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筆不精者の雑彙

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『COMICリュウ』附録『リュウH』雑感及び性的表現に関し思いつき

※本記事は7月末日掲載予定で書き始められたものが、7月後半よりの心身ともの不調で延引し、それでも何とか8月末の時点(こちらの記事を完成させた直後)でほぼ完成するところまで書き進められておりましたのが、あと少しというところでまたダウンしてしまい、その後さらに一月以上を経て多少の加筆修正を施し、漸くアップするに至りました。しかし8月末現在として書いた部分を直すのも面倒ですし、そもそも時事的な流れにはすっかり取り残されてしまっている記事を今更10月の日付で掲載するのも何なので、この日付の記事ということにしてあります。この間の経緯はこちら及びこちらの記事にあるとおりです。何卒ご諒承下さい。


 とうとう予定の半分も片付かぬまま、8月も終わろうとしております。暑さもあって何もかも億劫になっていた我が身の不徳の致すところではありますが。
 で、ブログの方も予定している記事は幾つもあるのですが、大幅に積み残しております。そのような不良債権的記事中でも最も問題だったのが、先月20日のロフトプラスワンのイベント月刊『創』主催の「マンガの性表現規制問題徹底討論」のレポでした(苦笑)。前篇はともかく、後篇「続レポ・『マンガの性表現規制問題徹底討論』および雑感」はイベント3日後に途中まで書いてアップしたまではまあいいとして、その後1ヶ月以上放置しておりました。
 が、やっとこさ数日前に、今更ですが、完成させておきましたので、奇特な方はどうかご参照下さい。該記事の末尾に書きましたように、動画中継やツイッターなどのある昨今にまとめでもあるまいかと思って途中で書く気力を喪失していたのが直接の理由でしたが(反響もなかったし)、少し時間をおいて考え直すことにも多少の価値はなからんかと思い、レポを纏めておいた次第です。しかし、例によって例の如くというか、時間が経って考え直せば考えは拡散して纏まるはずもなく、結局レポまとめの落ち穂拾いとして本記事を書いておくこととしました。

『COMICリュウ』附録『リュウH』雑感及び性的表現に関し思いつき_f0030574_2535158.jpg で、それはそれとして、これまたブログに書くのを積み残して翌月の号まで発売されてしまいましたが、『月刊COMICリュウ』2010年9月号(7月発売)の附録冊子『リュウH』について一筆をば。左の表紙画像の画質がいまいちなのはスキャナがないものでご寛恕ください。公式サイトとかにも表紙が掲載されてないんで・・・

 この附録冊子は、『リュウ』本誌連載作品の中から4作品を選んで、「エッチ度200%アップ」な番外編としたものだそうです。以前に「『リュウ』編集部はえっちな漫画を出してみたかったんじゃないか」だとか『裏・COMICリュウ』とでも題して、今の連載陣でエロマンガ雑誌を出したらどうかなどと半分冗談で書いておりましたが、本当になって嬉しいというか正直びっくりしました(笑)。
 で、連載陣の中から『リュウH』に選ばれた栄えある? 作品は以下の通り(掲載順)。

 ・いけ「ねこむすめ道草日記」
 ・ナヲコ「なずなのねいろ」
 ・天蓬元帥「ちょいあ!」
 ・アサミ・マート「木造迷宮」


 それにしても、今にして後悔しているのは、上に挙げた「マンガの性表現規制問題徹底討論」のイベントの前に、これを読んでいかなかったことです。買ってはいたんですけど、例の如く読んだのは月も改まってだいぶ経ってのことでした。読んでいれば、大野修一『リュウ』編集長にいろいろ問い質したんだけどなあ(笑)。このイベントの日、(あんな質問をしておいて)終了後大野編集長に『非実在青少年読本』にサインして貰いました。そのついでに多少お話をさせて貰ったのですが、『リュウH』を読んでいれば作家のセレクションの理由とか、『リュウ』の今後のH方面の展開構想とか聞けば良かったのに、と後悔している次第です。
 その際のことは、一月以上経っているので、細かいことはあやふやになってしまっていますが、安永航一郎『青空にとおく酒浸り』の単行本がなかなか出ず、今でも3巻までしか出ていない(5巻は出せるはず)のは、安永先生にその気がないから(たまたまそうでもなかった時期に、単行本企画を進めたそうです)であって、雑誌を買わせようという編集部の陰謀ではないそうです。安永先生のさる旧作が最終巻が出ないまま数年経っているのは編集部となにやらあったためらしいですが、『リュウ』編集部はそんなことは現状ないようなので、読者は瀬戸内海の西の方に「単行本だせ~」と電波を送りながら気長に待つとしましょう。
 なお、『非実在青少年読本』について大野編集長がインタビューを受けている記事(の転載)を発見しましたので、以下にご紹介しておきます。
 大野編集長からは、短い時間のお話でしたがいろいろな企画を立てて『リュウ』を盛り上げていこうという熱意が感じられ(押井監督の本は売れたので続篇を出すとか、プラモ関係の企画とか)、最近は長期連載作品がいくつか完結を迎えたりもしていますが、今後ともいろいろ展開していくようです。『リュウH』も、『非実在青少年読本』にとどまらず、実際にマンガで非実在青少年の「H」なものを実践しようという試みなのかも知れません(そういえば、『非実在青少年読本』のアンケートに答えているマンガ家や作家には『リュウ』関係者が十数名もいるのですが、『リュウH』の執筆者とは一人も重なっていないんですよね)。
 あ、そうそう、ナヲコ先生の担当編集者は大野編集長ご自身だそうで、・・・ということは『なずなのねいろ』1巻や『からだのきもち』巻末あとがきマンガに出てくる編集者って、大野編集長だったんですね。ナヲコ先生の描いた大野編集長像を、『とりから往復書簡』での大野編集長の描かれ方と比べると、なかなか楽しめます(笑)

 というわけで話を戻しまして、『リュウH』の掲載作選びの基準は不明ですが、ナヲコ先生の登板はまずもって順当ですね。他の方の作歴はよく存じませんが、商業誌で成年コミック描いていたのはナヲコ先生だけ・・・でいいよね?
 で、高校生青春三味線マンガがどう「H」になるのか? 三味線とエロといえば小生がまず思いつくのは、中島らも「寝ずの番III」です。「寝ずの番」は映画化されてまして、予告編はネット上で見ることが出来ます(リンク先はいきなり音声が出るので注意)が、この中で堺正章や中井貴一などが演っている、こんなのを三味線部のみんなで歌うってのは・・・違いますかそれ。確かに津軽三味線と今里新地の芸者の三味線はそりゃ違・・・以前の問題ですね、はい。
 閑話休題、「なずなのねいろ」の『リュウH』版とは、花梨さんと眞さんの二人のお話でした。本編で既にただならぬ関係であったことがそれとなく描かれていた二人の関係が、過去に遡って描かれます。親族関係としては姪と叔父が、三味線の弟子としては先輩(兄弟子ならぬ姉弟子?)と後輩、という捻れた関係だった二人が、眞さんが三味線を捨ててギターに持ち替えたことをきっかけに、一線を越えていくのですが・・・花梨さんの表情が素晴らしいですね。
 そして、本作は12ページの短編ですが(最近は「なずな」の連載は毎月12ページなんですが)、この後ろにあと4ページ「然るべき」続きを描き足せば、その昔の『COMICアリス倶楽部』なんかの掲載作同様に・・・と前世紀以来の読者である小生はつい思ってしまいましたが、それだけ誌面に直接描かれていなくても、余白に感じさせるものがあるわけで、それこそはナヲコ先生の特長であると思います。

 他の作品について簡単に触れておくと、いけ「ねこむすめ道草日記」はスケベな河童が盗撮を試みる話ですが、むしろいつもの「道草日記」と同じく楽しいのどかなお話であっても、そんな「H」ってわけでもないと思います。天蓬元帥「ちょいあ!」は・・・こういう即物的なハダカの描写は中学生が好きなんじゃないでしょうか、こういうのは。アサミ・マート「木造迷宮」は4ページの掌編で、ヤイさんが行水中わんこにじゃれつかれてどうこう、というたわいない話ですが、ヤイさんのおみあしの描写に力があり、特に足の裏がなかなか。大谷崎を彷彿・・・ってのは流石に褒めすぎか(この号の『リュウ』本誌の4コマに谷崎が登場してたなあ)。
 というわけで、「H」といっても4作品は異なっていて、そこらへんが大野編集長の狙いでもあったのかなあと思います。とはいえこの4作品を比較すると、ナヲコ先生の作品の「H」さはかなり性格が異なっているように感じられます。先にも書きましたが、直接的に脱いでるとかはだけてるとか、そういう描写は「なずな」にはないんですけど、読者の心の中に想起されるものが圧倒的に「H」だってことです。
 もっともそれだけに、一見してはその意味がわからず、ネット上では『リュウH』のレビューで「なずな」を「エッチじゃない」などと書いている輩もいたりするわけですが・・・まあ本編の文脈にも多少依存している以上、そういう感想が出るのもしょうがない、かな・・・しかし即物的な描写ばかりに目を奪われるのも、ちょっと寂しい気もします。
 で、そんなナヲコ先生の特長(もちろん直接的描写もその気になればすごいことは、『Sweet Sweet Sister』読者ならご存じでしょうが)を発揮した本作について、作者ご自身がツイッターでご感想を述懐しておられましたので、以下に引用紹介しておきます。

つくづくおきらくHが描けないらしい…。←リュウHを見ながら
3:30 PM Jul 20th webから

 決してそうではないと思いますが、そうと仮定したところで、それは作者の個性として特長と捉えればよいものと愚考します。

 さて、以上マンガと「H」、つまり性的描写の話をして参りまして、またこれまでにも東京都条例案の「非実在青少年」問題に関連するなどして、この種の話題を当ブログでいくつも扱ってきましたが、それについて今まで書き漏らしたようなことを少し補足しておきたいと思います(大まかには今まで書いたことと重なっていると思いますが)。この問題に即していえば、ナヲコ先生の作品は、直接的描写は一見おとなしくても、含むものが別個あるところに、性を描写することの面白さや奥深さ、表面的な規制では掴みきれない何かが存在していることを示唆するようにも思います。
 それはともかく、以下は纏まらぬ思いつきの雑彙なのでお暇な方だけどうぞ。




 これまで性的な表現物について、規制すべきとかその必要はないとか、様々な発言や議論が、種々の媒体で行われてきておりまして(無論小生はそのごくごく一部しか目にしておりませんが)、何かどうも話が空転しがちのような、そんな感を受けることがしばしばあります。何か、今そこにある表現物とその読者という存在を離れて、勝手に自分の思い込みばかりを語っているような。
 適切とは言い難いかもしれませんが、一例として当ブログに寄せられたコメントを例に挙げます。このコメントは、今年3月の
「統一協会が秋葉原でデモ行進 『児童ポルノ規制強化』を訴える」に、8月6日に寄せられたものです。これは、管理者しか見られない非公開コメントにも関わらず、発言者の名前(HN)や連絡先を一切書かないという、コミュニケーションの意図をそもそも放棄していると考えざるを得ないものでしたので、当面スルーしておきましたが、この機会に公開しておきます。
Commented by 名無し13 at 2010-08-06 11:04 x
統一教会系デモの記事を読ませていただきました。記事の内容ですが、貴殿自身の意見として結局何が言いたいのかがつかめません。デモのタイトルは近年には珍しく賞賛に値する内容ではないかと思います。貴殿と対立する団体は何をしても、何を言っても、反対と言わんばかりの内容ですね。誰が何を言おうと、善いものはいいと認めるべきかと小生は思います。ただし、貴殿がプラカードの内容を容認する立場であり、そういう社会を願っているならば別ですが。質問:貴殿は自分の子供にエロ本を読ませますか?
 「質問」という割に、非公開コメントで連絡手段も書かないのが無責任であり、「質問」の真摯さを疑わせるものですが、もっともそれなら小生の記事を無視すればよいのに、こんなコメントをわざわざ書くというのも、ますます解せません。

 それはともかく、「質問:貴殿は自分の子供にエロ本を読ませますか?」、ふむ、率直に言えば小生は中学生の頃、親に隠れてエロ本ぐらい読んでました。その結果、自分が社会的に困難さを抱えるような価値観に傾倒したとか、そんなことは全く思い当たりません。人生の進路が微妙な方向にずれた原因を考えれば、ジョン・エリス『機関銃の社会史』だとかの影響の方が大きそうですね(笑)。
 子供に「読ませますか?」という質問がそもそもずれているのであり、子供が勝手に読むのであって、親は問題がなければ介入する必要性がありません。そしてそのような問題が起こったとは、個人的経験や周囲の同様のメディアに接している人々の様子からは、伺えないのです。
 ついでに書いておけば、親が子供の読むものを管理するのがいつまでも当然なわけではありません。たとえば一つの対応としては、子供がその手の書物を読んでいた場合、小学生なら説教し、中学生なら「見て見ぬふりをする」というなんてのも考えられます。結局ケースバイケースですが、たぶんこの回答は質問者を満足させるものではないでしょう。そしてこの点が、つまり質問者が「場合による」「見て見ぬふり」などという回答を受け入れないであろうことが、このような表現規制を巡る諸言説にまま見られる、敵味方や正邪に世界を二分してしまいがちな思考法の典型例と感じた理由です。質問者は「貴殿と対立する団体」などという言葉を使っていますが、そんなことブログの該当記事には書いてません。世界を対立の構図で見たがる傾向をそこに感じ、かかる人物は正邪以外のオルタナティヴをあんまり認めそうにない、そう考えた訳です。

 ですが、このような傾向は表現規制問題周辺に限った話ではないし、この問題周辺にしても規制賛成も反対も同様にこの弊に陥る傾向があるように思われます。そのことのもたらす問題は、一つには「敵」との間に問題の妥協的現実的解決手段が執れなくなることですが、もう一つは「味方」同志は同じ価値観だと思い込んでしまい、何かの拍子に“裏切り者の粛清”合戦になることです。どっちにどう転んでも、碌なことにはなりません。
 ではこの弊を軽減する方法はあるのかといいますと、当面の規制問題について直接の有効性はありませんが、長期的には有効そうなことがあります。その手がかりとなることが、この表現規制問題に詳しいマンガ評論家の永山薫氏のブログ(ツイッターのまとめ)にありました。これはツイッター上での山本夜羽音氏との議論のようですが、この中で永山氏は「最初から『オタク陣営』ではなく、『私』を主語に語るべきだと思う。集団を主語に使うのは誤解の元だよ。」 であるとか、「『我々』という主語を不用意に使うと、『傲慢な人』『代表を僭称する者』『党派的な人』『党派を作ろうとしている人』『責任を取りたくない人』と見られても仕方ない。逆に『おお、仲間だ』『共に戦おう』という人もいるでしょう。しかし、その中には『あなたに帰依します』『命令してください』『責任は全部あなたが取るってことで』という人も含まれる。少なくとも、俺は『我々』は基本的に避ける。」などと語られています(できるだけ原文も参照して下さいね)。

 つまり、「我々は」とか「日本は」とか言わないで、「私は」「僕は」という主語の語りで問題を捉え直すことではないかと思います。もうちょっと具体的に述べると、以前にも同じようなことを書いた気がしますが、「性的コンテンツと人々は(私は)如何に向き合ってきたか」を具体的に検証することです。マクロ的に統計を持ってきて、性犯罪が減ったの児童虐待が増えたのと所説を唱えることにも意義はありますが、そればかりですと、今ここに存在する表現やその消費者を置いてきぼりにした、世界を正邪で割り切る空論に陥る恐れがあります、というか現状すでにそうなっている嫌いがあるのではないかと思います。しかも困ったことに、その空論が今ここに存在する物や人を左右しかねないわけで。
 エロマンガもアダルトビデオもすでに結構な歴史を有しており、さてこそそれに一定期間触れてきている人も相応の厚みがあるはずです。その厚みの中に分け入らずしては、そもそも何が「問題」(解決せられるべき課題)なのかすら見えてこないでしょう。これはやはり、然るべき専門家による学術的な調査が必要と思います。

 なお、個人的意見ですが、まかり間違ってもこの調査をネットでやってはいけないと思います。なるほど今はネット上でも様々なメディアが発達していますから、一見多くの人を集めて意見を聞き出すのに良さそうで、特に本記事でもいくつか引用したツイッターなるメディアの場合、匿名掲示板なんかと違って個人がアイデンティファイできて良さそうですが、これは集まる人がそもそもバイアスがかかったり、表明される経験談そのものがネット上の流れに左右されてしまう(ウケ狙って適当なことを書く)恐れがあるからです。
 一例を挙げましょう。小生と某サークルで縁の出来た、政治学専攻の院生・Beriya氏が、某日こんな呟きを漏らしました。
自分がはじめて買った成年コミックは玉置勉強の単行本でしたが、はじめて買ったエロゲはビッグランス先生の白詰草話だった。この2つに関連性を見出そうとしたがどうでもいい。
12:40 AM Jul 29th webから
 ビッグランス先生というのは大槍葦人のことですが、これに対し「革命的非モテ同盟」終身名誉書記長の古澤克大氏がこう混ぜっ返します。
@Beriya 初めて買った成年コミックは空のイノセント
10:00 PM Jul 29th webから Beriya宛
 賭けてもいいけどこれって、「自分は“秋葉凪樹が好き”という“格好いい”センスである」ということを自慢したくて書いただけだよね・・・書記長ならやりそうなこった。
 例としてあんま適切じゃなかった気もしますが(苦笑)、それなりに微妙なものをはらんだ個人の事例を多く集めるには、手法上相当の洗練が必要だろうとは思います。
 これは直接なにがしかの政治的成果につながるものではないですが、仮に日本のコンテンツがこれから滅亡したところで、やはり成し遂げるに値する事業であろうかと思います。何が正しいかを声高に主張して「反対するもの」を潰そうとするより、何かを積み上げていく営みの方が、百年後にはきっと価値を持つ筈です。

 さて、柄にもなく真面目な締めくくりになってしまうと書いた当人も尻が落ち着かないので、全くの余談を一つ。
 上で名前が出てきた美少女ゲーム『白詰草話』ですが、これは2002年に出たゲームだそうで、当時のこの手のゲームにしては結構OPのアニメーションが凝っています。



 なかなか主題歌も格好いいですね。
 で、上のOPアニメの35秒目あたりに、山手線の電車が登場します。これは今は引退した205系(しかも窓枠の形からして先行量産型)ですが、ところで『白詰草話』って2002年発表のゲームで、舞台が2008年という設定になっているそうで、しかし205系の引退は2005年のことでした。スタッフも2008年までに戦闘ロボットやアンドロイドが実現するとはもとより思ってなかったでしょうが、205系が引退するとは想定してなかったんでしょうね。コルゲートが少なくなったステンレスカーというやつは、見る人には時代の古さを感じさせにくいのかもしれませんね。
 ・・・え、その話がここまでの話にどう関係するのかって? いや、最近アクセス解析をつけたら当ブログの検索ワードの1位が「エロマンガ」だということが判明したもので、いやこのブログのメインの対象は鉄道だということを確認しておきたかったまでです。
Commented by 無名 at 2010-10-09 19:56 x
小学校低学年(2年生)のころから原作ナウシカを愛読し3年生からゴルゴとエリア88(新谷漫画)、銀英伝を愛読し、4年生で「丸」のバックナンバーを買い集め、5年生で塩野七生を読み、6年生で「資本論」に挫折した小生がダメ人間なのは社会システムの欠陥によるものです(笑)。
Commented by bokukoui at 2010-10-10 21:10
貴重なご経験をありがとうございます・・・んが、肝腎の所は書かれていませんね(笑)
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by bokukoui | 2010-08-31 23:59 | 漫画 | Comments(2)