鍋焼うどんの探求(27) 巴屋@本郷(二丁目)

この巴屋はビルの1階にあり、そのビルが「巴屋ビル」というまんまな名前です。昔からあった店舗をビルに改築したのでしょう。店内はテーブル7つと小さなお座敷があります。
お品書きを見ますと、もりかけ450円に始まり、天ぷらそば950円天せいろ1000円と、場所からすれば比較的お手頃な方でしょうか。最高値でも天丼の1100円です。このお店は、あとで外見の写真を掲げますが、ビルの1階にあって如何にも蕎麦屋です的ではないというか、食品サンプルなどがあるでもなく、何となく入りにくいような感じもあるのですが、実際のところはごくシンプルな町の蕎麦屋さんでした。お茶以外にセルフサービスの水がありましたが、それがウォータークーラーとかではなく、でかい薬缶を置いてあるのがちょっと面白いです。
さて、具の内容を確かめましょう。
・えび天(あまり煮てない)
・かまぼこ
・なると
・鶏肉×2
・卵(煮てある)
・麩
・椎茸(1/4、でもでかい)
・筍
・ほうれん草
・別添の薬味のネギ
こんなところです。ラインナップ自体は至極穏当なところで、950円としては充実した方ではと思います。個人的には鶏肉など肉系のものが入っていると、だしの味が深くなり、脂で全体をまとめる役割も増すので好みです。天ぷらはあまり煮込んではいませんで、衣はしっかりして剥がれにくいものでした。卵は結構よく煮込まれている方だと思います。
しかしなんといってもここの具の特徴は、椎茸が馬鹿でかかったことです。あまりの巨大さに驚いて、思わず食べている途中に写真を撮りました。

麺はやや細めで、柔らかめに煮てありました。吸い口に柚子が添えられてあり、それも結構大きめの皮の欠片が2片も添えられていました。
例によってお店の外見と場所を掲げておきます。


さて、このように本郷周辺に4軒もある巴屋ですが、以前この企画で「神保町満留賀めぐり」をやった際に満留賀一門について解説しました際の資料に使った『蕎麦春秋』の、これは昨年10月発行の vol.15 に、巴屋についての記事がありましたので、それに基づいて店の多い事情について簡単な解説をば。
ほしひかる氏執筆の「暖簾めぐり」第2回の記事によりますと、巴屋という蕎麦屋の発祥は1820年、近江の神崎郡御園村(現東近江市野村町)出身の山本庄左衛門なる人物が江戸に上り、蕎麦屋を始めたことによるものだそうです。当初は屋台だったのが、1830年四谷見附に店を構えたのが発祥とのこと。そしてその山本を頼り、近江から新たに上京した人々が巴屋で修行し、暖簾分けで増えていったという展開は、満留賀と同じです。満留賀が愛知県なら、巴屋グループは滋賀県なんですね。江戸文化の代表みたいな蕎麦屋が、こういう地方出身者グループによって支えられていたわけで。
で、巴屋の本店はその後新宿区の下落合に移転したものの、戦時中の強制疎開で東村山に移転させられ、本家筋はそちらで店を開いて今でもやっているそうです。本郷界隈の巴屋グループは明治時代に上京してきた人たちがルーツらしく、今回の本郷二丁目店は1892年独立、探訪(7)の本郷五丁目店は1900年独立なんだそうです。何でもない普通の蕎麦屋に見えて、実は一世紀越えの老舗。この二店は親戚関係だそうで、更にそこから本郷周辺に暖簾分けが増えていったのでしょうね。(※註:もしかするとここでいう「本郷〇丁目」は住居表示以前の旧表示で、現在のと違っているのかも知れない。その辺誤解しているかも知れない)
ちなみに巴屋という屋号は、初代山本庄左衛門が忠臣蔵が好きで、大石内蔵助の家紋にあやかって名付けたのだとか。巴屋一門には1897年から「巴屋同盟会」なる連合組織があるそうで、今でも数多くの加盟店があるそうです。まだまだ巡り甲斐がありそうですね。とはいえやはり満留賀一門同様、鍋焼うどんについての有意な共通性は見いだせませんが(笑)