松田裕之『ドレスを着た電信士 マ・カイリー』略感
松田裕之
本書は、アイルランド系でテキサス出身の女性電信士、マ・カイリーことマッティ・コリンズ・クーン(1880~1971、カイリーは一時結婚していた相手の姓)の伝記を柱に、著者がIT革命の元祖と位置づける電信の歴史(アメリカ限定ですが)を紹介し、19世紀後半から20世紀前半の電信と鉄道の時代のアメリカを描くと同時に、女性と労働のあり方にも話は及んでいます。本書の目次を以下に挙げておきます。なお本書は、振り仮名の使い方にいささかの特徴があるので、必要に応じて振り仮名を括弧でくくって後ろに書いておきます。
まえがき
第I部 女性電信士(テレグラファー)誕生~歴史(ヒストリー)が忘れた物語(ストーリー)
電信アメリカをめぐる
電信士はジェンダー・フリー
鉄道がもたらす自由な天地
第II部 『バグ電鍵と私(バグ・アンド・アイ)』を読む~タフレディの奮戦記
結婚生活の破綻「あたしゃ奴隷みたいなものだった」
電信技能の習得「自分と子どもが生きていくために」
辺鄙な停車場での日常「あんたが50フィートもある化け物に見えたよ」
一級電信士への道のり険し「あたしゃこれっぽっちの金じゃあ働かない」
誇りを守るための労働運動「争議中につき電信はいっさいお断り」
電線でむすぶ絆「そのひととは電信で知り合った」
放浪のはてにつかんだもの「自分のキャリアに一片の悔いもないね」
第III部 電信の時代と女性たち~IT革命の裏面史
荒野のバラと電鍵
失われた女性の声を求めて
《マ・カイリー》からのメッセージ
あとがき
小生が本書を知ったのは、速水螺旋人先生のブログで絶賛されていたためですが、同様の経緯を経て本書に辿り着いた人も多いらしいのは、アマゾンで本書と一緒に買われた本や「この商品を買った人はこんな商品も買っています」を見れば明らかです。
ぱっと検索して見つけた他のネット上の書評も挙げておきます。
・日経コンピュータ「ドレスを着た電信士 マ・カイリー」(selfup)
・真道哲「『ドレスを着た通信士 マ・カイリー』の感想」(JanJan 今週の本棚)
・Fukuma's Daily Record「書評:ドレスを着た通信士 マ・カイリー」
上に挙げた書評記事のうち下二つの表題が「電信士」でなく「通信士」になっているのは原文のママです。なるほど、電信士の時代は遠くなりにけり。
で、本書は速水先生が書かれているように滅法面白い本です。男尊女卑の厳しかった時代(19世紀の欧米文化の男女差別は、それ以前の時代と比べても厳しかったといわれます)、身につけた電信技術によって渡り歩いてゆくマ・カイリーの人生は、19世紀のヴィクトリアンな価値観とは全く逆の、男とも対等に渡り合う誇りと強さに満ちています。この時代のアメリカで、電信技術によって身を立てた女性は決して少なくなかったのでした。
同時に、電信と鉄道によって結びつけられていた時代のアメリカ西部(カナダとメキシコ含む)の様子も、いろいろとうかがい知ることが出来ます。当時は鉄道の運行に電信が必須で、そのため駅毎に電信局が設けられていて、電信の技倆を身につけた者は鉄道伝いに新たな職場を求めて渡り歩いていたのでした。いわば近代の職人であり、それだけに職人同士の連帯も強かったのですが、その内部でも男女平等とはいきません。そこでマ・カイリーの毅然とした生き方が光ってきます。
速水先生は本書から、「他の作品で使いたくなるネタ」をいろいろ見出されたようですが、アメリカの鉄道好きとしては是非、このような世界を速水先生に漫画化していただきたいところです。所謂「西部劇」と違って、電信と鉄道というテクノロジーがキーとなるだけに、余人ではなかなかネタにしづらいでしょうし。
営業上の理由から、女性電信士だけでは華やかさ、有り体に言えば「萌え」が足りないと編集部が文句を言えば、ここはアメリカ大陸横断鉄道だけに、駅のレストランのウェイトレス=ハーヴェイ・ガールズを足せば美少女成分(メイド服)も充足、ヒット間違い無しです(笑)。しかし見方を変えれば、西部における女性電信士とウェイトレスって、まさに女性の労働におけるキャリア志向と腰掛け寿退社志向の対立そのまんまですね。ここをうまく盛り込めば、広く一般の鑑賞に堪える作品にも化けられます。
それはさておき、小生のような鉄道趣味者にとっては、鉄道と電信の密接な関係を確認できたことは大いに収穫でした。マ・カイリーの自伝自体、アメリカの鉄道趣味誌上に連載されたものだったとか。
上にも書きましたが、鉄道の運行管理には電信が必須でしたので、駅毎に電信局が置かれていましたが、同時にいわゆる商用の電報を扱う電信局、日本なら電電公社のような電信会社も存在しました。既に発展した都市部では電信会社の電信局が商用電報を扱い、一方地方では鉄道の駅の電信局が運行管理の片手間に商用電報も扱っていたようです。
電信士もこれに応じて、電信会社に所属して比較的一カ所で長期に務める人(本書では「守宮(ホームガード)」と書いています)と、鉄道会社の駅の電信局を渡り歩く人(同じく「流れ者(ブーマー)」)とに分かれていたそうで、マ・カイリーは後者でした。もちろん個々の電信士が時に守宮となり時に流れ者となることもあるわけですが、同じ電信士でも両者の間には対立があり、労働組合も別だったりしたそうです。マ・カイリーが属していたのは鉄道電信士友愛組合(オーダー・オブ・レイルロード・テレグラファーズ、ORT)でした。
組合の話が出てきたのでちょっと脇道に逸れますが、本書で著者の松田氏は、電信士をドットとダッシュのデジタルな信号によって情報を扱う、IT技術者の先駆的存在と位置づけています。なるほどネットワークを巧みに利用して情報交換を行っている、時には電信士同士がネットならぬワイヤー上で知り合って結婚に至るなど、現在のIT技術者の先駆と思わせる面白い事例には事欠きません。
ですが、小生が本書を読んで思うには、電信士によって組合の存在はかなり大きいもののようで、マ・カイリーもそれに助けられて仕事を得たり、怪我の治療費を得たりしています。一方ではストライキに参加して電報の送信を断って解雇されたこともありました。業界を横断する大規模な組合が存在し、時にストも辞さないところは、現代のIT技術者とのかなり大きな違いのように思われます。何故そのような差異が出来たのかは、小生のよく知るところではありませんが。
ちなみに先ほど、電信士とウェイトレスを労働者の二極に見立てましたが、本書の第III部では、女性作家のローズ・ワイルダー・レイン(『大草原の小さな家』原作者のローラ・インガルス・ワイルダーの娘。ローラは娘の勧めで『小さな家』シリーズを書いた)を取り上げ、マ・カイリーと対比させています。ローズも電信士をしていましたが、組合の闘争には距離を置き、それによって会社で一定の出世をすると、電信士を辞めてジャーナリストに転じています。電信一筋のいわば職人肌技術者と、業界にこだわらないキャリア志向。これもまた面白いところです。
話を戻して、鉄道と電信がこのように密接に関係しているため、電信士は鉄道の無賃乗車証を手に入れることができ、そのため鉄道に乗って新たな職場を探しに行くことも出来たのでした。
で、日本ではこのような現象はなかったと思いますし、そもそも女性の電信士がいたかどうか寡聞にして存じません(電話交換手は有名ですが)。※追記:日本の逓信省にも女性の電信士はいたそうです。何で日本ではそうならなかったのかと考えれば、やはり明治以来電信が官営で、それこそ“軍事警察機構”の一端を担っていた、からなんでしょうか。日本では鉄道も明治末年には国有化されて、全国的な国鉄(帝国鉄道庁→鉄道院→鉄道省)となっており、国鉄は国鉄で独自の電信電話網を持ち、郵便局の電信とは全く別個となっていたと思います。
余談ですが、しかし日本の私鉄では似たような話があって、日本の電鉄会社の多くは戦前電力供給業を兼業していた(電力会社が電車も動かしていた)ため、電鉄と電力の労働者同志は「電気事業」ということでお互いに連帯感を持っていました。そのため電鉄の労働者は電力会社の労働者と家族をタダで電車に乗せてやる代わりに、電力労働者は電鉄労働者の家の電灯代を半額に負けてやっていたそうです。これを止めさせたのが、阪急社長から関西電力初代社長に転じた太田垣士郎でした。
閑話休題、このように国営では電信士の組合も出来ず、どこ行っても国営なのですから流れていく先もなく、マ・カイリーのような話は日本では生まれくかった・・・いや、鉄道でも満州に流れるケースがあったので、植民地まで広げれば似た例はあり得るかな?
で、どうも台湾に行った電信士の話を扱った本があったような、どっか目録で見たような気がしたのですが、先日某所で偶然見つけました。それはこんな本です。
『通信技手の歩いた近代』
オチはお分かりと思いますが、この本を書かれたのも、本書と同じ松田裕之氏でした。
で、ぱらぱらとめくってみたところ、なるほどこの本も『マ・カイリー』と似ている、何が似ているといって著者のノリの良さ(笑)です。『マ・カイリー』は、既に上で「守宮(ホームガード)」や「流れ者(ブーマー)」のような、英語の俗語をうまく訳して振り仮名に原語をつけるという、特徴ある振り仮名の使い方をしていますが、それだけでなく、振り仮名をいろいろ遊び心ある使い方をしています。
例を挙げれば、「新米(かけだし)」「相棒(パートナー)」「将来(これから)」「高等技能(かみわざ)」「閑話休題(それはさておき)」「筆者(わたし)」等々。これが、マ・カイリーの自伝の、如何にも姉御肌を連想させる語り口の翻訳と相俟って、本書を読む読者に躍動感を与えています。小生は、これはてっきりマ・カイリーの自伝に合わせたものと思っていましたが、『通信技手の歩いた近代』もまた同様のようでした。松田氏のセンスだったようで、だとすればマ・カイリーの自伝も実に幸福なことに、まこと適任の方を訳者・紹介者として得ることができたのだなあと思います。
『通信技手の歩いた近代』も買って読みたいところでしたが、見つけた某所は書店ではなく、持ち合わせもなかったので、残念ながらまだ手に入れていません。そのうちに、と思っています。最近逓信省のこともにわか勉強中で、電信のことももうちょっと知らねば、というところです。
以上長くなりましたが、本書は読みやすく小説のように面白く、それでいて様々な読者にいろいろな角度で興味を惹くであろう豊かさを持っています。小説顔負けに面白くて、しかし研究者の著作なので、文献目録や索引まできちんとついているのが有り難い限りです。
ただ、附属の地図はあまりにも雑駁で、中学校の地図帳みたいです。本書中に数多く登場する、マ・カイリーが勤めた鉄道会社の簡単な路線図くらい載せられればよかったのに、と残念に思われます。あと本書143頁で、引退したマ・カイリーが年金を貰う際、勤務した記録が消滅して「消えた年金記録」状態になっていた鉄道会社があったことが述べられていますが、そこで「シカゴ・ミルウォーキー鉄道、セントポール・アンド・パシフィック鉄道」とあるのは、シカゴ・ミルウォーキー・セントポール・アンド・パシフィック鉄道(通称:ミルウォーキー鉄道)の一社の名前の誤植と思います。同社はマ・カイリーの生きていた時代だけでも、三、四度は破産していたと思うので、勤務記録も消滅しちゃったんでしょうか。
記事の完成が大幅に遅れ、読者の皆様には大変失礼しましたことをお詫び申し上げます。