渡道顛末記拾遺 川部駅の跨線橋は19世紀生まれの古レール

先日書いた「渡道顛末記」の続篇といいますか、帰途に偶然出会った産業遺産についての記事です。今ざっと検索してみた限りでは刻印についてネット上に報告もないようですし、記事にしておく価値はあろうかと。
さて、北海道の学会報告を終えた小生、往復で切符を買っていたので、帰路も行きと同じ経路を辿ることになり、まず急行「はまなす」で北海道を離れました。そしてそのまま帰るのも何だし、折角ここまで来たからと、途中下車して沿線の地方私鉄・弘南鉄道にでも乗ってみようかと、奥羽本線の川部駅で下車しました。弘南鉄道の弘南線は弘前~黒石間を結んでいますが、その昔は国鉄に黒石線という短い路線があり、川部~黒石間を運行していました。しかし国鉄改革時にご多分に漏れず廃線候補となり、そこで弘南鉄道が引き取って運行していたのですが、結局利用状況は振るわず1998年に廃止されてしまいました。川部~前田屋敷~黒石の約6キロ・3駅しかなかったごく短い路線だけに、そもそも今のご時世存在意義が乏しかったのは致し方ないことでした。
で、小生、弘前から弘南線を往復するのも芸がないと、この川部~黒石間で運転されているらしい弘南鉄道の関係バス会社のバスに乗ろうと思い立ち、川部駅で下車したのでした。ところが鉄道との接続の関係で、ざっと1時間ほど川部で待つことになりました。もっとも川部~黒石のバスは1日5往復しかないので、1時間でもマシな方ともいえます。

てなわけで、1時間ほどの暇な時間を、駅周辺をぶらぶらして時間を潰さねばなりませんでした。そんな時、ふと冒頭に掲げた跨線橋に目が留まったのです。最初は梯子がなんだか面白いと思ったのですが・・・しかしこの梯子は何のためなんでしょうね。雪下ろし用か?
で、見て分かるとおりこれは、昔の鉄道関係建築物によくある、古レールを活用した跨線橋でした。もしかすると産業遺産として結構古いものかも、と期待を込めて跨線橋のレールに刻まれた刻印をチェックしてみました。見つけた刻印を以下にご紹介しますが、幾重にもペンキで塗り重ねられていて、読み取るのに非常に難渋しました。
一番数多くの刻印が読み取れ、文字も比較的明瞭だった柱を、以下に示します。

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一方、別の柱からは、一部が運悪くリベットにかかってしまっていますが、これとは異なる刻印が読み取れました。

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最初の柱の刻印の、「TOU・・・」に続くであろう箇所が、もう少し明瞭です。もっとも画像中「EFI」と読んでいるところは、当初はEだかFだかLだかよく分からなかったのを、後で調べて多分こうだろうと宛てたものです。
更に別の柱にも、おそらく同様らしい刻印が刻まれていました。

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以上の断片的な銘文をつなぎ合わせると、どうも
「CAM・・・LL」「(E?F?)(E?F?)(I?)・・・D」「TOUGH?NED」「STEEL」「1884」「(P?R?)」「IRJ」という感じで、7つ程度の単語もしくは数字、文字が刻まれているようです。
このうち「1884」は明らかに年代であり、このレールは1884年に製造されたものであると考えられます。120年以上も前の、19世紀のレールだったんですね。また、「IRJ」とはおそらく、「Imperial Railway of Japan」ということで、日本の官鉄が発注したレールを意味しているのでしょう。
ちなみに川部駅のあたりの奥羽本線は1894年開業(川部駅も開通と同時に開業)なので、この跨線橋のレールは、路線開業よりも古いことになります。恐らく、当初は川部駅に跨線橋はなく、後に跨線橋を建設する時、どこからか古いレールを持ってきて材料にしたのでしょう。川部駅に跨線橋が出来たのがいつかは小生には分かりませんが、川部駅に旧黒石線が開通したのが1912年、現在の五能線である陸奥鉄道の開通が1918年ということなので、おそらく川部駅が重要性を増していった大正時代のことなのではないかと推測されます。で、明治時代に敷設したであろう古レールを使ったんでしょうね。
さて、残りの銘文ですが、これは製造メーカーやレールの種類などを示しているのでしょう。で、これらの同定については、当ブログでも毎度お世話になっておりますサイト「古レールのページ」さんのデータを参照にさせていただきますと、どうやらイギリスのチャーリーズ=キャンメル社のレールが該当するようです。そちらのデータを元に刻印の全文を推測すると、
だったのではないかと思われます。英国はシェフィールドにあるキャンメル社が、日本の官営鉄道の発注に応じて製造した「強化鋼?」(TOUGHENED STEEL)のレール、ということでしょうか。「P」は材質もしくは形状・規格についての記号と思われますが、今の時点では分かりません。
というわけで、川部駅の跨線橋は、実は結構年代物でした。階段部分の壁などは最近に改修されたようですが、骨組の材料は126年モノ、おそらく跨線橋自体も70年や80年はあろう年代物ではないでしょうか。なかなか端倪すべからざる一品と思いますので、ご興味のある方はお近くを通りかかった際、五能線乗り換えの暇にでも見てみてはいかがでしょう。

※本記事の補遺・余談は以下の記事→渡道顛末記拾遺の補遺(川部駅と黒石駅の古レール)