渡道顛末記
先日の記事でも触れましたが、先週、小生は学会発表の所用があり、北海道に渡りました。鉄道趣味歴20年を越えるにもかかわらず、北海道に行ったのは初めてのことでした(周りの人に言うと驚かれます)。で、その転地? が良かったのか、8月・9月の沈滞しきった状況がいくらか改善されたようにも思いますので、その記念ということで、顛末を簡単に記しておこうと思います。
さて、少し前の記事で愚痴ったように、7月後半から9月まで、全くの不調に陥り、研究も仕事も各方面に不義理の限りを尽くしておりました。2年に一度くらいそんな状況になるような気がします。
で、そんな有様のうちに、まだ元気だった5月に申し込んだ学会報告の時期が迫ってきてしまいました。当然準備は全く手についておりませんでした。しかし月末に近い某日、「アメリカ旅客鉄道史」のWUREさんとお会いする機会があり、いろいろとお話を伺ったことが脳への刺激となったのか、何とかその後巻き返しを図って動き出すことが出来ました。
とはいえ、当初の予定通りの史料調査をする時間はもはやなく、手持ちのデータをなるべく活用し、範囲を絞って調査研究を行い、何とか目算が立つまでに至りました。
てなわけで、上に掲げた写真のように、上野駅から寝台特急「あけぼの」で旅立つところまで漕ぎ着けました。「北斗星」でないところがややひねくれていますが、早晩なくなりそうな列車に思われたもので(新幹線新青森開業では当面存続することになったそうですが)。準備にぎりぎりまでかかっているくせに優雅なと思われるのは当然の反応でしょうが、飛行機という手段は全く頭に浮かびませんでした。鉄道関係の報告をする者が飛行機に乗って学会に行くなんて罰が当たりそうで。
平日の列車だったのに、最近の「鉄道ブーム」のお陰なのか、上野駅で写真を撮っている人が結構います。しかしぎりぎりに駆けつけた小生は、そんな暇はろくすっぽなく、上の写真を撮った程度で(いつの間に妻面に雨樋が露出するように改造されたのでしょうか)、駆け込み乗車に近い勢いで乗り込みます。参考までにこの日の編成を以下に掲げておきます。
↑
(青森)
EF64 1051(長岡以北の牽引機は不詳)
カニ24 112(電源車)
オハネフ24 12(ゴロンとシート)
スロネ24 551(A寝台)
オハネ24 554(B寝台個室・ソロ)
オハネ24 553(B寝台個室・ソロ)←小生の乗った車輌
オハネフ24 27(B寝台)
オハネ24 20(B寝台)
オハネ25 210(B寝台)
オハネフ24 25(ゴロンとシート)
(上野)
というわけで、小生は幸いにもB寝台の1人用個室が取れました。普通のB寝台と同じ料金で個室なのがいいところですが、まあ狭いことは狭いですね。
なにせ狭すぎて、室内では部屋の全景が撮れないくらいです。これは枕元(入り口がある)から足下を見た写真ですが、左手にあるでっかい突出部は、上段に上がる階段です。「あけぼの」の個室は、普通のB寝台やかつての東京~九州間列車のB寝台個室が枕木と平行に寝台を配置していたのに対し、レールと平行な方向に寝台があります。ので上の写真の右側が、カーテンがあるように、窓になっています。ちなみに小生、個室寝台に乗るのは多分初めてだったはず。
で、初めての個室寝台で、徹夜続きの準備作業の疲れを癒して安眠・・・かというと、そうは問屋が卸しませんで。
という具合でした。
横になって作業をする分には結構効率的な姿勢でしたが、一つ問題がありました。「あけぼの」のB寝台個室にはコンセントの装備がないのです。さすがに一晩中作業するほどノートパソコンのバッテリーに能力はありませんでした。ではどうしたかというと・・・
というわけでした。念のために書いておきますが、このコンセントは乗客が電気カミソリを使うために装備されているものなので、盗電ということはありません。ただ、洗面所が混雑する時間帯だと顰蹙ではありますので、小生は乗降客のいない時間帯を狙って充電しておきました。
最近はパソコンや携帯電話を持ち込む人も多いので、寝台車には電源を各所に備えておいてくれるとありがたく、特に個室はそうではないかと思います。「あけぼの」のB寝台個室にはオーディオ装置がついていましたが、個室寝台に改造された90年代ならともかく、今の状況であればコンセントを備えてオーディオは各人のipodにでも任せておく方が良いようにも思えます(寝台車の顧客層は年齢が高いのかもしれませんが)。
その点を除けば、多少のくたびれはあるものの、個室寝台はまずまずの内容だったと思います。
余談ですが、最近は列車内のコンセント情報を載せてくれているサイトなども結構あるようです。しかしその情報の中には、本来寝台車の業務用電源として、旅客の使用を想定していないものもあるようなので、そういったものは使ってはいけません。それらは本来、車庫で車内を掃除機で掃除するなどの用途なので。
さらに余談ですが、確か以前齋藤雅男氏の書かれていた中にあったエピソードだと思うのですが、この掃除機用コンセントは国鉄が1958年から製造した20系寝台車に最初に装備されたものだそうで、それを聞いた品川客車区の人たちはこれで掃除が楽になると喜んで電気掃除機を買い、早速掃除をしてみたそうです。ところがちっとも掃除機が動かない。どういうことだと技術陣に苦情を持ち込んだところ、20系の電源は周波数を関西用の60ヘルツで設計されていたので、関東の50ヘルツ用電化製品はちゃんと機能しなかったため、だったそうです。今は電化製品を使うのに、周波数の違いなんて気にしなくなりましたね(なんて書いてますが、小生の年齢ではもう気にすることはない時代でした)。
閑話休題、こんなドタバタをやらかした挙げ句、何とか札幌でレジュメを完成、出力・印刷して、当日の報告は何とか形をつけました。
学会の詳細についてはここでは述べませんが、多くの先生方から様々のご指摘をいただいたことで、向かう方向が見えてきたのはありがたい限りです。
しかし、この報告直前数日の不眠不休の集中力の、せめて半分くらいの稼働率が年中あれば、既に博士論文くらい出来ているような気がするのですが・・・なかなか人間、思うようにはいきません。とにかく今回は、絶望的状況から何とかぎりぎりのところまでは挽回できたことをまずはよしとし、これをきっかけに先月より改善されている現在の状態を維持するよう、努めることにします。
もっとも、帰宅後の状況を考えると、今度は寝付きが悪くなって、一日おきに徹夜をしているような気もします。症状が変化しただけなのかも・・・
ところで、札幌に行って心境が変化するだけの刺激を受けたのは、報告とそれへの反応や、現地で知己の方々に久しぶりにお会いしたことなどもあるでしょうが、それと全然別個な理由もあるように思われます。
それはやっとこさ完成したレジュメを抱えて、地下鉄に揺られて会場の大学に向かっていた朝、何となく地下鉄の路線図を見ていた時のことでした。渡道自体初めてなので、当然札幌の地下鉄に乗るのも初めてで、まじまじと路線図を見るのもほぼ初めてでした(鉄道趣味の傾向が電鉄に偏っているので、北海道にはもともとあまり関心がなかったのです)。
で、降りる駅まであと何駅かと数えていたのですが、ふと降りる駅とその前後の駅を見ていて、何か連想されるものがありました。小生の降車駅は「澄川」駅で、その一つ手前が「南平岸」駅、もう一つ手前が「平岸」駅というのですが・・・澄川と平岸。なんかこの組み合わせは・・・
(『DIFFERENT VIEW』コアマガジン、1999)
ああそうか、北海道出身のナヲコ先生の作品の、登場人物名の由来だったんですね。女の子が澄川さんで男の子が平岸君です。
同書では後書きで、「初期の作品のキャラ名は某市の地名をたくさん使ってあります」とありまして、「苗穂」とか「白石(しろいし)」など国鉄の駅名になっているのは最初読んだときから気がついていたのですが、地下鉄の駅名までは意識してませんでした。そう思って念を入れて路線図を見ると、なるほど他にもいろいろありましたね。
というわけで、何となくほっこりした気持ちになって、澄川駅で下車しました。
私見ですが、「いちばん近くにいてね」は『DIFFERENT VIEW』収録作品中の中でも、キャラクターの描き方が「ぷにっ」という感じ(?)というか、頭身が少し低めでとりわけ可愛らしいというか、他の作品と少し違った印象がありました。ナヲコ先生の作品中でも、ぷにっとかわいい点では一番の作品かもしれません。
まあこう書いてしまえばどうってことない話ですが、その時は、ああ遙々北海道まできたんだなあという感慨が浮かんだもので、何とはなしに嬉しくなったものです。
さて、北海道からの帰りの道中でも、沿線でちょっとした産業考古学的遺産を見つけたりした話などもあるのですが、その話はまた別の機会に記事に出来ればと思います。
※追記:帰途に発見した産業遺産の話はこちらへ→
(この写真はクリックすると拡大表示します)
恐らく、最後の世代でしょう。
周波数の問題はインバータ化が契機になってだいぶマシになったようですが,今でも単純回転系の機器はまだ性能差があるようです.
http://kaden.watch.impress.co.jp/cda/column/2008/01/10/1761.html
お陰様で大いに活用させて頂いております。
周波数の問題は、単純な機械の方がもろに影響が出ているというのが当然とはいえ面白いですね。単純だから回転数が何パーセントか減っても大勢に影響ないので、わざわざ対応しようとしないというところでしょうか。