「取手の鉄道交通展」と小池滋先生の講演の話
この見学の企画は、小生のブログを読んで下さった友人2名が同道を申し出て下さいましたが、それは毎度お馴染み憑かれた大学隠棲氏と、先日の「統一協会が秋葉原でデモ行進 『児童ポルノ規制強化』を訴える」の記事に写真をご提供下さった、やm氏のお二方です。
で、小生がぐずぐずしているうちに、憑かれた大学隠棲氏が先にレポートをアップされ、しかも取手駅前の商業施設事情まで触れておりますので、ご関心のある方は是非どうぞ。
・障害報告@webry「ここは酷い虫の息取手駅ですね」
で、小生が取手まで出掛けようと思ったのは、この展示会に筑波高速度電気鉄道の資料もあるらしいと聞いたからで、個人的な事情ですが、今修正再投稿準備中の論文の中でこの鉄道の話もちょいと書いたので、いささか関心があったためです。
この鉄道は、現在のつくばエクスプレスに似たコースで東京~筑波間を結ぶ構想でしたが、路線敷設の免許を得たものの、茨城県の柿岡にある地磁気観測所に悪影響を及ぼすという理由から直流電化が出来ず、また資金調達も出来ずに、建設が行き詰まっていました。そこで免許だけでもどこかの鉄道に売りつけようと、まず東武へ持ち込んだものの断られ、そこで京成へ話を持ちかけたところ、当時経営の中心だったという専務・後藤国彦の決断により同社が引き受けることになりました。後藤国彦については当ブログでもかつて、「京成電鉄創立百周年記念企画」(1)・(2)・(3)・(4)と題して、知られざる後藤没後の京成のドタバタを史料から紹介しました。
で、当時京成は、ターミナルが隅田川東岸の押上で、都心へのターミナル延伸を狙っていましたが、押上から隅田川を越えての浅草乗り入れを実現しようと東京市議会に金をばらまいて一大疑獄事件を引き起こしてしまい、結局東武に先を越され、実現には至りませんでした。そこで代わりに筑波高速度電気鉄道を買収し、その免許を利用して、上野への乗り入れを図ったのです。筑波高速度には松戸に至る支線も計画されており、それを利用して現在の京成上野~日暮里~青砥間が建設されました。
てな話は今までにも鉄道史の記述で取り上げられています。ところで、この筑波高速度買収を決意したという後藤国彦はのち社長にもなり、自動車や不動産業など、電鉄お約束の多角化経営を京成で推進したといわれます。実際、1935年頃から京成の不動産事業の利益は急速に拡大し、バスをしのいで全利益の1割くらいを占めるに至ります(当時、京成の利益の約6割が電車で、25%前後が電力供給業でした)。
ところが京成の不動産資産を営業報告書に見ると、妙なことに、財産項目の「土地」「建物」の他に、谷津遊園と埋立地関係の項目があるのは分かるのですが、更に「千住経営土地」という独立した項目があり、それが京成の不動産資産のおよそ6割を占めているものと推測されます。「千住土地経営」の項目は京成が筑波高速度を合併した時から登場していますが、京成の社史によると、筑波高速度が用地買収にかかったところ、千住で「某紡績工場所有の広大な土地」を一括して買わされる羽目になり、かくて同社の資金繰りも悪化した旨の記述があります。つまり、京成の不動産資産の過半は、筑波高速度合併のおまけだったのです。
結局、後藤国彦の多角化に於いて、不動産業はあまり重視されておらず(当時の経済誌のインタビューにはそのような後藤の発言がある)、ただ上野乗り入れ免許のために買収したら千住の土地が6万2千坪ほどおまけでついてきたので、それは適宜売却した、ということなんじゃないか、と小生は考えるに至っております。
話が逸れまくりなので戻します。
両氏と常磐線車内で無事合流し、ボックスシートに並んで座り揃って土足のまま足を向かいのシートに投げ出して爆睡しているケバいねーちゃん達の姿に「はるけくも茨城に来つるものかな」と旅情を感じつつ、取手に着きます。講演会が始まる少し前に展示会場に着き、一通り見てから講演会を聞くつもりでした。
で、展示会場の取手市埋蔵文化財センターが駅から離れており、バスもあるけど風が強くて待つのが寒く、3人いるし、とタクシーに乗り込みました。が、運転手氏に「埋文センター」と言っても知らぬ様子。最寄りのバス停の名前から見当を付けて行ってみるも見つからず、そろそろ附近だろうと車を止めて歩いているおばちゃんに声をかけて聞いてみれば、
「わたしも講演会に行くんです」
この展開に3人ともずっこけました。
ようよう別の人に聞いて辿り着きましたが、ここで痛恨のミスが発覚。なんと講演会は市役所の隣のホールが会場で、埋文センターではなかったのです。ううう。さっきのおばちゃんはじめ、同様の誤認者数名。もう時間がない。
仕方ないので、急ぎ展示を見て再度タクシーで市役所に向かうこととします。お目当ての筑波高速度の史料ですが、鉄道建設と同時に沿線での土地開発が目論まれていたらしく、その広告がありました。とはいえそれは千住ではなく、柏付近で計画されていたものでした。「郊外の土地は値上がりしているから将来有望!」みたいな煽り文句と地価のグラフが添えられていますが、戦前の住宅開発としては都心から遠すぎる感もあります。小田急の林間都市もちっとも売れなかったし。煽り文句と付き合わせると、居住より投機目的の開発計画かとも思われます。
そんなこんなで慌ただしく見て、再度タクシーで市役所へ。今度は裏道を駆使して最短ルートで到着したらしく、幸い90分の講演の、最初の10分程を遅れただけで済みました。
講演会場には6、70人くらい入っていたでしょうか、結構賑わっていた印象です。講演は「鉄道とミステリー小説」とのお題で、ミステリーのマニアにとっては周知のことなのかも知れませんが、なかなか面白く拝聴しました。鉄道はミステリー小説の舞台として多く用いられたそうですが、その理由には大きく二つあり、欧州では客車がコンパートメントになっていて走行中の移動が出来ず、いわば密室となっていたからで、もう一つは鉄道ダイヤを利用したアリバイ作りです。で、欧州のミステリーは前者の理由によるものが多い一方、日本では後者が有力なのは、日本ではコンパートメント式の客車は一般的にならず、また日本のようにダイヤが正確な国でないと鉄道によるアリバイ工作の真実味がないから、というわけでした。
で、コンパートメントでない日本の鉄道で密室殺人をやろうと思ったら、トイレか乗務員室に閉じこもるしかない、という話をされ、トイレを舞台にした作品の例として小林信彦「<降りられんと急行>の殺人」(『神野推理氏の華麗な冒険』所収)を挙げられました(厳密にはトイレで密室殺人、って訳じゃないんですが)。本作(を含むシリーズ)は、タイトルからも分かるように、ミステリーのバーレスク(パロディ)作品集ですが、あんまり小説を読まない小生も珍しく読んだことのある作品で、結構気に入っているので何となく嬉しくなりました。
余談ですが、小林信彦は「<降りられんと急行>の殺人」のトリックが気に入ったのか、続篇の『超人探偵』の中の一編でも使っています。今度はブルートレイン「はやぶさ」のA寝台個室で殺人未遂事件が起こるのですが、それはそれとして、個人的には『超人探偵』の中に収められている「ヨコハマ1958」が印象に残っており、小生の狭い読書の範囲中ではありますが、鉄道を絡めたミステリーとして出色の一編と思います。路面電車と根岸線が思いがけない使われ方をするのですが、ミステリーとして厳密に考えると怪しくもあるものの、横浜市民の端くれとしては何とも鮮烈な読後感を覚えた一編でした。
閑話休題、鉄道ミステリーの日本における祖は松本清張ではなく戦前の蒼井雄『船富家の惨劇』であって、紀勢本線直通の「黒潮号」が出てくるだとか、鮎川哲也の鉄道の考証はいい加減だったとか、豊富な話題の中でも、地元の取手の聴衆に配慮して、常磐線が舞台となった作品を紹介するなど、小池先生のサービス精神にも大いに感銘を受けました。鉄道もミステリーもマニアが繁殖しやすい分野ですが(笑)、その両分野に跨って、一般の聴衆も楽しめるように纏められたところに小池先生の真骨頂を感じました。何よりお元気に講演をされていたことに安心しました。
講演終了後、ご挨拶して退出。利根川の渡し船を見に行く案もありましたが、遅いし風が強いしで今回は見送り、関東鉄道で取手に戻って遅い昼食とします。その食事をしたビルのさびれっぷりについては上掲憑かれた大学隠棲氏のブログ参照。いやあ、本当に閉鎖予定だったんですね・・・最上階の中華屋は、味に特筆するところはありませんが、架け替え工事中の常磐線の利根川橋梁を一望できるので、鉄道趣味者の食事にはいいかもと思います。
なお食事の席上、この日初対面だった憑かれた大学隠棲氏とやm氏(小生の別方面の知己だったので)ですが、すっかり電波な話で盛り上がって意気投合してたのは有り難いことでした。あ、電波な話ってのは、地上デジタル放送時代にどう受信・視聴するべきかという話で、怪しい話ではありません(笑)
以上、日帰りの見学でしたが、タクシーでかけずり回ってくたびれたことに鑑み(苦笑)、「旅行記」のタグを附しておきます。