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筆不精者の雑彙

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「DQNネーム」「キラキラネーム」の近代史~荒木良造編『名乗辞典』

 4月といえば出会いの季節(もう終わりですが)。新たに知り合った人も皆さん多いのではないかと思います。引き籠もりの小生には無縁の話ですが・・・まあそれはともかく。
 で、新たに出会った人の名前を読む機会も多かろうと思うのですが、最近はよく、「子供の名前に変すぎて読めない名前が多い」なんて声が聞かれますね。批判的に見る側はそういう名前を「DQNネーム」「暴走万葉仮名」などと呼び、肯定する側は「キラキラネーム」なんて呼んでいるようですが。ネット上でこの手の名前を集めたサイトとしては、「DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)」が有名ですね。
 具体的に、どういう名前が「DQN」になるのか、上掲サイトの中から引用してみましょう。
明確な掲載基準はありませんが、名言集や当事者の声をご覧いただければ、だいたいの基準が浮かび上がってくると思います。以下のものが代表例です。

* 漢字の読み方をぶった切りしている(心愛、大翔、光風)
* 漢字の読み方を完全に無視している(十兵、紗冬、桜桃)
* 漢字が悪い意味を持っている(憂、哀、未、倭、伽、汰)
* やたら難しい漢字を使っている(紫癒羅、純魅麗、楽瑠琥)
* 本来、別の意味を持っている(海月、心太、湯女、早世)
* 一目で勘違いだと分かってしまう(王子、宇宙、星)
* 語感が悪い、言いにくい(樹美羅、夏栄、莉瑠葉)
* 外国語に無理して漢字を当てている(花紗鈴、英翔、海)
* アニメ・小説の登場人物(ハム太郎、月、美月&美新)
* 食べ物、動物、モノ(賦鈴、栗、美音、らいおん)
* おこがましい(神王、天使、帝、天照)
* 冗談にもほどがある(苺苺苺、たまてば子、奈々安寿絵里)
* 悪意が感じられる(吾郎、ポチ男、カス美、大麻)
 といったところのようです。
 で、このような名前についてネット上で話題になる時は、まあ場所によって論調は大きく変わるでしょうが、どちらかといえば批判的なものが多いんじゃないでしょうか。例えばこんな感じで。まあ2ちゃんねるだけど・・・参考にはなるでしょう。
 さて、こういう名前を批判して、日本の将来が思いやられる、名前は昔ながらの普通なのが一番、なんていう人は上掲2ちゃんまとめのようによく見受けられますが、それでは過去を振り返ってみたらどうでしょうか。

「DQNネーム」「キラキラネーム」の近代史~荒木良造編『名乗辞典』_f0030574_2050739.jpg そんな時に格好の資料を小生、大学の図書館で見つけました。

荒木良造編
『名乗辞典 付録・難読姓氏名辞典』
東京堂出版(1959)

 と、半世紀前に出された名乗りを集めた辞典です。図書館の資料室でたまたま見つけ、面白かったもので記憶にとどめていたところ、最近古書店でたまたま見つけたので手に入れておきました。本書をひもとき、日本人の名前の歴史を探ってみましょう。といっても、前近代であれば名前は全然違うので、対象はやはり近代以降で。
 本書収録の人名は、漢和辞典や歴史人名辞典の類から収集したものも多いようですが、主力は編者の荒木先生が、人事興信録や紳士録、職員録の類からせっせと収集し、場合によっては載せられた人にお手紙を出して問い合わせた、という確かなデータです。出典の人名録の類は昭和10年代から30年代初頭のものが中心なので、掲載されている人名の方の生年は大体明治から昭和初め、もっとも遅くとも敗戦直後くらいまでのものであろうと思われます。 




 それでは、本書の編集意図を探るべく、「まえがき」を引用してみましょう。なお途中省略があり、一部の漢数字をアラビア数字に改め、ふりがなは直後に〔〕でくくって書いています。
 名前のよみ方は、漢字(表意文字)の使用を、立前としてきたわが国では、煩雑きわまりない結果を生んで、第三者をなやまし続けてきた。「名はつけられる当人のものであると同時に、社会のものである。離れ島で暮らすのなら、名の必要はない、珍奇難解の名は、他人の利益を害する」(昭26.4、東京高裁判定)というような、近代的名付観は、まだ一般に徹底せぬ。(中略)

 五万に近い漢字(大漢和辞典によると49700)のうち、どれを取ろうとも自由であるし、漢音・呉音・唐音なども、どれを取ろうと自由であるし、訓よみにしても、第一義はもとより、第二義第三義およびその派生した意義のうち、どれを取ろうとも自由であるし、その上さらに、よみ方の一部が省略されたり(正泉〔マサズミ〕、イズミのイ略)(都操〔トサオ〕、ミサオのミ略)熟語の一部をかりて来たり(酒喜男〔ミキオ〕、御酒〔ミキ〕のミ)(税〔チカラ〕、主税〔チカラ〕の全部)また、戯訓とでも称すべきもの(吾をゴロウ)(不知子〔イサコ〕、いざ知らずのイサ)などがあって、名前のよみ方の壁は、よういに突破されそうもない。

 昭和21.11、に当用漢字1850、同26.5、に人名用漢字92、合計1942のみが、名付用漢字として、制限されたのであるから、今後は名前のよみ方の煩雑さも、よほど軽減されるであろう。しかしこの制限以前の人が、まだ9割以上もいるので、当分は苦労しなければならぬ。大正12.2、に、ローマ字がきの名前が禁ぜられ、昭和5.4、に符号字(ゝ〔シルス〕 〇〔マドカ〕 ×〔オサム〕 など)の名前が禁ぜられ、新憲法では、御諡御名を、熟字のまま使用しても、差支えないことになったが、これとくらべると、当用漢字人名用漢字の制定は、われわれの立場からみると、世紀の改革といわねばならぬ。
(後略)
 というわけで、現在とはまた違った意味で、半世紀前も「変な読み方の名前」には悩まされていたのでした。それにしても、ローマ字や記号でも構わない時代があったなんて・・・2ちゃんのDQNネーム批判スレとかでは、この分だとそのうち絵文字や顔文字を名前にする奴がいるんじゃねーの、みたいな揶揄があったりしますが、現実はその斜め上を行っていたようです。まあ、まさかそんな名前で届け出はないだろうと考えもしていなかったところにそんな例が出て、慌てて法で定めたのでしょうかね。

 そして、編者の荒木良造は東京帝国大学国文科を卒業した国文学者ですが、そういう方が当用漢字という制度を「世紀の改革」と評価しているのも面白いところです。今ではむしろ、伝統を破壊すると批判的な意見が漢字制限には多いんじゃないかと思いますが、実際制限がなかった時代の苦労を知っている人からすれば、適切な制限は必要だったのでしょう。
 小生の大学のサークルの先輩で、言語学を修め各国語に通暁しておられる「大名死亡」さんは、「私は漢字制限賛成論者である。難しい字を使ったって、そんなに情報量が増えるわけではない。かえってやまとことば的な情報が見えなくなるという害悪もある。なんでも漢字で書かねばならないという強迫観念は、無理な当て字や誤字を横行させて、文章の機能を非常に損う」と主張しておられますが、同時にネット上ではご自身の意見が少数派であることを驚きと共に記されています(このページの(6. 8. 2010)付記事の末尾)。合理的に言語の機能を考えれば、やはりそのような方向に落ち着くものなのでしょうか。

 それでは、実際に本書に挙げられている具体的な名前を見てみましょう。
 本書の大部分は、漢和辞典の要領でまず漢字が示され(配列は音読みの五十音順)、それに存在する名前の読みが実例と共に(例がないものもある)挙げられています。名乗として訓読みのものを挙げ、音読みは原則として収められていません。
 たとえば、そうですね、うーん、「萌」という漢字でも引いてみましょうか。半世紀前の本なので「萠」と古い字体で収められています。すると、
 :加藤土師萠(はじめ) メミ:林萠枝(めみえ) モエ:芦田萠葉(もえば) キザシ:田所萠(きざし) メグミ:進萠子(めぐみこ)(p.184より抜粋)
 なんて調子に掲載されています。実際には古代の人名や個々の名前の出典文献も載っていますが、煩瑣なので略してます。にしても、「めみ」とも読むのか・・・
 いちいちこんな感じで例を挙げているときりがないので、今ぺらぺらとめくって目に付いたお名前を挙げさせて貰います。
 まず、こんなのを。

 ・周耀星(テルトシ)
 ・加藤紅玉子(ルビコ)
 ・舟坂宙子(ミチコ)


 まさに戦前産の「キラキラネーム」というところでしょうか。「耀」に「星」とキラキラしている上に、「ホシ」と読む字が「トシ」になっています。とても戦前の名前とは思えない「現代的」な名前・・・というか、案外昔からあったというか。
 「紅玉子」さんの方も、外国語に漢字を当てはめる、それが宝石の名前という、キラキラ度たっぷりな名前です。宝石屋さんの娘さんだったのでしょうか。それともリンゴ農家? いやいや、印刷屋(活字の大きさを宝石の名前で呼ぶ習慣があり、だからふりがなに使う小さな活字を「ルビ」という)という線もあるかも知れません。 
 「宙子」さんというのは、如何にも今時の「キラキラネーム」に使われそうな文字ですが、読みは今と比べるとごく穏健です。もっともそれなら何故この字にしたのかという疑問も出ますが。男性名で「宙」という人もいましたが、これは「ヒロシ」と読むそうで、まず納得です。うるさい向きには「DQNネーム」と言われそうですが・・・まあ「ヒロシ」って元々、漢字表記も多いですが。この辞典には64通りの「ヒロシ」の字が載ってます。

 何でこんな名前にしたんだろう、と首を捻った実例を男女で一つづつ。
 
 ・伊東禿(カムロ)
 ・薄井無子(ナシコ)


 「かむろ」と読めば確かに人名らしくはありますが、漢字がねえ・・・どう考えても第一印象は「ハゲ」です。無子さんも、「無」という漢字を名前に使うというのはどんな意図だったのでしょう。坊さんの号とかならわかるのですが。おまけに名字と相俟って、ますますなんだかな名前になってしまっています。ちなみに「無子」さんの反対?で「生子(イキコ)」というのもありました。
 人名に何でこんな漢字を? というのでは、こんなものあります。

 ・浜本鈇子(オノコ)

 「鈇」は斧と同じような意味の字ですが、何でこんな字を女性に? 正直、最初見かけた時にひぐらし某とかスクイズ某とかの、鋸や鉈を振り回すヤンデレヒロインを連想してしまいました。おまけに「おのこ」という発音では、「男の子」も連想されます。かといって、男性名で「斧」という漢字で「ハジメ」という例もあるのですが、これも読めそうにないですね。

 女性の名前ではこんなのも。

 ・堀川太生子(タウコ)
 ・橋本妻子(ツマコ)
 ・阪東尉功(ヤスコ)


 「太生子」さんについていえば、昔は今ほど女性の容姿に関して痩せていることを求めなかったのでしょう。丸々と太って生まれた元気な赤ちゃんだったから、なのかな。然し誤解を招く恐れもありそうです。
 「妻子」さんも、良縁に恵まれますように、という親の願いだったのかも知れません。しかし名字をくっつけると、「橋本さんの妻子」みたいな感じで、やはりどうかと思わずにはいられません。上の「DQNネーム」でいえば、「本来、別の意味を持っている」の例ですね。
 「尉功」さんは・・・音を聞けば女性と分かりますが、文字は如何にも軍国調。なわけで、「婦人であるのに、戦時中、召集令状がきたり、足止め令状を受け取った」という曰く付きの名前だそうです。それにしても、間違えた召集令状の後始末はどうしたんでしょう。ミスった役場の兵事係はあとでどうなったのやら。
 
 これは記号か? いいえ、漢字です、というのを。

 ・叶凸(タカシ)
 ・松岡丨(ススム)


 これは見た瞬間ギョッとなるのは避けられません。「叶凸」さんの方は議員か何かを勤められた方らしく、ネット上でも名前が出てきます。まあ、久保凸凹丸(アイマル)というその道では知られた人もいますし・・・うーん。
 「松岡丨」さんの方は、縦書きにするとまあ「ススム」という感じかなという気もしますが・・・なお「丨」は長音符ではなく「コン」という音の歴とした漢字です。ATOKだと「コン」の変換で出ますよ。最後の字だけど。

 最後に、どう考えてもこれはふざけているだろう、というのを。

 ・東西南北(シナタ)

 「東西南北」でフルネームです。つまり、「東」が名字で名前が「西南北(シナタ)」というわけ。もう、何をかいわんや。「冗談にもほどがある」上に「漢字の読み方をぶった切りしている」だよなあ・・・。

 さて、この他に「DQNネーム」の例としてよくあるのが、無理矢理横文字の名前に漢字を宛てているという奴です。有り体に言えば小生の名前が割とそれに近くて、子供の頃に多少アレな思いをしたこともないではありませんでしたが、今となってはごく普通に受け止めてもらえるようになって安心しております(笑)。
 この人名辞典にも、「洋名」と西洋人の名に漢字を宛てた名前ばかり集めた節がありますので、ひとつ引用してみましょう。

 西洋風の名前を子供に付けた、というので有名なのはなんといっても森鴎外です。ところが世の中には、鴎外一家を越える? 文学調の西洋名を子供に付けていた人がいました。名字まで鴎外の向こうを張っているわけではないでしょうが、重森という名字の方々です。

 ・重森完途(カント)
 ・重森執氐(ゲーテ)
 ・重森弘淹(コーエン)
 ・重森貝倫(バイロン)
 ・重森三玲(ミレー)
 ・重森由郷(ユーゴー)


 これはお見事。もっとも、鴎外が付けたのはあくまで西洋人の「名前」だったのに対し、こっちは「姓」のような気もしますが。
 西洋文学者シリーズではこんな方も。

 ・若杉森英児(モリエール)

 「森英児」だけで普通に「もり・えいじ」さんみたいですが、あくまで名前です。モリエールも姓じゃないかという気がしますが。

 ところで、戦前にわざわざ西洋風の名前を子供に付けたがる人というのは、鴎外のように(そして重森氏も多分そうなんでしょうが)西洋文化に接したインテリ、というのがまず考えられますが、もう一つあったようなのが、聖書にちなんだ名前をつけるキリスト教徒の方々だったのではないかと思われます。『名乗辞典』の名前もそれらしいのがかなり収録されています。幾つか挙げてみましょう。
 まず、これは今では聖書を離れて普通に「かわいい」と付けられそうな、聖母マリアにちなんだと見えるのを挙げてみましょう。

 ・趙瑪利亜(マリア)
 ・山崎万里亜(マリア)
 ・藤本摩利伊(マリイ)
 ・浅妻満利也(マリヤ)
 ・本江明里(メリー)
 ・馬場米里(メリー)


 「マリア」の当て字の女性は今でも結構ありそうですが、使う字の傾向はちょっと異なっているようです。
 その他、キリスト教系統がかなりあるので、以下一気に挙げていきます。

 ・衣笠意作(イサク)
 ・石川撒母耳(サムエル)
 ・粟生助世夫(ジョセフ)
 ・兼吉恕世夫(ジョセフ)
 ・山田栢採(ペートル)
 ・内山彼得(ペートル)
 ・玄美可悦(ミカエル)
 ・芝崎弥額爾(ミカエル)
 ・水野路加(ルカ)


 天使や聖者や、勢揃いですね。とても読めない強引なのも多いですが、「ジョセフ」は「世を助ける人」「世を赦す人」という意味にもなり、キリスト教の教えにもかないそうです。岡部イサク先生のお名前も先例があったんですね。
 で、個人的にこの手のキリスト教系ネームでこれはいかがなものか、と思ったのがこれ。

 ・小山正面(シメオン)

 「シメオン」というより「シオメン」じゃないかという気がしますが。
 で、昔と今を比較すれば、西洋風な名前で最も大きな変化は、このようなキリスト教系の名前が減少した(今「マリア」と名付ける親に、キリスト教徒がどれだけいるかは疑問)ということではないかと思います。そこまでキリスト教徒が戦闘的になることを止めたということなのでしょうか。これは一考の余地があります。
 一方、今の「DQNネーム」ではギリシャ神話系の名前が結構ありますが(『聖闘士聖矢』にはまった腐女子が親になった?)、それらしいのは少なく、この一例しか載っていないようです。

 ・雑賀亜幌(アポロ)

 この辺の傾向の変化は興味深いですね。
 
 これに対し、宗教付いた名前なんかいやだ、という場合にはこんなのが。

 ・武藤丸楠(マルクス)

 「ベタなDQNネームの法則」というページの、「DQNネームを考えてみよう」というコーナーで「丸楠」を挙げている人がいますが、現実に存在していたんですね。流石にこの名前は戦後・・・だよね?
 もっとも、「南方熊楠」という人もいたので、案外日本の伝統的な名前から外れていないのかも知れません?

 今度は、如何にも気宇壮大な名前をつけて、名前負けしないかと心配になりそうな方々を。

 ・長井亜歴山(アレキサンドル)
 ・相川拿破崙(ナポレオン)


 今の目からすればスゴい当て字、という感じですが、実は明治時代の本では、アレクサンドロス大王やナポレオンをこのような漢字表記にすること自体はまま見受けられます。小生は「奈破翁」というのを見た覚えが。あと、新聞で「虞翁没す」という見出しを見て、はて誰だろうと本文を読んだら、ヴィクトリア朝英国の首相として名高いグラッドストンのことだった、なんてことも。
 というわけで当て字はいいのですが、ただそれを自分の子供に付けるのかなあ、とは思います。

 と、いろいろ挙げてきましたが、個人的にこの辞典で見かけた名前中、もっとも「これは・・・」と思った名前を最後にご紹介します。これも西洋の名前に漢字を宛てたものです。

  ・荘司六十里二


 さて、この名前は何と読むでしょう?


 ヒントは、このブログ記事の日付です。この名前の元になった人物は、4月28日没です。今年は没後66周年になります。



 そうです。この名前は、「ムソリニ」と読むのです。

 どう考えても、イタリアのファシスト党のベニト・ムッソリーニにちなんだ名前ですね。きっと、日独伊三国同盟の時に生まれた人なのでしょう。或いは親が中野正剛に頼んで名付けて貰ったとか?
 この名前を見た時、小生はきっと1940年の日本で「日虎」と名付けられた子供がいたに違いないと確信しました。日の本で虎の如く活躍することを祈って(笑)。そのうち「虚構の皇国」の早川タダノリ氏が実例を発見して下さると信じております。余談ですが、『名乗辞典』では「タダ」と読む漢字を133文字、「ノリ」と読む漢字を226文字収録しています。従って「タダノリ」の漢字表記は、30,058通りあることになります!
 それはともかく、この名前の教訓は、「現存の人名を子供に付ける時はよく考えよう」ということですね。この教訓は、かなり普遍的なものだと思います。

 そろそろ締めに参りましょう。
 まずお断りしておきたいのは、以上の記事をもってして、「DQNでキラキラな名前は日本の伝統だ!」と言いたいわけではありません。類似したパターンはありますが、違っている点も見逃すべきではありません。さっき指摘した、キリスト教系の名前とギリシャ神話系の名前の違いもそうですが、好まれる漢字にはかなり違いがあります。
 例えば、「DQNネーム」御用達の字といえば「夢」なんて字が考えられますが、『名乗辞典』には「久徳美夢(ミユメ)」さんという一例しか収録していません。更に驚くべきことには、最近の男の子の名前として大人気の「翔」という字に至っては、項目自体ありません。
 これまた「DQNネーム」御用達の字でいえば、「魅」という字も当用漢字であるにもかかわらず、実例を発見できなかったので項目を立てなかったと、前書きに記されています。当用漢字なのに実例が無い字というのは、「死」とか「獣」とか「臭」(そりゃ「臭作」はないわな)とか、そんな字ですが、「魅」という字はそれと同様に扱われていたようなのです。このような変化は極めて興味深いことです。
 また、「読みにくい」とされて「洋名」の項目に入れられている人名に、「真理」というのがあります。この名前、今ならよほど口うるさい人でも「外人の名前に無理矢理漢字を宛てたDQNネーム」とは言わないでしょう。このような変化も面白いところです。

 小生個人の考えでは、やはり漢字からあまりに隔たった読み方をさせたり、漢字の意味を考えなかったり、人名に宛てる言葉は慎重に考えるべきと思います。しかし、あんまり何でもかんでも「DQNネーム」呼ばわりするのもなんだかなー、という思いもあります。簡単に割り切れるもんじゃないですね。
 漢字制限を「世紀の改革」と賞賛した荒木博士も、巻末の後書きでこのように述べています。
(前略)漢字ははんさだ不便だ漢字を廃止して、ローマ字にせよという極端論もあるが、名前に関するかぎり、よみ方に難癖はつけられるが、さらばといって、これを仮名でかいたり、ローマ字に綴ったりしたのでは、単に符牒たるにとどまって、いわば砂をかむようで、なんらの色つやもなく、趣きもわいてこぬ。これを漢字でかけばこそ、興味ゆたかな芸術味を感じる。たとえば「ノブ」とよむ漢字は144あるが、(中略)これをじっと眼でみていると、漢字そのものがもつ、特殊の意味が連想されて、仮名がきやローマ字綴りでは、あじあわれぬものを持っており、それが名前「ノブ」の本体であるかのように思われて、ちがった印象をうける。見方によっては、「ノブ」という語彙が、増加したともいいうる。名付けの際、この字を「ノブ」とよませた名付心理には、やむにやまれぬ一種の衝動の、ひそんでいたことを、認めねばならぬ。結果は他人の利益を、害するかも知れぬが、名付心理としては、すてがたいもののあることを、承知せねばならぬ。(後略)
 というわけで、単純に割り切れるものではありません。
 個人的な案としては、「国民総背番号制」を導入するなら、その代わりに名前を変えやすくしてもいいのでは、と思いもします。昔の伝統というのなら、それこそ親が付ける「幼名」と、その後の名乗りとを変えてもいいのではないでしょうか。「DQNネーム」に苦しんだ人は成年時に変えればいいし、気に入った人はそのままにすればいい。そうすれば、親も子供が気に入ってくれるよう真剣に名前を考える・・・いや、そううまくはいかないか(苦笑)
 とまれ、この辞典の最後を、「要するに、名前として用いられた漢字、並びにそのよみ方は、個人はもとより、社会一般にいろいろの問題を、不可解なまま残している」と荒木博士は結んでいます。その不可解な問題自体が、多少の形を変えつつも、今日もやはり不可解なまま続いているということは、確かだろうと思います。

※追記:本記事に関するツイッター上の記事まとめはこちら。大部分は本記事の要約ですが、幾つかご指摘をいただいております。
Commented by アトリー卿 at 2011-04-29 02:03 x
自分の子にムッソリーニと付けると確かにDQNだと思いますが、(おまけに姓だし)スターリンの名を付けた人は結構いるのですね。一人は今や国会議員ですし。
Commented by めかちゅーん at 2011-04-29 03:41 x
競輪界では難読NO1の左京源皇(さきょう・みなもとのすめら)選手がいますね。やんごとなさそうな名前で競輪選手です。
Commented by 顔のない男 at 2011-04-29 16:31 x
予備自に、すめらぎのみこと改という名前の士長がいました。
何が改なのかわかりませんが、人生の中で聞いた名で一番衝撃的な名前でした。
Commented by bokukoui at 2011-05-07 23:55
>アトリー卿さま
名前の「ヨシフ」の方を付けるだけ、名字よりは筋が通っている気がします。まあしかし、名前が多少変でも、自分の活躍で知名度を上げ、その名前を当たり前にしてしまったら、一番格好いいですね。
Commented by bokukoui at 2011-05-07 23:56
>めかちゅーん様
名前も名前ですが(「源」だったら臣籍降下して「すめら」でないんでは・・・)、名字もやんごとなき感を漂わせているので余計印象に残りますね。それも狙っての命名だったのでしょうか。
Commented by bokukoui at 2011-05-07 23:57
>顔のない男氏
ううむ・・・確かに、名前本体もさりながら、「改」は分かりませんね。まさか現代、「すめらぎのみこと」で役所の戸籍係に「不敬である」と突っ返されて「改」を付けた、ってこともないでしょうね。
Commented by たぬき at 2018-05-07 13:36 x
「漢字が悪い意味を持っている」では大山捨松が有名ですね。
キリスト教系の名前では「与主愛」(よしゅあ)というのを見たことがあります。
外国風の名前で有名なところでは、大杉栄が長女を魔子としたのはよいとして、次女がエマ(生後すぐに幼女に出された)、三女がまたエマ、四女がルイズ、長男がネストルとした例がありますね。
個人的には、字は何にせよ、女の子の名前で「えな」と読ませるのは胞衣を連想させるので非常に違和感があります。
Commented by bokukoui at 2018-05-16 17:00
>たぬき様
古い記事にもお目通しありがとうございます。

昔は捨て子の方が良く育つ、というので、あえて「捨」という字をつけることもあったようです。呪術的な(言霊の国だけに?)意味合いがあったのだろうと思います。

「与主愛」は面白いですね。「主の愛を与えられる」のであれば、キリスト教徒にはぴったりです。

どうも最近のキラキラネームは、考えがどこか浅い感じがして、違和感を覚えるのが多いのでしょう。個性を発揮するつもりが、ありがちなDQNネームの範疇に収まっているといいますか。
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by bokukoui | 2011-04-28 23:59 | 書物 | Comments(8)