鉄道と漫画・MATSUDA98篇 19才の「鉄道むすめ」はなぜ死んだか
先日、書店で平積みになっていたのを何気なく見かけ、つい購入してしまったのがこの一冊。
MATSUDA98
「鉄道むすめ」という、鉄道の現業従業員の制服姿の美少女フィギュアのシリーズがあるということは知っていましたが、フィギュアには関心がないので特に注意を払ってはいなかったところ、マンガになっていたのには驚きました。というか、どうやらフィギュアから小説やらゲームやら実写ドラマ(!?)やらにメディア展開し、これはゲームを漫画化したものらしいです。うーん・・・
小生はそれだけいろいろ展開しているらしい「鉄道むすめ」業界については全く疎いので、これから自分が書く感想がとんでもなく頓珍漢ではないかという恐怖に襲われましたので、まずは斯界に通じておられる先達の方々の感想を、検索して発見した範囲でご紹介したいと思います。
・「こばぴょんのブログ」さん
・「アーリオ オーリオ」さん
・「mujinの日記」さん
・「Planetary Diary」さん
・「それは舞い散るマッチのように(ただいま受験生!!)」さん
・「日々に暮らす」さん
・「マンガ肉が足りないっ!」さん
・「睦月堂工房」さん
・「みきろぐ♪」さん
・「青い留置線・改」さん
・「犀の目ぶろっぐ」さん
・「ゆな日記」さん
・「3日坊主のメイドさん」さん
・「びぜんやのみたものよんだもの」さん
・「side=2」さん
数多く見つかりました。なかなか人気のようですね。感想を書かれている方は、どちらかと言えばマンガや「萌え」方面にご関心の方が多いようで、鉄道も好きそうな方も見受けられますが、そういう人以外にも浸透することに成功しているようです。しかしこうなると、がっつり鉄道のことを書くつもりの小生はやっぱ頓珍漢なのかと・・・
本書は3部構成で、それぞれが前後編に別れています。前篇は雑誌記者(男)が各々の鉄道を取材に行って「鉄道むすめ」に案内してもらい、後篇が彼女たちのエピソードになっています。取り上げられているのは順に、銚子電鉄・三陸鉄道・広島電鉄です。個人的には以前どれも乗ったことがあるもので(三陸鉄道は全線乗ってないと思いますが。確か小本から岩泉にバスで抜けたので)、その折のことを思い出しつつ読みました。昔行った時はまだ「己斐」駅だったなあ・・・
小生の感想ですが、女の子の絵はとても可愛いし、お話もラブコメ的なのではなくて、鉄道を舞台とした職業意識とキャラクターの成長がテーマとなっている真面目なもので、それに観光案内というか地域振興的な要素も盛り込まれています。鉄道会社も随分協力的なようで、このマンガとタイアップしたスタンプラリーをやっているそうです。
このような、「美少女」+他の何か、的なものについて、当ブログでは以前『おしおき娘大全集』を酷評したことがありましたが、このマンガ版『鉄道むすめ』はそのような問題はありません。絵師のMATSUDA98さんは、鉄道なんか知識もないし描いたこともない旨を書かれていますが、やはり現地取材の成果か、情報もいろいろ盛りだくさんで、面白く読めます。もしかすると「鉄道むすめ」抜きの番外編取材マンガが一番面白かったり? かはともかく、他の「萌え」+ネタ的なものと違い、見に行って乗って感じることができるものだけに、ちゃんと取材すれば、他のその手のものが陥りがちな弊を免れた、地に足の付いたものになるのだろうと思います。
このような媒体を通じて、直接観光収入に結びつくという形でなくても、鉄道への認知度と好感度が上がることは、現今の社会情勢に照らしても結構なことと思います。否、むしろ直接的な収益よりも、無形の好感度の方が重要かも知れません。結局、銚子や三陸のような鉄道の存続は、地元の支持にかかっているわけですから。また広島も、路面電車が存続できたのは、警察が軌道内自動車乗入禁止に理解があったことが一因と聞きますが、これも地元の理解なくしてはできないことです。
という感想を抱きましたが、一方で多少改良して欲しい点も感じたので、絵とお話とでそれぞれ一点づつ。
絵については、女の子はそらもう可愛いんですけど、鉄道車輌がいまいち可愛くないのです。鉄道の絵に間違いがあるとあら探しをしたいのではありません、むしろ本作の車輌の絵は正確です。写真資料を活用しているのでしょう。でも、その正確な車輌の絵と、「萌え」な美少女の絵を並べると、どうもしっくり来ない感じを受けてしまいます。お互いに浮いてしまうというか。
では「可愛い」鉄道車輌の絵は、といって小生が即座に思い浮かべられる実例は、『速水螺旋人の馬車馬大作戦』巻頭を飾る「頭上の装甲列車」しか思いつかないのですが、「メカ」全般となれば宮崎駿『雑想ノート』も挙げられるでしょう。これらの作品では、美少女とメカとが一つの世界に馴染んでおり、しかもデフォルメされたメカの描写が、写実性と両立しているのです。
もっともそれは、マンガの歴史において、女の子を漫画的にデフォルメして描く技法が長年にわたって発達してきたのに、メカものの中でも特に鉄道車輌については発達してこなかったせいもあるんじゃないかなと思います。それは昔、『アドルフに告ぐ』を読んでいて、手塚治虫以来の理由があるんじゃないかと思ったことがありますが、話が逸れるのでその話はここまで。
お話については、銚子電鉄の章でせっかく、取材に来た記者が「鉄道むすめ」さんに「今日つくしさんがするべきことは観光案内なんかじゃなかったんじゃないですか?」という台詞があったのに、地域の乗客の影が薄かったのは残念だなあという気がちょっとしました。結局、外から来る人の視点にとどまっていて。
どこで読んだか聞いたか忘れましたが、ローカル私鉄の経営について印象に残っている言葉に、「観光客100人が乗った売上は、沿線の高校生一人が自転車通学に切り替えることで吹き飛んでしまう」というのがあります。「ローカル線研究をするなら先ず沿線の高校に行け」とは、地方鉄道研究第一人者の方から聞いた言葉でした。黒部峡谷鉄道のような例もありますが、やはり鉄道の多くは、沿線の顧客あってこその存在でしょう。そしてローカル線の場合、その中心は高校生と老人である場合が大半です。
というわけで、制服の女子高生をいっぱい出して、「鉄道むすめ」との間で「百合」風味も交えれば売上がさらに2割増し・・・になるかな?(笑)
もっとも、では日常を支える安全や安心、を中心に据えたら、「鉄道むすめ」より「鉄道おばさん」の方が適切な気もしてきます。ロシアの電車みたいな。
てなわけで、今まで敬遠していた「鉄道むすめ」ものでしたが、このマンガはなかなかと思います。改良を加えて続きを・・・と思ったら、どうも連載終了したみたいですね。残念。
フィギュアからの展開なら、小説や実写ドラマと較べても、マンガというのはもっとも素直そうな選択なのに、案外扱いが軽いですね。これもやはり、マンガの文法で鉄道車輌を「可愛く」書く手法が確立されていないから、なんでしょうか。
さて、既に充分長いですが、本書では安全を守るという鉄道員の責務が一つのテーマになっており、また広島電鉄のところで戦時中の女子職員の話が出てきたので、ふと思い出したことがあり、この機会に書いておきます。
お話の前に、文字ばかりでも何なので一枚。
『新潟市史 通史編4 近代(下)』(新潟市)p.427より
『日本民鉄電車特集集成 第2分冊』という、『鉄道ピクトリアル』誌の過去の記事から私鉄電車に関するものを集めた本(この本自体発行以来30年経ってますが)が小生の蔵書中にありまして、当時東武鉄道の杉戸教習所長であった早川平左衛門という人の書いた「今にして思う」という文章が気になっています。以前読んでいたのですが、最近調べ物で本書をまた繙き、思い出したのでこの機会に。
この記事が何年に書かれたかが記載されていないのですが、三河島・鶴見の事故からさほど経っていない時のようです。昭和40年前後でしょうか。
この記事は、戦時中東武で起こった「社有史上最大」の事故について、直接は書いたものです。1945年4月11日、東武伊勢崎線剛志~新伊勢崎間で、タブレット扱いの間違いから下り貨物列車(蒸気機関車牽引)と上り電車が正面衝突し、死者58名、負傷者240名に及んだという大事故でした。早川氏はこの事故を回想し、原因について以下のように述べます。
今にして思う、応召者は日を追って増加し、男子従業員は極端に減少したので、これが補充のため職場に働く女子従業員を運転士に養成する方針を樹て、直ちに実施されたのである。養成期間は電車構造と機器の取り扱いにつき2~3週間、電車運転見習約1カ月を目途に15人が養成され、単独作業についたのであった。なお内1名は単独仕業いくばくもなくして、当社佐野線渡瀬駅構内において正面衝突事故を惹起し、19才を一期に女子運転士初の犠牲者として惜しくも鉄路に散華したものである。本件(註:伊勢崎線の正面衝突)運転士もまたこれに準ずる短期養成者であって、今にしてこれを思えば教育の徹底と指導の充実によって、よくこれを防ぎ得たものとして惜しまれてならない。小生が知る限り、空襲に巻き込まれて亡くなったのは別として、女性の運転士が事故で殉職したケースはこれしか聞いたことがありません。しかし、本件は詳細が分からず、東武の社史にも東武労組が作った三十年史にも記載がなく、日時も状況も分からないのは悲しいことです。どなたか詳細をご存じの方がおられましたら、是非ご教示下さい。
この事故(伊勢崎線も佐野線渡瀬駅も)の原因について、早川氏は要するに、戦時中のこととはいえ訓練が不十分だったことに帰していますが、どうなのでしょうか。確かに戦争中に事故が多かったことは事実ですが、他の会社も同様だったのでしょうか。
戦時中の男手不足を補った女性運転士については、『鉄道ピクトリアル』2007年3月臨時増刊号(通刊787号)の京成特集号に、白土貞夫「京成の女性運転士第一号 髙石喜美子さんに空襲下の運転の想い出を聞く」という興味深い記事があり、元女性運転士の方にインタビューをしています。その中で、髙石さんが受けた講習について、「講習は津田沼教習所二階で行われ、最初の1ヵ月間は運転法規、続いて車庫での実習が1ヵ月、最後の1ヶ月が私達がお師匠さんと呼んでいた指導運転士が付き添っての見習い運転でした」と語っておられます。
これを東武と比較すると、京成が教育に3ヵ月かけたのに対し、東武は1ヵ月半に過ぎません。戦時中とはいえ、やはりあまりに焦りすぎて時間をかけなかったことが、東武で19才の女性運転士が殉職してしまった原因の一つなのかも知れません。せめて京成くらいかけていれば・・・髙石さんの回想に事故で死者が出た話はありませんので、京成ではそのような事態はなかったようです。
髙石さんの回想には、床下のラインブレーカーが火を噴いたので、火事になっては大変と感電の危険も顧みず「夢中で屋根に駆け登ってパンタグラフを下ろした」という、職業意識を感じさせる話もあります。当時の電車は車内からパンタグラフの操作ができなかったんですね。また、妹さんも京成で車掌を車掌をされていたんだとか。
女性と鉄道の仕事の関係については、まだ書きたいこともあるのですが、最初のお題から外れまくってるし(いつものことですが)、充分長いのでこの記事はここら辺でいったん打ち切ります。
次回の続篇「もっとも過酷な仕事に従事した「鉄道むすめ」たち~8メートルの雪を除雪せよ」(仮題)をご期待下さい。
※追記:続篇が完成しました。こちらへ→「もっとも過酷な「鉄道むすめ」の仕事 8メートルの雪を除雪せよ 附:飯山鉄道の隠しておきたい歴史」
8メートルの除雪については、「小学生と東京育ちの母親による雪との戦い。」や、「村長自腹でブルトーザー購入。」、「連隊玉砕の地にて校長、建機で奮闘。」という話がいくらでもできるかと。
おかげさまで、塹壕構築及び戦車埋設はトップレベルでした(笑)。
路面電車といえば、母の高校時代の話として、「白バイから逃走中のオートバイ、軌道にて転倒。」、「路面電車の前に座り込み、停車させられるか大会(一人しか実行できなかった模様)。」、「オートバイにて軌道上逆走チキンレース。」等と言う俄かには信じがたい話がちらほらと・・・。
だから、川向こうの方々は・・・。
広島に関しては、「チンチン電車と女学生」という本が有名なようですね。小生は未見ですが。
しかし、原爆の問題にしてしまうと、戦時下の特殊状況下で反って見えてくる交通問題が置いて行かれる気が多少します。主題の置き方の相違なんでしょうが。
「チンチン電車」だとか「SL」だとかいう表現は個人的には使わないようにしています。9200形を「大コン」と呼んでもC57を「貴婦人」とは呼びません。
この『鉄道むすめ』で一つ感心したのは、広島電鉄の回に「チンチン電車」という過度にウェットな表現が出てこなかったことです。まあ、美少女キャラクターが「チンチン」連呼してもあれですか(下ネタ失礼)。
川向こうの城東電軌はいろいろ大変そうですね。京成が創業時から専用軌道主体にしたのは賢明でした(笑)。
それはそれとして、併用軌道はバイクには滑りやすそうですね。路面電車廃止は四輪以上に二輪に好都合だったのかも知れませんね。
ほころびといえば、廃止前の野上電鉄の、座席のつぎはぎぶりが思い起こされます。
鉄道を、日常を支える安心さと捉えれば、むしろ恰幅の良いおばちゃんこそ、「看板娘」に相応しいんじゃないかと思います。
>憑かれた大学隠棲氏
アサミ・マート『木造迷宮』の「女中萌え」はまさにそうですね。ですが、「鉄道むすめ」は、最近の登場の女性鉄道員が題材で、歴史的なものはないですよね。この辺どうなんでしょう。
この時代は、戦争を遂行するためには「なんでもあり」であったわけで、京成の自動信号と東武の非自動という保安上の大きな差もあり、現在の感覚から「たられば」を言っても仕方がないのではないかと愚考するものですが……
ところで、「鉄道むすめ」の勧進元の会社で「バスむすめ」という商品があり、路線バスの車掌のフィギュアを「バスガール」と紹介していますが、これは女性労働の立場から見ると蔑称であったようで、当時は「東京のバスガール」などという流行歌にも神経をとがらせていたようです。現在、何の抗議もされていないような形跡を見ると、昭和は遠くなりにけりなのだな、と感慨を新たにします。
コメントありがとうございます。
やはり本件についての情報は乏しいようですね。新聞資料がこういった事故では重要ですが、それも頼りにならなさそうなのが戦時中で、土浦事故の先例を見ても調査は難しそうですね。
仰る通り、全線複線自動信号で電車のみの京成と、単線通票閉塞で電車と蒸機列車が入り乱れていた東武とではかなり状況は違います。しかし、その点安全対策がより重要そうな東武の方が、京成の半分しか教育に時間を割かなかったのは、どういう事情があったのか、気になった次第です。
バスについてはご指摘に全く同意します。
小生も以前、MaIDERiA出版局のサイトでバス女性車掌について、村上信彦『紺の制服 バスの女性車掌たち』(三一書房)や正木鞆彦『バス車掌の時代』(現代書館)を紹介しました。最近は東武バスの女性労働者に取材した本がドメス出版から出ています。
その中に、女性車掌たちが、コロムビア・ローズの「東京のバスガール」の歌が大嫌いだったという話が出ていました。ところがその心情を、上司たる男性社員は分かっていなくて、社員旅行の宴会で歌おうとして総スカンを食ったとか。
「鉄道むすめ」的な取り上げ方は、こういった問題をなかったことにしてしまう危険性は孕んでいると思います。その点は留意し続けるべきですね。
今後とも宜しくお願い致します。
憑かれた大学隠棲さんの
「職業婦人とかおいう概念が消滅して初めて萌えに持ち込めるんですかね。冥土しかり」
というご指摘は鋭いですよね。
>「鉄道むすめ」的な取り上げ方は、こういった問題をなかったことにしてしまう危険性は孕んでいると思います。その点は留意し続けるべきですね。
まったくその通りだと思います。「萌え」は楽しくないことはないんですけど(笑)、なにか物事の本質を隠蔽しているようで好きになれません。労働の問題については、私はイデオロギー的に
距離を置いて見ようと思っていますが、「萌え」にしてしまうと、「歴史を掘り起こそう」というモチベーションはなくなりますね。
たびたびありがとうございます。
正木さんはそのようなお仕事の方だったとは、確かに意外です。あるいは、バスの女性車掌自体が宣伝メディアたりうると思われていたのでしょうか。
「萌え」が歴史などの探求心につながらない、というご指摘については、全く同意します。小生も以前より考えておりましたが、メイドに凝っていた一時期の経験からしても、「萌え」は浅い感興や仲間内の「ネタ」として消費されてしまいがちだと思います。
森伸之氏は偉大ですね。あの姿勢こそ、「マニア」の鑑と思います。で、その成果をつまみ食いで消費して、すぐ飽きてどっか行っちゃうのが「萌え」と・・・