今日の東急デハ5001号の状況(51)
本日、所用の帰りに、久しぶりに見てきました。本来は、もっとシステマティックに観察できるようなフォーマットを整えなければならない(それを整えれば誰でも同じように観察できるように)と思うんですけど、なかなかそんなことをやっている余裕がなく・・・せめて過去の観察データだけでも、もそっと体系的にまとめるべきと思っていますが、とりあえず観察だけは何とか続けるつもりです。
まずは例によって全景から。この写真はクリックすると拡大表示します。
では、久しぶりなので、以下に主だったところの写真を一通り列挙していきます。
車内の展示自体は、今年の1月以来変わらない「渋谷『大好き』観光写真コンテスト」という企画の展示でしたが、中吊りが変わっていました。
で、この中吊りで初めて知ったのですが、渋谷区は小学校跡地に文化施設を建設し、そこにプラネタリウムを設けるのだそうです。2010年秋完成予定だとか。2001年に五島プラネタリウムが惜しまれつつ閉館してからおよぞ10年の時を経て、渋谷にまたプラネタリウムが出来るわけですね。こういった総合文化施設自体は、こういう言い方も何ですが、「ハコモノ」として常套だろうとは思います。しかし、そこにプラネタリウムを載っけるとは、渋谷の関係者にはプラネタリウムへのこだわりが結構あったのでしょうか。
「ハコモノ」とは書きましたが、このような施設自体は結構なことでしょう(場所柄、多分有効に活用されるでしょう)し、プラネタリウム復活というのも素晴らしいことと思います。デハ5001号もこういう施設内に展示されるというならまだ良かったんですが。
あとはただ、その施設にネーミングライツで珍妙な名前がつかないことを祈るばかりです。
小さい人間ね。
ただ、施設自体は結構旧式だった記憶が。
あなたにとってはどうでもいいことでも、すべての人にとってどうでもいいわけではありません。
>無名さま
小生も小学生の頃何度か行った覚えがあります。学生時代以降は足が遠のきましたが・・・
>めかちゅーん様
なるほど、五島プラネタリウムは高品質だったんですね。小生は五島しか行ったことがなかったので、プラネタリウムとはそういうものと思っていましたが、結構贅沢だったのかも知れません。
>ROM者です。様
コメントありがとうございます。
屋根は必要ですね。それこそ、こんなハコモノを作るなら、そのホールにでも置いてはどうかと思います。
>憑かれた大学隠棲氏
愛は大事。
メガスターって、個人の手作りから始まったんですね。愛のなせる業。
高校の頃化学部に顔を出していいましたが、何故かその部の文化祭の出し物は、自作キットを活用したプラネタリウムでした(笑)。ドームを、ベニヤ板をサッカーボールの要領で五角形と六角形を組み合わせて作りましたが、それを「フラーレンドーム」と名付けたところだけ、化学部でした。これも愛。
五島プラネタリウムは懐かしいですが、ある意味でそういう牧歌的な時代は終わってしまったのかもしれません
ところで、だいぶ気に掛けておられる錆やひび割れですが、現役当時でも経年劣化によりこの程度は出てきてました。ただ現役時代は、何年かに1度(確か3年?)長津田工場に入り、入念な検査があり、車体についても塗装の中まで検査をして、錆やひびをハンマーなどで叩いて剥離し、パテで補修をして塗装しなおします。今後そこまで手を掛けて修繕して貰えるか心配です。いい加減な塗装→錆が広がる→修復不能→解体とゆうことの無いよう祈っています。
だらだらと書き込み、申し訳ありませんでした。
コメントありがとうございます。実際に整備に関わっていた方のお話が伺えて、大変嬉しく思います。
なるほど、現役当時でもこの程度は劣化したのですね。確かに、地方私鉄ではこれより遥かに悲惨な状態で走っている車輌はいくらもありました・・・
工場の整備が3年に一度としますと、今年の10月で5001のハチ公前設置以来ちょうど3年経つことになりますので、まさに修理の大事な時となります。しかし、区の5001への関心が低下傾向にあるとしか思えないことからすると、あまり多くは期待できそうにありません。何か手段を考える必要が出てくるかも知れません。
今後とも5001は追跡していきたいと考えておりますので、ご愛顧いただけましたら幸甚です。
ました。)
東急5000系 5200系の長津田保存に努力された、旧東急車両部長
宮田道一氏の尽力で、伊豆急から長津田工場の入れ替え機として、いわば動態保存されていた同機の解体は残念です。
日本車両 豊川鉄道(飯田線後の就役でしたが) 伊豆急と中部地方にて活躍してきた同機を、JR東海が建設中の博物館にて展示できなかったのか、悔やまれます。
戦時型としても貴重な存在ゆえに・・・・
東急8001も解体との情報もあります。
東急の文化政策とはBUNKAMURAなる「箱もの」をつくることのみだったのか・・・
それにしても、宮田様の尽力が壊されていくことに、無念を感じ憤怒の念
を強く持つこの頃です。
貴殿は産業遺産・しいては文化財の保存・伝承とはどういうものか
本質をお分かりでない「たわけ者」とお見受けいたしました。
貴殿の投稿は貴殿の知的・文化的水準を、満天下によく知らしめて
いただいた物と理解させていただきました。
丸の内の三菱1号館は解体の後、復元というプロセスにいたりました事、ご報告申しあげます。
(どう、ご理解されるかは、貴殿のご意志でしょうが・・・)
こちらこそご無沙汰しております。この記事の続報が長らくありませんで申し訳ありません。溝の口を取材し、栗原まで行っておきながら渋谷を取材していないとは、申し訳が立ちません。
毎度ながら情報有難うございます。電機の解体も残念ですが、東急の歴史上少なからぬ意義のある8000シリーズのトップも解体とは、電バスを何のために作ったのかと言いたくもなります。
結局、宮田さんという一個人の努力でしか歴史的文物の保存もされてこなかったことの限界が露呈してしまっているようですね。企業の社会的責任の一環と認識されるようにならなければ、今後も同じことが続くでしょう。「鉄道ブーム」「工場萌え」とかの風潮がそれにつながるかどうか・・・。
企業のそういった活動に税制上の優遇措置を取れるようにするとか、動態保存する機械の守るべき安全基準を現役のものと別個にするとか、制度的な取り組みが必要になると思います。
「通りすがり」氏は、きっと産業遺産保存において多少の錆程度は気にするなとおっしゃっているのでしょう(苦笑)
解体費用相当分は東急持ちで、残りを相手先餅で引き取ってくれるところを探すくらいはたいした手間ではないわけですから、それすらしないってのはやはり担当者の私怨なのでしょうなあ
東急8000はトップナンバーよりも軽量試作車のようが価値がありそうですね。つぶしちゃったらしいですけど。日本の構造力学史上も計算科学上もw
これでは8001の保存なんて夢の夢ですね。残念。
むしろローカル私鉄とかの方が、地元との縁が深いということで「道の駅」や地方公共団体で引き取ってくれそうです。大手私鉄の方が地元との関係が希薄な分(住宅開発という別な方面では関係が深いですが)、そのような引き取り手は見つかりにくいのかも知れません。でも東急の場合、電バスがあると思うのですが・・・
企業による保存活動の限界でしょうか。
全く残念です。場所がなかったとは思えないのですが・・・鉄道も経験の積み重ねが重要な分野と思いますが、それへの配慮がない(一時はあったらしいのが失われている)というのは、相当に問題がありそうです。