【備忘】ていぱーくの展示企画・日本交通協会の講演会
さて、ここ数日漸くへたり込み状態から少し改善してきたので、一つ更新しておきます。前回の記事の続きである池袋の中華の話は近日中にしますが、鉄道関係で。
まず、これは先月話を聞いて行こうと思っていたのに、すっかり忘れていた展示企画があったので、備忘として。
ていぱーくこと逓信総合博物館で、以下のような展示が行われています。
引用記事の表題部分をクリックすると、ていぱーくのより詳しい説明に飛びます。
前島密は明治4(1871)年に郵便を創業させたことから、一般には「郵便の父」と称されていますが、実は郵便以外にも日本の近代化のために様々な功績を残しています。 鉄道もその一つで、今年は前島が 鉄道建設のための見積書「鉄道臆測」を提出(明治3(1870) 年)してから140周年を迎えます。また鉄道は、 創業以来100年以上もの間永きにわたり郵便輸送の要として活躍してきました。
本展では、前島の鉄道に関する功績を振りかえるとともに、深い関わりを持ってきた鉄道と郵便について、 図面・書籍・写真・切手・模型など当館に残されている資料により紹介します。また、Nゲージや鉄道模型を配したジオラマ展示、操作体験コーナーなどで楽しみながら鉄道と郵便の世界を体感できるコーナーもあります。
会期:2010年6月18日(金)~7月25日(日)
開催時間:9:00~16:30
休館日:7月5日(月)・12日(月)・20日(火)
考えてみれば、国有鉄道の所属官庁って逓信省の時代が長かったわけで、ていぱーくがこのような展示に取り組むのもまた道理です。鉄道国有化を機に、鉄道部門は鉄道院→鉄道省として独立し、陸上交通の監督権をめぐって道路担当だった内務省と争ったりしますが、船舶と航空の監督は逓信省が握っていました。「交通省」構想は戦前に主に鉄道省方面からありましたが、それには内務省のみならず海運を担当する逓信省の抵抗もあり(確か)、実現しませんでした。戦後になって運輸省が成立してもなお建設省との対立が・・・ってな話は割と有名です。
ですが、鉄道について考えてみれば、明治時代の一時期、逓信省の「鉄道作業局」という部局(外局)が現業の鉄道を走らせたり新線建設を担当し、私鉄も含めた監督業務は内局の「鉄道局」が行っていたという時代がありました。そして鉄道国有化当初は、逓信省が監督業務を持ったまま、現業担当の「帝国鉄道庁」という役所が出来るのですが、これは1年くらいで解体して、現業+監督の鉄道院になります。ここの経緯ってあんまり詳しい話を読んだ覚えがないなあ。
もし「帝国鉄道庁」体制のまま国鉄が運営されていれば、逓信省は外局の巨大現業部門を抱えると同時に、郵便と電信電話というこれまた巨大な現業を同時に有することになる訳で、なるほど一つで監督するのは苦しいから分離したのかと察せられるにせよ、そのまま存続していたら逓信省という役所の重みもだいぶ変わっていたでしょう。また、国鉄も監督と切り離すことで、かえって自在なことができたかも知れませんし、逆に監督部門からの強い介入で国鉄の様相が変わった(私鉄の国有化が進まなかったり)かも知れません。もっとも一番確実に言えることは、逓信省の労働問題は壮烈なことになっただろうなあ、ということのような気もしますが・・・
閑話休題、この展示のタダ券があるのですが、1枚5名まで×2枚なので、どなたか行かれる方がおられましたら同道するなり一枚差し上げるなり・・・と思ったのですが、このページをプリントアウトすれば無料になるそうです。これは今の世の中、ほとんど無料公開に近いことですね。
もう一つ、これは講演会のご案内。日本交通協会主催のイベントですが、別段会員でなくてもいいそうです。
詳細は協会のサイトの「協会からのお知らせ」をご覧ください。交通文化講演会開催のご案内
第9回交通文化講演会を下記の通り開催いたしますので、多数のご参加をお待ちしております。
会員でない方も自由に参加できます。(無料)
記
1、日 時 平成22年7月15日(木)14:00~15:30
2、場 所 当協会 大会議室
3、演 題 新幹線はいかにして安全を確立したか
4、講 師 齋藤 雅男 氏(国際連合開発計画エグゼクティブ・アドバイザー 鉄道工学専門家)
当日は会場に直接お越し下さい。
齋藤雅男氏といえば、以前当ブログでも紹介した『新幹線 安全神話はこうしてつくられた』(日刊工業新聞社)の著者であり、鉄道省に入って国鉄で汽車から電車への変化に従事、同書のように新幹線初期のトラブル解決にも活躍し、その後は海外の鉄道のコンサルタント業務をされています。
本講演会は、前掲書のような新幹線についてのお話ですね。平日の昼間と一般の人には訪れにくい時間帯ですが、可能な方は無料だそうですし是非どうぞ。
で、齋藤さんは鉄道省だった時代に学校を出、1964年に開業した新幹線の仕事をしたということはつまり、大変なお年なのですが、すこぶる元気なお方です。先日某学会の席でお会いしたところ、「91歳になりました」と仰ってました。その齋藤さんについての個人的エピソードを一つ。
某学会のある集まりでは、ある先生がイギリスから日本への鉄道技術の移入についての報告をされていました。その話自体は、それはそれで興味深いもので、日本の鉄道のゲージが1067ミリに決定した経緯をかなり詰めるものでした。ところがその話を小生の横で聞いていた齋藤さん、突然小生に向かってこう仰いました。
齋藤「キミ、イギリス人と付き合ったことはあるかね」
墨公委「いえ、ありませんが」
齋藤「イギリス人と鉄道の話をするとな、こんなふうに汽車の話ばっかしよる」
墨公委「ははあ・・・。やはり電車では話すことがないのでしょうか」
齋藤「そうだよ。しかし、日本だって新幹線がなかったら、ただの田舎だからね」
流石、汽車中心の鉄道を電車中心へと切り替えることに貢献し(当時は電車関係者の地位は機関車などと比べ相当低かったそうで)、新幹線に携わった方の発言です。ちょっと前のことなのでうろ覚えの所もありますが。前に「愛国心」の話をちょっと書きましたが、このようなお国自慢は聞いていてもまことに腑に落ちるものです。