三木理史『都市交通の成立』紹介
三木理史『都市交通の成立』(日本経済評論社)
当ブログでも前にご著書を紹介したことのある、三木理史先生の新刊で、2月に出たそうです。本書の目次の概要を以下に掲げます。詳細な目次は上掲リンク先にありますので、ご関心のある向きはそちらを。
序 章 「都市交通」の概念的成立小生は先日本書を入手し一読しましたが、何分にも300頁を超えるボリュームでもあり、今のところ何か書評出来るほど読めてはいません。とりあえずその内容を雑駁に紹介するのみでご勘弁のほど。
第一部 都市交通と領域性
第1章 都市交通の萌芽と領域性
第2章 戦間期の都市膨脹と交通調整
第3章 交通調整の戦前・戦後と都市交通審議会
第二部 旅客輸送の大量化
第4章 「通い」の成立
補 論 「通い」の再生産構造
第5章 「都市鉄道」の成立
第6章 旅客輸送の高密度化と「都市鉄道」
第7章 戦時体制期と「都市鉄道」の展開
第三部 都市交通における物流
第8章 都市交通と社会資本の利用分担
第9章 戦前期の石炭消費と都市内輸送
第10章 生鮮食料品輸送と中央卸売市場の成立
終 章 「都市交通」の成立
本書は大阪をフィールドに、「都市交通」というものが如何に形成されたかを様々な角度から検討しています。「都市交通」とは、「都市内交通」と同義ではなくもっと広い概念で、都市内および都市と周辺地域との交通を総称した概念です。ですので、都市と農村とが截然と分かれていた時代には、「都市内交通」はあっても「都市交通」は未成立であって、郊外とか、都市圏というものの成立に伴って、都市交通が形成される、ということなのだと思います。
で、その都市交通を、本書では
(1)都市と郊外をめぐる領域性
(2)その大量性をめぐる問題
(3)都市における旅客と貨物の関係性
の3つの論点から分析しています(p.2)。この3つの論点が、目次の第1部・第2部・第3部にそれぞれ対応しています。
一読した感想を織り交ぜつつ各部を簡単に振り返ると、まず第1部は、「領域性」という言葉に馴染みがなくてちょっと戸惑いますが、本論で主に問題になっているのは、大阪市当局の領域認識ということのようです。大阪市が交通に関して、「市営モンロー主義」などと呼ばれる、市内の交通(昔なら市電、今なら地下鉄・バスなど)を市が独占的に運営すべきという発想を抱いていたことは割合知られているかと思いますが、その市営主義を運営する上で、大阪市がどのような空間認識を有していたか、とまとめられるでしょうか。大阪は数度に亘って周辺町村を合併し市域拡張を行いますが、そのため当初の領域性に基づいて組み立てられた市営主義の交通体系が、市域拡張によるその変化に伴って動揺し、やがて崩壊する過程を描いています。
これは小生の理解ですが、大阪それ自体の成長や交通機関の発展に伴って大阪の郊外も発展し、当初は新市域としてそれを大阪市の内部に取り込めたのが、郊外が拡大しすぎて市の範囲を遙かに超えてしまい、それに伴って都市交通も大阪の市営主義では不合理になってしまったということでしょう。第3章では都市交通審議会の役割を取り上げていますが、そこで述べられている、かつての都市交通は内務省(→建設省)による都市計画の一部(大阪市のような地方自治体は内務省が監督)と捉えられてきたのが、戦後になって全国的な交通網の一つとして都市交通を捉える運輸省(←鉄道省)の見方が中心になってきたという変化もまた、都市交通が市のレベルで手に負えるものではなくなったことを反映しているわけでしょう。
第2部は、都市交通を特徴付ける旅客輸送の大量化を扱いますが、まず第4章と補論では、旅客輸送大量化の前提となる、交通機関による通勤通学という習慣の発生を検討し、第5章では都市交通に相応しい鉄道の技術的発展を分析します。技術的発展とは即ち、当初明確に分かれていた鉄道と軌道の相違が、都市交通の発展(による大量・高速輸送の必要性)によって次第に平準化し、更に国鉄も都市部で客貨分離を行うなどして、私鉄の電鉄との間が平準化したことです。章末で三木先生は、このような平準化は戦後の新幹線にも及び、幹線の旅客輸送も大量輸送への対応から、都市交通の電鉄に近づいたことを示唆しておられますが、大変重要な指摘と小生も考えます。
第6章では、都市交通を担う鉄道の特徴である高密度輸送(ラッシュ)の形成を軸に戦時下の電鉄を検討し、軍需工場への動員などで通勤者が激増したことは、旅客輸送の大量化という観点からすれば、戦前から戦後の高度成長期まで続くトレンドと位置づけます(本章は扱う論点が多岐に亘る分、やや纏めづらい印象があります)。第7章では、第5章の都市交通の技術的平準化と第6章の戦時期のラッシュ対策とを、技術的観点から纏め、戦時期の大量高密度輸送対策は技術の平準化を更に推し進め、戦後の高度成長への対応へつながったとしています。
第3部は、これまでの都市交通研究で等閑視されがちな傾向にあった、都市の貨物輸送を取り上げます。第8章では都市と都市外との結節点に着目し、水運と陸運が近代以降どのように役割分担を行ってきたか(近世では陸上は旅客、水上は貨物と分かれていた)を検討します。以下の章では石炭と生鮮食料品をそれぞれ取り上げて、都市での貨物輸送の具体的様相を解明します。なかなか史料が少なくて分かりにくい分野ですが、様々な史料を巧みに組み合わせてその様相に迫っています。
以上、要旨を紹介するだけでもなかなか大変なほど、様々な角度から都市交通を検討し、その画期を戦間期に置きつつも、戦争を挟んだ戦後への連続性を論じている一冊といえるかと思います。フィールドを大阪に絞っていますが、しかし例えば第一部の、都市が発展した結果、市では都市交通に対応できなくなる、などという指摘は、普遍性の高いものと思います。また、戦時期をただ統制に縛られ戦災を被っただけの時代ではなく、戦前と戦後とを繋ぐ役割があることを指摘したことは、大変意欲的で読者として刺激を受けます(三木先生は今までも同様の指摘をある程度されていましたが、本書は幅も厚みも広がっていると思います)。大阪に限らず(もちろん大阪の地域史としても大いに活用できますが)、都市と交通について関心を持つ方はご一読されればと思います。
小生も一読したのみなので、それ以上のことはなかなか言えませんが、思い付きの範疇を出ないことを断った上で一二指摘をするならば、まずこれは多面的に都市交通を捉えようとされたが故のことと思いますが、部章ごとに交通を見るレベルがかなり異なっているので、総合的な「都市交通」像を思い浮かべるのが難しく感じられるということです。第一部では大阪市の手に負えないほど広がった範囲の都市交通を扱う一方、第三部の貨物輸送は比較的狭い都市内の貨物輸送の話が中心です。また、交通を見る視点が、大阪市当局だったり、郊外の住民だったり、貨物の運送業者だったり、さまざま章ごとに異なっているため、それらが大阪という一つのフィールドでどのように関係し合っていたかがなかなか想像しづらいところがあります。これは今後、研究の進展によって解決されるものだと思いますが。
あと、個人的には第二部の戦時下の鉄道事業者の経営分析は大変興味深くも、やや手法に疑問を感じるところもないではありませんが、それをいまここで詳細に述べるのは大変だし準備もないので、今後自分でいろいろ調べてみたいと考えています。もう一つ今後に繋がる論点として思いつくのは、第一部での都市の発展により大阪市の交通は大阪市営では運営しきれなくなっていく、という大変興味深い指摘は、他のインフラにも通じるのかそうでないのか、というところで、地方分権だの道州制だの、或いは大阪市と大阪府の一体化だの東京特別区の改組だの、現在政治的なテーマとして浮上しているようなことにも繋がっていくのではないかと思います。
勝手な思い付きばかりですが、なにがしかピンと来るところのあった方は是非どうぞ。必ずどこかで参考になる本ですので。
はなはだ雑駁な記事にもかかわらず、毎度ながら完成が遅れ、まことにすみません。