分冊百科『歴史でめぐる鉄道全路線』シリーズ全100巻完結

朝日新聞社の出版部門は最近、昔鉄道ジャーナル社が出していて廃刊になった雑誌『旅と鉄道』を復刊させており、鉄道ものに力を入れているようです。本シリーズの刊行もその一環でしょうし、またそれが100巻まで続いたことと合わせ考えると、鉄道の歴史に興味のある人がそれなりにいたということで、まずは結構なことと思います。
さて、時事的な新刊紹介なんか滅多にしない当ブログで、わざわざこのシリーズを取り上げているのは何故かといいますと、小生がこのシリーズの下請けバイトをずっとやっていた、という縁があるからであります。このシリーズは基本的に、現況の訪問記事と歴史解説記事、それに地図や車輌紹介などから校正されていますが、「クロニクル」と題する歴史解説に附属する年表の、その元原稿作成の仕事をさせていただいておりました。本文との兼ね合いがあるので、最終的な構成は編集部が行っておりました関係上、名前は出ない仕事ですが。
で、全100巻中、ほぼ五分の一くらいの年表(の元原稿)を作成してきたのですが、最後くらいは署名記事を書かせてやろうと編集部の方でも思ってくれたのか、最終巻の『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 30号』の、立山黒部アルペンルートのクロニクルは、小生が執筆しております。ま、1ページ足らずの短い記事なので、ほとんど筆者の個性も出せないところですが、それでも二三こだわって、小生の考える黒部開発の特質については、何とか盛り込むことが出来ました。それが何か、とここで書いてしまうと営業妨害?なので、ご関心のある方は是非本誌をお読み下さい。ちなみにその「特質」とは、第2段落の最後の文です。
今にして振り返れば、紙数と時間の限られたこのような仕事では、ある程度のところで見切りを付けて妥協することは大変大事だと理解できますが、やっている時はついつい自分で納得できるまで調べようとして締切を延ばしてしまったり、他のことに使う時間も投じて、割に合わない仕事に結果的にしてしまったこともありました。あ、あと「どうせ研究でも使うし~」と、京福・叡電の発注を受けた時に古本屋で京都電灯の社史を買い込んだこともあったなあ(文献の経費は原稿料に含まれているので、買えば買うほど損といえば損)。
で、小生が一旦作成した原稿は、編集部の方で結構大幅に改変されて掲載されるのですが、その際何を残し何を外すかで何度か議論になったことがありました。一つ覚えているのでは、横須賀線の年表を作った際、軍事的理由で建設された路線だったので、開業当初は地元の利用は少なく、鎌倉から魚類が東京に運ばれたのが目立ったくらいだった、という地方史の記述があったのでそれを載せたところ、編集部が(もちろん気を利かせたつもりだったと思うのですが)「魚類」を「魚介類」に修正してきました。まあそのままでも特に大きな差はないのですが、小生はこれに、「明治初年の鉄道利用がいまだ一般的でない時期に、わざわざ鉄道による輸送コストをかけて運ばれた『魚類』とは、江戸時代以来の人気ブランドだった鎌倉産の鰹であろうと推測されるので、『魚類』のままでよい。遡れば芭蕉が『鎌倉を生きて出でけん初鰹』と詠んでおり、昭和になっても北大路魯山人が、鰹は鎌倉の小坪海岸に揚がるものが最上である、と著書に書いており云々・・・」と延々とメールで返事を送ったら元通りになりました(笑)。1文字足すかどうかでこんな労力かけるもんじゃないと今は思います。
なお、今回のアルペンルートの原稿についても編集者の方と何度もやりとりしました。その一つは佐伯宗義の名前を入れるかどうかで、最初削られたので「アルペンルートの歴史に佐伯が登場しないのは、クロヨンの歴史に太田垣士郎が登場しないようなものであり、本書の富山での売れ行きも懸念され・・・」とか何とか強硬にお願いして、載せていただきました。こんなやかましい割に仕事の遅い徒輩に、最後にこのような機会を与えて下さったことには、感謝申し上げる次第です。
ところで、小生は国鉄・JR編も、大手私鉄編も、公営鉄道・私鉄編も全てやってのですが、自分の専門の研究分野である大手私鉄編が一番やりがいがあった・・・かというとむしろ逆で、むしろJRのローカル線や地方私鉄なんかの方がやっていて面白かったものです。
他の作成者の方のやり方は存じませんが、小生が年表を作る際には、もちろん国鉄の建設記録やその会社の社史などがあればそれを見るのが第一で、次にその路線にまつわる書物やその地域の鉄道史などを探します。大手私鉄の場合、社史があるのでそこから必要な項目を抜き書きすると、大体紙数のかなりが埋まってしまい、作業としては煩瑣な割にあんまりおもしろみがないのです。
一方JRの路線や地方私鉄では、沿線の自治体が作成した地方史のリストを作り、網羅的にそれを調べていくという手段を取りました。いま概算してみると、どうも小生はこの仕事で、無慮数百冊の地方史を閲覧した勘定になりそうです。もちろんそのほとんどは、ちょっと見て鉄道に関する有用な情報はない、と片付けてしまったので、「読んだ」「使った」となるとごく一部ですが、それでもこれだけ地方史を見たことは、なにがしか勉強にもなったかな、と思います。時代によって地方史の編集スタイルが変わる、なんてことを感じ取ることが出来ましたし。
ちなみにいろいろと読んだ際に得た情報で、年表には盛り込めないけど個人的に面白かったものは、当ブログの記事のネタにしたのもあります。「もっとも過酷な『鉄道むすめ』の仕事 8メートルの雪を除雪せよ」とか、「半世紀前の国鉄官舎(宿舎)の間取図~『秋田鉄道管理局史』より」なんかは、そんなスピンオフものの例です。
思い返せば、個人的に一番自信作は紀勢本線かなと思います。元々手元に資料も多かったので(一応生まれは和歌山)、紀勢本線を特徴付ける話題をいろいろ盛り込めたと思います。同じ号の名松線も思い出深く、最初1ページという話で「こんなローカル線、半ページもネタがあるんだか・・・」と思ったところ、三木理史先生の『局地鉄道』だったかにこの地域の鉄道構想がいろいろと紹介されており、なんだかんだで1ページ以上のものが出来て、自分でも喜んで提出したら、「名松線の年表は半ページになりました」・・・。原稿料はちゃんと当初の約束通り1ページ分いただきましたが、あの無駄に詳しい名松線年表、どこかで陽の目を見させてやりたい気もします。
社史についても、いろいろと目を通すことが出来ていい経験になったと思います。その社史関係では、一つ思い出が。
このシリーズの公営鉄道・私鉄編の28号は、えちぜん鉄道や福井鉄道などを取り上げていましたが、この号の年表も京福や叡電をやった前歴からか小生が担当しました。今年の6月頃その作業をしていたのですが、今年の6月頃はかなり調子が悪く(それ以降もだけど)、この仕事も遅れ気味で編集部の方々には申し訳ありませんでした。
それでも何とか、国会図書館に通って調査していたのですが、その際『越前線写真帖 京福電気鉄道88年回顧録』というのを閲覧しました。最初文献リストを作った際、京福が福井を撤退する際に作ったらしく、写真集っぽいので優先順位は高くなかったのですが、これが驚くべき見事な出来映えでした。写真は古いものをよく集めており、古い絵葉書や戦後間もない時期の空撮写真などもあって、解説も簡にして要を得ており、特に巻末の年表が圧巻でした。全ての項目に出典となった史料が記されており、しかもそれが鉄道省文書や県庁文書など極めてしっかりしたものばかりで、これはただ者ではない仕事ぶりだと思いました。 OPACでは編著者が京福電鉄としか出ていなかったのですが、奥付をひっくり返すと本書は「ふくい私鉄サポートネットワーク」が作ったとあり、その具体的メンバーの中に「岸由一郎」とあるのを見た時、このクオリティの高さが得心いきました。
で、ここから先が後から思い返すと微妙な話なのですが、小生が国会図書館で本書を閲覧したのは今年6月14日のことでした。「明日は国会図書館の休館日(毎月第3水曜)だから今日中に片を付けねば!」と焦っていたのをはっきり記憶しています。今年の6月は水曜日から始まっているので、休館日前日は14日の筈です。そして6月14日とは、2008年に岩手・宮城内陸地震の起こった日だったわけで・・・閲覧していた当日は締切に追われて全く思い浮かばなかったのですが。
話が少々湿っぽくなりましたが、小生も多少お手伝いしたこのシリーズが、当初の予定の倍の巻数を刊行して無事完結したことをまずはめでたく思います。濃いマニア筋にはあまり目新しくないかも知れませんが、如上のように多くの方々が手をかけて編まれたもので、小生としても「ぐぐっただけでは分からない」情報を盛り込むことに注力したつもりです。鉄道史についての知識が普及する一助になればと思います。
とはいえ、ここ2年間の有力な収入源がなくなった今、個人的には多少頭が痛くもあるのですが。

独自研究の世界と言えば、悪評高い「鉄道データファイル」の索道部分と海外鉄道部分はけっこう立派な内容です。けっきょくこの手の企画は執筆者次第ですね。
データファイルはあまり評判を聞きませんでしたが、海外について出来がいいとは、よい筆者を得られたのですね。どういった方が書かれたのか、興味があります。インターアーバン特集とかあったらほしいですね。