今日の東急デハ5001号の状況(62)「ハチ公前広場運営協議会」?
まずは全景から。
それでは、車体の前から順次見ていきましょう。
続いて運転台ドア周辺を。
次は定番のドア周りを見てみます。運転台寄りのドア周辺を何点か。
戸袋側は以下の通り。
今回は更に、ドアのステップ部分も掲げておきます。これまでここだけ特に撮影したことがなかったと思いますので。
次いで、運転台寄りのドアの戸袋窓を見ます。元々痛みやすい場所ですが、どうなっているでしょうか。
上掲戸袋窓の向かって右手、運転台寄りドアから2枚目になる窓も、隅に痛みが見られます。拡大してみましょう。
次の写真は、運転台寄りドアから3枚目の窓と4枚目の窓との間です。
この附近を拡大してみます。
同様に、上の方を見上げてみます。
運転台側のドアから4枚目、というか車端部寄りのドアの向かって左手の窓も、周りに痛みが結構出ている箇所です。
この窓の下の車体は、以前から幾つか目立つ傷がありましたが、ごく小さいものの他は特に変化はないように思われますので、そこの写真は省略して、車端部寄りのドア周りに移ります。
運転台寄りのドア同様に、ステップ部分も今回は掲載しておきます。
これも傷の多い、車端部寄りのドアの戸袋窓周辺を見ます。
最後に車端部の様子を、といってもあまり目立った変化はないように思われましたので、一つだけ。
なお、車体の正面から向かって左手側はこうなっています。
車内の様子はこうなっていました。
車内のその他の、注意書きなども少し充実していたと思います。
さて、先ほどちょっとだけ紹介した、車端部よりドア附近の掲示について触れておきます。まず掲示の写真をここに掲げておきます。
文章の内容について幾つか申し述べたいこともありますが――「品川鉄道」より「日本鉄道」の方が適切だろうとか、「帝都電鉄(現在の井の頭線)」と書くなら「東京横浜電鉄(現在の東横線)」とか「東京高速鉄道(現在の地下鉄銀座線)」にすべきだとか――それは措くとしても、「青少年の健全育成、地元商店街の振興、地域の美化活動」とデハ5001に何の関係があるのか、そして過去4年間小生が見てきた限りでは、それらの「連携拠点」としてはほとんど機能していないではないか、何ともうんざりする限りです。小生は無体な公務員批判に与する気はありませんが、これなどまこと悪い意味の「お役所的」と思わざるを得ません。ハチ公前広場モニュメントについて
【鉄道とともに発展した街、渋谷】
明治18年に、品川鉄道(現在の山手線)に渋谷駅が設置されたことに始まり、明治40年には玉川電車が開通し、明治44年には東京市電が渋谷まで延長されました。
昭和2年には東横線、昭和8年は帝都電鉄(現在の井の頭線)、さらに昭和13年には地下鉄銀座線渋谷駅は、商業の集積とともに、日本有数のターミナル駅となりました。
【青ガエル】
平成18年10月26日に設置した、このモニュメントは、昭和29年に東京急行電鉄株式会社により製作され、超軽量電車5000系として東横線で活躍していました。
車体の形状及び塗装の色から連想される「青ガエル」の愛称で親しまれていました。
【設置目的】
渋谷にゆかりのある電車を設置することにより、渋谷の歴史やふるさと渋谷の伝統文化、区民の生活様式の変遷を伝え、皆様により深く渋谷のまちを知っていただきたいと考えました。
また、青少年の健全育成、地元商店街の振興、地域の美化活動の連携拠点にしたいと考えました。
【管理運営】
モニュメント設置に当たり、ハチ公前広場モニュメント運営協議会が設置されました。
渋谷区、ハチ公前広場モニュメント運営協議会及びセコム株式会社が協定を締結し、モニュメントの管理運営をしています。
ハチ公前広場運営協議会
掲示の本文は「ハチ公前広場モニュメント運営協議会」なのに末尾のクレジットが「ハチ公前広場運営協議会」なのはどういうことかと思いますが、まあ同じ団体なのでしょう。
この団体についてネットで検索をかけてみますと、なんと当ブログの「[特設]東急デハ5001号問題」の過去記事しかそれらしいものがヒットしません(苦笑)。以下にその記事へのリンクを張っておきます。
・今日の東急デハ5001号の状況(18)
・今日の東急デハ5001号の状況(19)
上掲過去記事では「渋谷区と渋谷の商店街とが組織したもの」と説明してありますが、その後この「ハチ公前広場モニュメント運営協議会」はデハ5001号の周りでもその名を見た覚えがあまりなく、有り体に言えば小生もすっかり忘れていました。そこで小生、どうして今頃こんな掲示が取り付けられたのか、車輌の番をしておられた渋谷区サービス公社の方に、「ハチ公前広場運営協議会」について伺ってみました。なお以下のまとめの文責はあくまでも墨東公安委員会にあります。
で、その方のお話では、渋谷の地元の商店街が中心となって、渋谷区とやっている団体、ということでした。もっともその後小生もその存在を失念していたように、その活動は低調のようだったのですが、その方のお話でも、今日の展示が選挙管理委員会というお役所のそれであるように、実質的には渋谷区がやっている状態である、とのことでした。
しかし渋谷区としても、上掲掲示の文言が既に空文と化していることは問題視しているもののようで、地元商店街やNPOと区との「協働」という、最近はやりのことを実現しようとは考えているそうです。当ブログでも、まちづくりと地域団体の関係について秋葉原の例(これとかこれ)など挙げましたし、先日の記事では黄金町の事例に触れましたが、なかなか難しいことが多いようです。ことに、デハ5001設置の際の見込み違い、その後の運営の当局・地元のやる気のなさ(当初の、ガーディアン・エンジェルスの「民間交番」構想が警察の反対で潰れて、区当局と地元で押しつけあっているのでしょうか)を見ていると、今後の「ハチ公前広場運営協議会」についても正直楽観視はできません。
お話をして下さった車輌の番をしておられた方も、何とかしたいんだけどねえ、なかなかお役所仕事の都合などで進まない、という旨のことを仰っておられたかと思います。
こんな状況ですので、渋谷区や地元の批判ばかりでなく、以前当ブログで書いたように、むしろこちらから企画を持ち込んでみるくらいのことをしたいのですが、然し現在の調子ではとても思い至らないのが無念です。来年こそは何か・・・せめてこの観察記は続けていきたいと思います。
最後に、余談ですが、「明るい選挙啓発ポスターコンクール入賞作品展示会」でちょいと目を惹いた作品をご紹介。この写真はクリックすると拡大表示します。額のガラスに背景の映り込みが入って、ちょっと見にくいのですが・・・腕が悪くて済みません。
(この写真はクリックすると拡大表示します)
他の作品と比べると、キャラクターが今時らしくて目を惹きました(笑)。まあ、こういう表現もお役所的にオーソライズされた時代ともいえますが。
ところで、この黄色のラインとスカーフのセーラー服のキャラクター、どっかで似たようなのを見たような覚えがあるのですが、どうも思い出せません。ご存じの方がおられましたらご教示下さい。
年末、30日松本電鉄を訪問しました。
もちろん、5000系の状況確認のためです。
ぬりなおされてはいますが、信州の気候風土もあり、ところどころ
塗装の痛みやさびが出ていました。
貴重な準原型ともいえる車両ですので、なんとか解体されることなく
、姿をとどめて欲しいものです。
31日には上田電鉄にて5202号の姿を見てまいりました。
本年も宜しくお願いします。
充実された年末を送られたようですね。
小生は恥ずかしながら今だ上電や松電に乗車の機会を得ませんが(熊本は随分前に行きました)、やはり一度見ておきたいと思っています。
松電はかつて、国電の始祖だった甲武鉄道の車輌を、自社の判断で保存していた(http://bokukoui.exblog.jp/6486828/)という偉大な実績がありますので、きっと粗略なことはしないと信じています。
上田は丸窓電車の1両を放出(解体)してしまうようですが、5202と合わせて博物館的な形に再編するのでしょうか。
遅くなりましたが明るい選挙啓発ポスターコンクール入賞作品展示会の
杉町愛美さんの作品のキャラクターは
鏡音リン というキャラクターだと思います。
間違っていたらごめんなさい・・・。
こちらこそ、コメントありがとうございます。
ボーカロイドの鏡音リンですね。最初配色で何となくそんな気もしたのですが、印象違うと思って外してました。しかしご指摘を受けてもう一度よく見たら、なるほど、目立つリボン外してセーラー服を配色そのままに普通の形にすれば・・・よく見れば髪型とか髪留めがかなりそっくりですね。よく見ていなかった我が不明を恥じました。ありがとうございます。
それにしても、最近は女子中学生もニコニコ動画でボカロ曲を聴いているのか・・・ポスターの背景をよく見れば明らかにウインドウズ画面だし、まさに時代ですね。