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筆不精者の雑彙

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夢の砂川ディズニーランド? 某学会で見た阪和電鉄のパンフなど

 いろいろと所用に追われ多忙きわまりなく、なかなか思い通りに物事が片付かぬ日々を送っております。近日中に書かねばならぬ論文や原稿類の数を指折り数えれば片手で足りず、腹が痛くなる思いです。
 まあそんな話をしていてもしょうがないので、最近の面白かった話を一つ。

 先週末小生は某学会で大阪にでかけ、そのついでに宇治電ビルを見てきたのは先日の記事の通りですが、その学会で見たものについてです。その学会では関西の私鉄の歴史を大会のお題として掲げ、いくつもの興味深い報告が行われましたが、それらをレジュメとメモから書き起こす余裕がないのが残念です。小ネタを一つだけあげれば、かの宮本又郎先生の謦咳に接することが出来たのは嬉しいことでしたが、その宮本先生が、

『民都』大阪というのなら、ちゃんと史料を見んとアカンですね」

 と原武史氏の『「民都」大阪と「帝都」東京 思想としての関西私鉄』を洒落のめし、なるほど関西ともなると大学の先生も駄洒落のセンスが問われるのかと感心しました。というのはともかく、原氏が史料をきちんと読んでいないという批判は政治史の分野で伊藤之雄先生がされていたかと思いますが、経営史でもやはり同様の評価のようでした。
 宮本先生は、自分は鉄道は専門ではないので、細かいところではこの道を長年やってきた人に敵わない、だからこのような時は“資本集約的”な話をすればよい(労働集約性=積み重ねた細かい知識では専門家が優位だから)、と前置きされて、鉄道統計を駆使した戦後私鉄の経営比較を発表されていました。確かに鉄道のように公式の統計が充実しているような分野の歴史は、勿論細かい史料の発掘は大事にしても、既にある資史料をしっかり読みこなし分析することから得られることもかなり多い、ということがよく分かったご報告でした。内容もさりながら、得るところが多かったです。

 さて、このように報告を総て紹介するとおおごとなので、わかりやすいものを一つご紹介。
 この学会では、創設以来の大御所の某先生が今回、記念講演をされたと同時に、秘蔵のコレクションを展示されていました。長年の鉄道史の専門家(≒マニア)の面々も、こんなの初めて見たと口々に嘆声をあげる逸品ぞろいで、例えばごく初期の箕面有馬電軌(現阪急)の案内パンフなど、一般的な阪急のイメージとは異なった、花柳界のセンスに傾いたものだったり、分析すれば面白そうですし、細かいこと抜きにしても目を楽しませるものばかりでした。
 そのなかでも、小生が度肝を抜かれたものを一つご紹介。
夢の砂川ディズニーランド? 某学会で見た阪和電鉄のパンフなど_f0030574_2354824.jpg
阪和電鉄のパンフ「天恵の楽園 砂川 御案内」
ミッキーマウスがでかでかと描かれている

 阪和電鉄というのは現在のJR阪和線を作った会社ですが、戦前の日本で最高速の電車を走らせていた(世界の1067ミリゲージ中でも最速と言われ、また過剰に速度が喧伝されている満鉄「あじあ」とほぼ同じ速さだった)というその筋では有名な鉄道です。ウィキペディアの記述も詳しいのでそちらをご参照下さい。
 電車のスピードの偉大さとは対照的に、いまいち兼業分野に成果の乏しかった阪和でしたが、沿線の砂川に遊園地を開いていました。これはその砂川の宣伝パンフですが、堂々とミッキーマウスが描かれています。ちゃんと版権を取ったのでしょうか? 阪和はじめ戦前の日本の、というか戦後かなりまで、日本の電車はアメリカの技術に追随しており、経営手法などでも影響が見られますが、ここまでとは思いませんでした。
 ちなみにざっと検索してみたところ、これまたウィキペディアの「ミッキーマウス」の項目にこのパンフは紹介されており、ディズニーマニアの間では知られているようです。もっとも検索した範囲では、このパンフの画像は出てきませんでしたから、ここにご紹介する意義もあろうかと思います。

 ところで、阪和電鉄は並行する南海鉄道(現・南海電鉄)と激しい競争を繰り広げましたが、これは弊害の方が多いと、統制経済や交通調整の時流によって経営の苦しかった阪和は南海に合併させられ、更にその後国有化されます。戦後になって、戦時中に強引に統制された事業を復旧させようとする動きが出、特に公営の電力(戦前は、大阪・京都・神戸各市をはじめ、東京市の一部や富山県・高知県などで公営の電気事業が行われていました)の復旧運動が激しかったことが知られていますが、阪和電鉄も再民営化の動きが出ます。それを物語る貴重なビラも展示されていましたのでご紹介。
夢の砂川ディズニーランド? 某学会で見た阪和電鉄のパンフなど_f0030574_303557.jpg
南海電鉄による「阪和線還元払下」ビラ
(この写真はクリックすると拡大表示します)

 描かれているのが如何にも63形電車なのが時代を感じさせます。この運動は、阪和線沿線では一定支持があったようですが、紀勢線沿線では「国鉄で大阪まで直通できなくなる」とむしろ反発を受け、結局失敗しました。どちらせよ、戦時中かなり強引に国有化された私鉄が、戦後民営に戻った例はないわけですが。

 この他にも興味深い報告内容や昔の資料はいくらもありましたが、とりあえず今回はこの辺でおしまい。
Commented by 顔のない男 at 2009-11-21 21:52 x
ミッキーと鉄道・・・・・
インディアンやクーリーの骸が埋まっているかも
ちなみにウエスタンリバー鉄道に登場するインディアンは
ちゃんと文明化という調教がされていて、ゲストに手を振ってくれますW
Commented by bokukoui at 2009-11-25 18:20
史実の大陸横断鉄道でも、ネイティヴとしばしば交戦していた会社もあれば、サンタフェ鉄道みたいに比較的うまくやってた会社もあるみたいですね(確か旧サンタフェの機関車の塗装は、インディアンの羽飾りをモチーフにしていました)。

ちなみに「枕木の下に死体が埋まっている」という、過酷な鉄道建設の表現の元はアメリカのソローらしいですが、本来は「鉄道独占資本が沿線住民を搾取している」という比喩だったみたいです。
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by bokukoui | 2009-11-20 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Comments(2)