さよなら交通博物館 建物の解体状況(2)

前回との変化に留意しつつ、見ていきましょう。

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前回の撮影時、取り壊し作業がおこなわれていた階段室附近ですが、瓦礫がすっかり片付けられて、ここも囲われてしまっています。前回既に囲われていた、かつての入口や入場券の自販機があったあたりは、そのまま特に変化はないようです(囲みの中は変化しているのかも知れませんが)。


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この写真をクリックしていただけると、青い文字で書かれている工事の看板が読めるようになるかと思いますが、そこに「耐震補強工事を行っています」と書いているのはどういう訳なのか。
もう一枚、囲いの広がった様子を。

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この写真は前回の記事に類似の角度からのがありますので、比べると囲いの広がり具合がよく分かります。
更にお茶の水方へ移ります。

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この辺りは特に変わっていないようですが、前回この附近に積み上げられていた足場が姿を消しています。
で、その足場がどうなったかというと、おそらく以下の写真のところに使われたのではないかと思われます。

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中央線の線路に登れるようになっているのでしょうか? 意図がちょっと不明ですが、おそらく建物解体と同時に、煉瓦積みの中央線の高架も補修しているものと思われます。
中央線の高架辺りの工事は以下のような状況です。

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そういえば交通博物館は元々高架下の用地を利用した鉄道博物館として設けられ、交通博物館のビルが出来た後は倉庫として高架下が使われていたそうです。神田川沿いの高架下なので湿気が多く、博物館の史料保管倉庫としては必ずしも適していなかったものの、除湿器などの維持電気は中央線の電気を引っ張っていたため博物館の経費としては無料だったらしく、電力で乗り切っていた、というような話をどこかで聞いた覚えがあります。
さて、今後の解体工事はどうなるのでしょうか。このような予定を書いた看板が立っていました。

今週中に、屋根・4階・線路側の壁まで撤去してしまうもののようです。どうなるのか、また機会があれば撮影して当ブログで報告します。
※追記:その後の状況は以下の記事をご参照下さい。
さよなら交通博物館 建物の解体状況(3)