道事業に熱意が乏しく、赤字が出るとすぐ見切りを付けたのだとか(だから車輌はゼロ年代・笑 に投入した木造車のままだったらしいです)。
セントルイスの方は、郊外に延びる路線が複数あって、残念ながらそのどれかは今のところ分かりません。もっともセントルイスの電車は、インターアーバンというよりは、セントルイスと郊外を結ぶ郊外電車という性格だったようです。これらの路線の中には、1891年という極めて早い時期に開業した路線もあったとか。
この辺のネタは、これ一冊あればとりあえずアメリカのインターアーバンのことは一通り分かるという有難い本、Hilton, George W. & Due, John Fitzgerald The Electric Interurban Railways in Americaでした。英語の不得手な小生が、そんなに英文サイトを漁りまくって記事なんか書くはずがありません(苦笑)。
気がつけば記事が随分長くなっていました。これだけ話の種になるということは、やはり結構面白い本であったという証左ともいえます。読書ガイド的な性格もある本ですから、本書からこのように話を広げるというのは、案外正しい読み方なのかも知れません。
さて、マニア的な細かい話ばかり書いていても何ですし、ことのついでに趣向を変え、古本屋でたまたま発掘した、文豪でない人の大陸横断鉄道旅行記を紹介しようとも思ったのですが、諸事多忙に付きまた今度。
※追記:文豪でない人の話はこちら→北米篇・欧州篇