くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇
なぜ栗原に行ったかといいますと、さる4日、栗原市で以下のようなシンポジウムがあったからです。
シンポジウム 「くりはら田園鉄道の歴史と遺産」これは鉄道史学会の例会として行われたものですが、同時に一般の方にも公開して、くりでんの遺産について広く知ってもらおうという企画でした。で、このシンポジウムの附属企画(巡検)で、廃線跡と細倉鉱山の見学がありまして、本記事は主にその模様をお伝えしようと思います。主催: 鉄道史学会 協賛: 栗原市
1. くりでん資料を未来に―宮城資料ネットの保全活動―
平川 新(東北大学)
2. 宮城県の鉄道発達史とくりでん
高嶋修一(青山学院大学)
3. くりはら田園鉄道の諸建築について―若柳駅舎(本屋・機関車庫など)及び沢辺駅舎―永井康雄(東北大学)
4. 大河原・村田・蔵王を走った仙南温泉軌道
岡崎明典(白石高校)
5. パネルディス カッション「戦後のくりでんを語る」
進行役 大平 聡(宮城学院女子大学)
パネリスト 佐々木四男(くりでんOB)
高橋 啓三(くりでんOB)
石川 金悦(くりでんOB)
まず、シンポジウムの状況を簡単にご紹介。小生は受付の手伝いなどしておりました都合上、その内容をきちんとご紹介できないのは残念ですが、ご諒承下さい。
シンポジウム来場者のために厚いレジュメが用意されていましたが、120部用意したのが全部なくなって、お渡しできなかった来場者の方もいるという盛況ぶりでした。会場の入りの良さは上の写真からもお分かりいただけようかと思います。
なにより、栗原市長が挨拶をしたということには驚きました。それだけ地元の方の関心も強く、また地域興しとしても期待されているのでしょう。地元のマスコミも幾つか取材に来ていました。第3セクター化されていたくりでんは清算後、残ったものを市に譲渡し、その中で価値あるものを選んで残し、また活用していこうというのが栗原市の計画だそうです。そのために専門家を集めて委員会を作ったのですが、岩手・宮城内陸地震で委員として栗原を訪れていた岸由一郎さんと観光コンサルタントの麦屋弥生さんが亡くなられるという悲劇が起こってしまったのです。しかしこの大きな喪失を乗り越えて委員会は今年報告書を出し、保存と活用への途が開かれたのです。
栗原市の意欲は、くりこま高原駅にこんな張り紙をしてあったほどです。
シンポジウムの内容は、1.が宮城歴史資料保全ネットワークのかつどうについてと、その活動の一環としてのくりでん資料の保存について、2.はその資料中の文書史料からどのようなことが見えてくるか、その一例としての研究報告(この内容は後で触れます)、3.はくりでん駅舎の状況と価値の調査結果について、4.はくりでんではありませんが、宮城県の戦前に廃止された軽便鉄道についての研究報告、5.がくりでんOBの方の座談会というかインタビュー、でした。
4.の報告者の岡崎氏は現役高校生だそうで、末恐ろしい人材であります。彼は調査をまとめた自作の小冊子を何十部か持参されていましたが、引く手あまたでたちまち完売してなお問い合わせが多くありました(小生も一部確保したので見たい人は一声)。あとでご本人に直接伺ったところ、将来出版の野望もおありのようで、そのうちRMあたりのシリーズで出るかも知れません!? なお岡崎氏、報告の末尾で鉄道趣味者の社会的地位の低さを嘆かれておりましたが、「マニア」「おたく」の中で鉄道趣味の社会的地位はマシな方だと思います。
閑話休題、本シンポについてはネット上で以下のようなレポがありましたのでご参照下さい。
・電車、バス、ふね、ときどき自転車さん
それでは本題の、翌日の巡検で見学したものを。バスで幾つかの駅をめぐり、最後に細倉鉱山内の遺構を見学しました。
なんだか2年前にも同じような構図の写真を撮った覚えがありますが、この日は特別に内部を見学させていただきました。この建物は元々寮だったのを改造したのだそうです。中は鉄道営業時代そのままの部屋もありましたが、2階の大広間は以前展示会をした(?)時の鉄道関係の品を一面に並べていました。
(この写真はクリックすると拡大表示します)
タブレット閉塞器といえば赤く塗られたもの、というイメージがありますが、これは青。タブレットのトークンが一回り小型で、トークンの取り出し方や収納法も一般的なもの(赤塗りの)とは違っているようです。
個人的に魅せられた一品。
ついで、若柳駅を見学。同駅は車庫もある運行の中心地で、保存される予定だそうです。しかし、駅構内を道路が通過する予定だそうで、ホームの一部は撤去されるようです。なお、工事は本年9月から始まり、本年度中(来年3月末)には開通させたいとのことでしたので、若柳駅の情景を偲びたい方はこの夏休みが最後のチャンスです。
いくつか写真を。デジカメのメモリーを忘れたので、容量確保の関係上サイズを落としたため、出来映えが碌でもないのは何卒ご勘弁を。
(この写真はクリックすると拡大表示します)
(この写真はクリックすると拡大表示します)
(この写真はクリックすると拡大表示します)
色調がミスで変になってしまいましたが、まあセピア色という感じなので載せてみました。地元の方の熱意で、このM153電車はシンポジウム直前に車内が清掃されていました。以下の河北新報の報道をご参照下さい。
「くりでんピッカピカ 5日、鉄道史学会シンポで披露」
折角なら、この清掃活動をされたような方々との懇談の一席でもあれば良かったと思うのですが、その辺りの調整がなされなかったのは諸般の事情あってとは思いますが、今にして思えば多少残念ではあります。
外側はさすがに色あせて錆も出ていますが、綺麗になった車内の様子はこの通り。
駅のたたずまいは、2年前に来た頃とほとんど変わっていませんでした。
(この写真はクリックすると拡大表示します)
上の写真をクリックして拡大表示していただけますと、ピンク色の目印が設けられているのがお分かりいただけようかと思います(ごく小さいのですが、色が目立つので分かります)。これが、今年度中に建設予定の道路の一端を表す目印で、この写真の場合目印より手前が道路になるそうです。駅舎と車庫の間を縫うような感じになるので、建物には直接影響しないようですが、ホームは一部撤去されることになります。もっとも、若柳駅構内で動態保存を行う計画があるそうで、観光に来てもらうとすれば道路事情の良い方が効果があろう、という考え方もあるようです。
この同型車にはくりでんに乗りに来た際にも乗りましたが、そういえば昔名鉄の八百津線や三河線の末端当たりでも乗ったかも。
この車輌は確かに、前回来た時乗りました。しかし新造以来10年ちょっとしか使わなかったわけですから、これは保存よりもどこかで再起するという方が・・・
ついで沢辺駅の状況。残念ながらこの駅の駅舎は解体予定だそうです。若柳駅の駅舎とよく似ていて、そこに意味もありますが、同じようなのを二つ残すわけにも行かないということなのでしょうか。
それにしても、この日はどうも写真の出来がひどくて、我ながら憮然とすることしきりです。
引き続き、栗原駅や車庫・倉庫の中、鉱山と精錬所の様子をお伝えしようと思いますが、既に充分長いのでこの記事は一旦ここで切り、次回に続けます。
※追記:本記事の続きは以下の通り。
・くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 中篇
・くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 後篇