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筆不精者の雑彙

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史実の『大正野球娘。』 大正14年に実在した少女野球チーム

 なんか忙しさに目が回りそうで、それでいて眠気も取れず、いろいろ鬱積しております。
 ので反動で、以下にどうでも良さそうな歴史ネタを見つけたので一つご紹介。

 小生が唯一定期購読している雑誌は『月刊COMICリュウ』ですが、同誌でコミカライズ作品が連載中の『大正野球娘。』が、今夏アニメ化されてそれなりに話題になっておりました。当ブログでも何度か取り上げましたが、大正14(1925)年に女学生が野球をしようと奮闘する物語ですが、設定以外は漫画とアニメはほとんど違っておりました(笑)。原作は小生は未読ですが、どっちに近いんでしょうね。

●小説版

神楽坂淳(挿絵:小池定路)『大正野球娘。』
 小説版は現在3巻まで出ていますが、3巻は何故か『帝都たこ焼き娘。』という表題になっております。
●コミック版

伊藤伸平(原作:神楽坂淳)『大正野球娘。 1』
 こっちは2巻まで出てます。






 ところで、大正14年といえば、前年に阪神甲子園球場もできているし、野球人気はすっかり定着した時期ではありますが、女子野球チームなんてあったのでしょうか。小生はスポーツ史や教育史にはあまり関心がないので存じませんが(電鉄会社の兼業と沿線開発には多大の関心を寄せていますが)、ウィキペディアに「女子野球」なる項目があって、「1924年には福岡県立直方高等女学校(現・福岡県立直方高等学校)野球部と熊本県立第一高等女学校(現・熊本県立第一高等学校)野球部とが日本初の女子野球試合を予定していたが、前者が県当局の命令で解散させられ実現しなかったという記事が『福岡日日新聞』に掲載されている」なんて記述があります。無いわけではなかったんですね。

 で、最近小生、仕事で『山梨県史』の資料編をひたすらめくっておりましたところ、上の小説や漫画やアニメの舞台である、まさに1925(大正14)年に、少女野球チームが存在したという記事を見つけましたので、以下にご紹介します。
 それは、『山梨県史 資料編19 近現代6 教育・文化』に収められている、『山梨日日新聞』の大正14年11月3日付の「大正十四年度山梨県下運動年鑑」という記事(資料番号315、p.915~)で、この年正月から10月末までの山梨県でのスポーツ関係情報総まとめ、のような記事です。ここから野球に関する記述を引用してみましょう。なお仮名遣いを読みやすく直しています。
 野球界
 春の大会に聯隊が優勝した後のシーズンはホット一息いれた貌であったが、法政対オール甲府軍の一戦に煽られたファンの熱は次第に高まって爾後の筍の□(注:欠損)に生まれ出た市内各町チームや村の青年団チームの対抗戦などが其処此処で行われて百花爛漫の賑いを見せた。
 (中略)
 「女子の野球は」と文部省あたりの役人が兎や角問題にしている間に本県には早くも少女チームさえ生まれて郡内の球界を賑わせ、遠く本場のアメリカからは花秘かしい女子の野球団が来朝してお転婆振りを発揮して皮肉り廻る。
 更に天高肥馬秋の県下大会は二ヶ月に亘って回を重ねる毎に人気を博したが(一)対法政戦に初めて入場料を徴したこと(二)三十歳以上の天狗クラブの出現や(三)少女チームの活躍振りなど二十年前の素手素足からサシコのズボンの野球時代と比較すれば甲州の野球も全く隔世の感があるといえよう。
 この後、山梨でこの年行われた野球の試合結果が延々と続きます。県史の資料編にして10ページくらいあります。他にもテニスだの武道だのの話もあり、この日の山梨日日新聞はスポーツ特集で埋まっていたのでしょうか。
 その試合の中には、実は少女野球チームの話はなかなか出てこず、はっきり書いてあったのは以下の一つしか見つかりませんでした。この年9月27日のことです。
郡内少年野球戦 谷村小学校に挙行、参加チーム八、評判の少女チームは尋五チームに惜敗し尋五城下竜門ハート一勝す
 郡内とは山梨県東部の都留郡あたりのことですね。谷村は現在の都留市です。
 で、少年野球の中に少女チームもいた模様。8チームで4戦して、勝ったのが尋五・城下・竜門・ハート(ハイカラな名前だ)の各チームだった、ということなのでしょう。少女チームのチーム名が不詳なのは残念。
 対戦相手がチーム呼称から尋常小学校5年生と推測されますので、彼女らも小学生でしょうか。もっとも小学生でも、男子相手に多少のハンデとして、高等小学校の生徒でチームを作れば、年齢は14歳も含むことになって、まさにアニメ版『大正野球娘。』でやっていた、桜花会vs近所の小学生の試合状態だったかも知れない、と妄想は膨らみます(笑)。
 本件の詳細に関し、地元の方などからの情報提供をお待ちしております。旧谷村町の町史でも調べれば載ってるかな? 『大正野球娘。』ファンの山梨県民の方は、一つ原資料でもあたっては如何。

 余談ですが、記事中に出てくる野球チームで「聯隊」って、これは甲府の第49聯隊のことでしょうね。で、聯隊の野球チームは対外試合もしょっちゅうやり、山梨球界の強豪チームとして名を馳せているようです。
 数えたらこの年10ヶ月間で13戦7勝(新聞社主催の県大会で優勝1回)の戦績を残しておりました。・・・演習そっちのけで練習してたのかなあ、もしかして。聯隊チームが打って勝つと、新聞に「健棒大いに振るって」などと書かれてありましたが、「健棒」という表現は今でもスポーツ新聞で使えばと思います。

 てなわけで、大正14年に、少女野球チームが試合をした史実は存在しました。是非、『大正野球娘。』の今後の展開に、山梨遠征を入れていただきたいと思います。実際、法政や慶応などが遠征に行っているようですね。
 ところで、小生は小説版『大正野球娘。』は読んだことがないのですが、書店で本書に参考文献が載っていないか好奇心で覗いてみたことがあります。すると載っていたのですが、なるほど東洋英和の校史やお馴染み『女學生手帖』などが載っていたのは納得ですが、それにしても食物史関係の本がえらく多かった印象があります。なるほど、主人公・小梅の家が洋食屋だから、そこの描写に必要だとは思いますが、しかし『魯山人味道』とかは別に関係ないような。大体魯山人は和食の人だし、この本に載ってる記事はみんな昭和のだし。
 てなことを書くのは小生も中公文庫の『魯山人味道』は持ってるからで(『陶説』は持ってない。白崎秀雄『北大路魯山人』は持ってるけど読んでない)、「まぐろの茶漬け」とか早速実践してみました。簡単でなかなか美味しく、これはお勧め。
 閑話休題、コミック版が野球を離れて「マッドエンジニア乃枝さん暴走の日々」と化している一方、原作小説の3巻は『帝都たこ焼き娘。』となっていて、これまた野球でなくなっています。もしかすると著者の神楽坂氏は、野球よりも食べ物の歴史にご関心がおありなのでしょうか(そういえば参考文献に、スポーツ史関係の文献が見あたらなかったような記憶が)。
 でしたら、是非次は、本件の史実を取り入れ『山梨ほうとう娘。』でお願いします(笑)

 ところで、『大正野球娘。』歴史ネタといえば、小生の周辺でも「金融恐慌や世界恐慌で、お嬢の家は没落するに違いない。そこでお家再興のため一旗揚げようと満州に渡って・・・」などと妄想を巡らしていた人がおりました。で、今回、この山梨のネタを先にネットで紹介している人がいないか検索した時に、以下のようなブログ記事を発見しました。

・落書きノート2冊目 ヽ(゚∀。)ノ さん「【アニメ・政治・社会】大正野球娘。」

 やはり考えることは皆同じ、ですね。
 このブログの執筆者の方は、三郎さんが日中戦争勃発時点で32歳だから召集されないかと心配されていますが、それはまさに危険で、1937年8月に東京第1師団管区から召集した中年の兵士で特設師団・第101師団を編成し、上海戦に投入しています。これが上海周辺のクリーク地帯攻略で苦戦を強いられ、相当の損害を出しました。現役部隊でも手強いところ、特設師団ですから一層の苦戦になりました。詳しくは当ブログでも昔紹介した『第百一師団長日誌 伊東政喜中将の日中戦争』をご参照下さい。
 更に、アニメ版で野球娘たちの練習試合の相手になっていた小学生たちの将来も、上掲ブログ執筆者の方は心配されてますが、確かに心配です。麻布周辺に住む彼らの多くはおそらく麻布第1聯隊に入営するでしょうが、年から行くと、2.26事件で反乱軍になってしまう可能性もありますな。それをやり過ごしても、第1聯隊は第1師団所属部隊として太平洋戦争に臨み(ちなみに甲府49聯隊も第1師団です)、そして第1師団は、フィリピンのレイテ島で玉砕します。
 アマゾンは、『大正野球娘。』関連商品に、大岡昇平『レイテ戦記』を入れるべきかも知れません。
 
 何だか暗い落ちになってきたので、最後は明るめのネタで締めましょう。
 本記事のおまけに、大正時代の女学生の体操服姿の写真を載せておきます。昔作った同人誌『大正でも暮らし』の使い回しですが。当時の女学生の体操着の一例です。
史実の『大正野球娘。』 大正14年に実在した少女野球チーム_f0030574_213730.jpg
『女学世界』1921(大正10)年3月号
「改良服を着用して運動中の福岡県立嘉穂高女の女学生」

Commented by 無名 at 2009-10-30 19:44 x
大正二輪娘を書きたいのですが(笑)。
ただ、ハーレーのエンジンの中で戦闘力のあるサイドバルブ二気筒が1929年に発売されているので(陸王のベース)難しいですね。
昭和二輪娘で良ければ、ハーレーのサイドバルブやOHV、トライアンフの二気筒もBSAのゴールドスターも使えるため話が膨らむのですが。
大正限定ですと、BMWが蒸気機関車と戦える数少ないバイクだと思われます(笑)。
Commented by bokukoui at 2009-11-08 23:44
読者を選びそうですね。
1920年代は蒸気機関車が爛熟していく時期ですが、内燃機関はまだまだ高度成長中というところでしょうか。電車もそういえば1920年代末~30年代が飛躍時代ですね。
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by bokukoui | 2009-10-28 23:59 | 歴史雑談 | Comments(2)