マイナスネジとプラスネジ 岩本町「アジト」が「昭和遺産」になる日?
またしばらく調子を落とし、特に午前中は頭痛だなんだで動けない日々が続いておりましたが、今日は天気が良かったせいか何とか回復基調にあります。ようやく本も読めるような感じで、遅れている諸事を取り戻さねばと思っておりますが、それだけに電力事情という社会的要因のみならず、個人的な健康事情からも今夏の気候が気になります。
そんなわけでブログの更新も滞っておりましたが、あんまり間を開けるのも何なので、例によってお蔵出しの画像を張ってお茶を濁す次第です。
上掲写真は、当ブログでも何度か紹介しております、Study Hard (@Im_Weltkriege)氏(当ブログでは以前、「労働収容所組合」のHNで登場されていました)が中心となって諸事情を抱えた青年諸氏が共同生活を営んでいる、千代田区岩本町の通称「アジト」の建具です。
なにせこのアジト、場所と広さからすると随分と安い家賃なのですが、あだ名の通り見るからにボロい木造3階建ての物件(1階がそば屋で、アジトは2階と3階)で、何でも今年で築60年!くらいになるそうです。今から60年前といえば1952年、サンフランシスコ講和条約が結ばれて日本が独立を回復した年ですね。というわけで@Im_Weltkriege氏はアジトのことを、「サンフランシスコ物件」などと呼ばれることもあります(笑)。「サンフランシスコ講和物件」だったのが縮んだようで・・・。
とはいえアジトはこの間、借り手のみならず所有者も変わり、その間何度も改装を受けている模様です。上の写真でも見るからにやっつけ仕事な、ベニヤ板を張って表面だけ小綺麗にしたのが分かろうかと思います(柱の左側にベニヤの断面が見えます)。で、そんないい加減な改装の名残の一つが面白かったので、上に掲げておきました。ドアが取り替えられているのですが、それに伴ってドアを止める金具も新しいのに取り替えられています。しかし古い金具が撤去されないで残っているわけです。
で、その新旧の金具が時代を反映して、留めるネジもプラスネジとマイナスネジとで違っています。アメリカでは戦前からプラスネジがあったものの、日本での導入は戦後になってからだといいます。今ちょっと検索してみたところ、アンティーク家具を修理されている方やアンティーク時計にご関心のある方のブログに記述がありまして、これを参照させていただくに、アメリカでは1930年代に発明され、日本では1950年代に導入されていったもののようです。ここから推測するに、アジトの金具のうちマイナスネジのは建築当初のものであり、プラスネジのはそれから十年以上経って改装されたものということになりそうです。
もっともプラスネジの方もそんなに新しくなさそうな感じですね。小生はこういうものに全く疎いですが、雰囲気がなんとなく(笑)というのと、ここのドア自体既に半壊(半開)状態で、プラスネジの方の金具もまともに機能していない状態だから、というわけで・・・
もう一つ改造の痕跡を。
上の写真を見ると、いかにも謎の、どこかにホゾではまっていた?ように見える木材があります。これは横に梁がはまっていたのを剥がしたのでしょうか。なんとまあいい加減な改造ですね。
その他にも、妙な釘跡なども散見されるもので、もしかするとこのアジトの材木自体、更にそれ以前どこかで使われていたものを再利用されたのではないか? という説も唱えられています。もしかすると焼跡でバラックに使われた木材が第二の人生を、いやいやもしかすると戦前の木材が空襲で焼け残って、と一部のアジト関係者は妄想して楽しんでおります(笑)
とまあ、日本の独立回復から高度成長、バブル崩壊に平成不況、そして東日本大震災も耐えきったこのアジト、考えてみれば戦後日本のドタバタを体現した生き証人と言えるかも知れません。はっきり言って今は、建築基準法どこ吹く風の建て直し不可能物件で、といって敷地が狭いから潰しても跡地はコインパーキングくらいにしかならず、どうにも始末をつけづらい物件ですが、更に二三十年耐え抜けば、江戸東京たてもの園に戦後日本の史料として移築される日が・・・来ないだろうなあ・・・。
アンティークと中古ガラクタの境界線は、ただ単に古さで決まるわけではないのでしょうね。