『おおかみこどもの雨と雪』雑感 雨と雪はやがて水となって川を流れタービンを回す
以下の感想では、映画の内容について、見ていることを前提として感想などを記しますので、そういった情報を知りたくない方は閲覧をされませんようお願い申し上げます。
それでは本題に。
映画の内容に触れる前に、この映画を見る以前から小生は些かの先入主を抱かされていたことを、まず告白せねばなりません。というのも、この映画は7月に公開されたものですから、これまでの間にネット上でいくつもの評論がなされ、その一部が小生の目をかすめることもあったわけです(小生は細田監督の旧作『時をかける少女』『サマーウォーズ』などは未見です)。見ていない映画の評価などを真面目に読むことはあまりないですが、しかしそれでも「雰囲気」は伝わってくるわけで。
というわけでまず、この映画に関するネット上の評価をざっと検索してみました。既に挙げたカマヤン先生のご感想の他に、以下、大雑把に分類して挙げてみましょう(敬称略・順不同)。
●この映画に関する記事
・週アスplus 「『おおかみこどもの雨と雪』細田守監督が挑む新しいアニメ表現」
・WIRED.jp 「INTERVIEW『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督: 「アニメがもつ記号性を、一度解体する必要があった」」
・毎日新聞デジタル「富野由悠季 : 「おおかみこどもの雨と雪」を異例の大絶賛」
・聖地巡礼特集「おおかみこどもの雨と雪 舞台探訪(聖地巡礼)」
●(比較的)好意的なもの
・404 Blog Not Found 「「日常は無常 - 映画評 - おおかみこどもの雨と雪」
・映画のブログ「『おおかみこどもの雨と雪』 ことはそう単純ではない」
・読書日和「『おおかみこどもの雨と雪』 -映画-」
・私的感想:本/映画「おおかみこどもの雨と雪」
・カゲヒナタのレビュー「生き抜く強さ「おおかみこどもの雨と雪」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー」
・科学と生活のイーハトーヴ「『おおかみこどもの雨と雪』を観てきた(ネタバレあり)」
・かとぱん天国「子供たちの選択と、それを見送る大人の物語 ‐ 『おおかみこどもの雨と雪』雑感」
・ORCAの雑記帳「映画「おおかみこどもの雨と雪」感想
・帳場の山下さん、映画観てたら首が曲がっちゃいました。「おおかみこどもの雨と雪」
・HENRY's notes -Essays in Idleness- 「今から「おおかみこどもの雨と雪」を絶賛します.」
・水星さん家「『おおかみこどもの雨と雪』が黒ロン映画だった」
・最終防衛ライン2「死人の視点で見る「おおかみこどもの雨と雪」
・~ Literacy Bar ~「『おおかみこどもの雨と雪』雑感(ネタバレ有)」 / 「花の肖像 ~『おおかみこどもの雨と雪』~雑感②」
・新刊書籍・新作映画を語る「『おおかみこどもの雨と雪』への賛辞と、この映画の変なバランスについて(ネタバレあり)」
・シロクマの屑籠「大人向けファンタジーアニメ『おおかみこどもの雨と雪』」
・冒険野郎マクガイヤー「社会を信じるか:『おおかみこどもの雨と雪」
・@fromdusktildawnの雑記帳「【ネタバレなし】「おおかみこどもの雨と雪」はどのように面白いのか?」
・わかの観戦日記「おおかみこどもの雨と雪」
・[mi]みたいもん!「『おおかみこどもの雨と雪』、わかりやすい主役の不在というむずかしい課題に挑戦した結果はあったのだろうか?(ネタバレあり)」
●批判的なもの
・超映画批評「「おおかみこどもの雨と雪」40点」
・悪役主義「『おおかみこどもの雨と雪』が許せん」 / 「2」
・雷句誠の今日このごろ。「おおかみこどもの雨と雪」
・蔦屋の日記/書き物「映画「おおかみこどもの雨と雪」雑感」
・雲上四季「おおかみこどもの雨と雪を見てきたが釈然としない」
●子育て物語としてのリアリティの欠如、都合の良いヒロイン像、社会性の薄さなどを指摘するもの
・デマこいてんじゃねえ!「映画『おおかみこどもの雨と雪』の母性信仰/子育ては1人では出来ません」
・琥珀色の戯言「映画『おおかみこどもの雨と雪』感想」
・The Internet... 「「おおかみこどもの雨と雪」での大学生の妊娠出産について思ったこと」
・俺の邪悪なメモ「『おおかみこどもの雨と雪』根底に流れる絶望について」
・紙屋研究所「虚構を浸食する現実 「おおかみこどもの雨と雪」」
・B-CALCITE「おおかみこどもの雨と雪」
・流浪の狂人ブログ ~旅路より~「「おおかみこどもの雨と雪」感想」
・うんこめも「孤独な子育て。「おおかみこどもの雨と雪」を観て」
・yutake イヴのモノローグ「映画『おおかみこどもの雨と雪』★自立あるいは大人になるということ~雑感です。 」
・gomikass blog 「『おおかみこどもの雨と雪』を見てきた(雑感、ネタバレ)」
●映画中に登場する書架の内容について
・togetter 「「おおかみこどもの雨と雪」の本棚が気になる」
・HPO:機密日誌「ハナの本棚」
・かえる研究日誌「『おおかみこどもの雨と雪』の本棚」
●映画に登場する本から、ヒロインの人物像についてと、それへの反応
・愛書婦人会「『おおかみこどもの雨と雪』におけるヒロインの怖さ」
・togetter 「読書婦人会【『おおかみこどもの雨と雪』におけるヒロインの怖さ】への反響」※出典サイト名が誤植なのは原文のまま
・悪役主義「『おおかみこどもの雨と雪』花の人物像について」
・togetter 「【本棚にシュタイナー】おおかみこどもの粗と罪【自然農法】」
集めた者からしても思いがけず長いリストになってしまいました。それだけ反響のあった映画ということだろうと思いますが、しかし一部の議論が疑似科学批判に収斂してしまっているのは、多少後味の悪いことではあります。でまあ、先入観を持っていたというのは、この特に最後のシュタイナー農法批判のあたりの情報の断片がネット上で小生の目に触れたことがあったという次第です。
そんなわけで、必ずしも好意的ではない前評判を耳にしていたわけですが、いざ実際に映画を観た際には、そのような臭味はあまり気にならずに観ることができまして、少なくとも見せ方の鮮やかさは見事な映画であると思います。音楽に一部ややくどいような感じは受けましたが。
『おおかみこどもの雨の雪』は、苦学して東京郊外の大学に通っているヒロイン・花が、大学にもぐっていた「彼」と出会って恋に落ちたけれど、実はその彼は狼男だった、というところから始まります。やがて二人は結ばれて、おおかみこどもの雪(姉)と雨(弟)を授かります。ところが突如彼は事故で亡くなってしまい、残された花は二人のおおかみこどもを抱え、子供の正体を他人に知らせるわけにいかないために、たいへんな苦労をします。
そこで花は、人目につかず子育てをできる場所を求めて田舎(細田監督の故郷である富山県の山間部がモデルだそうです)に引っ越し、大きくなった雪と雨は小学校に通いますが、その中で二人は、人として生きるか、おおかみとして生きるかの選択を迫られていきます。おおかみに化けることを封印し、人として生きようとする雪に対し、キツネの「先生」に師事して、おおかみとしての道を選ぶ雨。最後、同級生の男の子の草平君に自分の正体を告白する雪に対し、おおかみとして生きるために山に入ってゆく雨を花が見送るところで、物語は終わります。
小生は、細かいところで引っかかるところがないわけでもなく、後述しますが最初にふと思ったことが最後まで解決されなかったり、ということもありますが、なんやかんやいっても2時間を長いとは思わなかったので、良い映画だったのだろうと思います。特に、雪山を駈けるシーンの躍動感は、今も忘れられません。そのような美しい数々のシーンは、素晴らしいと素直に感じられました。
とはいえ、多少引っかかっているところもあるわけで、細かいポイントではカマヤン先生のご指摘の諸点だとか、上に挙げた諸リンクの数々の記事の指摘と同じようなことをある程度感じてはいます(富山なら人が住まなくなった家なんてすぐに雪で潰れてしまうのではないか、とか、水田耕作の標高限界から室堂まで狼がすぐ行って帰ってこられるのか、などとは思いました)。花のキャラクターが「都合が良すぎる」というのも(あんなでかい家を一人で直せるなんて、花の技術力は・・・)、感じたところではあります。
ただそれは、映画の狙いと観覧者の好みがずれているということに拠っている場合があるかも知れません。シュタイナー教育についての本作を巡る論点は、当初その点を指摘した人が映画自体には必ずしも否定的ではないのに対し、この点だけを取り上げたツイッターの議論はいくら何でも他のことを批判する踏み台として映画を捉えるような形になり、議論としてもあまり読んでいて楽しいものではなくなってしまっていると、小生は思います。
細かいところはひとまず措いて、『おおかみこどもの雨と雪』全体については、決して劇的な事件の波紋を描くような作品ではないとはもちろん思いますが、それにしてもエンディングにはやや、あっさりしているというか、もう一段何かあっても良いんじゃなかな、とは率直な感想です。それが余韻というものかもしれませんが、特に雪と草平君の関係については、雨とのバランス上ももうちょっと掘り下げて欲しかったと思います。
エンディングについては、上掲リンク先でも幾つか批判があって、親としては花と雨のあのような離別は無責任な結末だ、という意見があります。これについては小生は、雨が人でなくおおかみとして生きることを選び、それを花が受け入れたのであれば至当であり、人間の親の倫理を以て測っても見当違いではないか、こどもが己の道を見いだし進み出したことは素晴らしいことと思うのですが、ただこの見解はやはり多少理屈に偏りすぎているとも我ながら思わないではありません。
なお、人とおおかみの同一視とは逆に、人とおおかみの交わりということに「獣姦」を連想して拒否反応を示す向きもあるようですが、これはさすがに難癖付けの部類のように思われます。『遠野物語』のオシラサマも同じ理由で退けられねばならぬのでしょうか。もっとも栗田勇午作品の読者である小生の感性自体がずれている可能性も否定はしませんが。
と、ひとのみちとおおかみのみちとに雪と雨が別れて物語は終わるわけですが、それで単純に別れて終わりというのが物足りない、というのももう一つ抱いた感想です。その辺については、上に挙げた諸々のネット記事中、俺の邪悪なメモと小生は比較的近い立場にあるのですが、ただ「存在を公にして、研究者や専門家に支援を仰ぐのです。秘密を隠すのではなく、理性の光をあてるわけです」というのはいくら何でもそれはそれで無粋でナイーヴな発想のように思います。
そしてそこで、本作序盤で小生がふと抱き、ついに作品中説明も示唆もほとんど与えられなかったように思われる疑問がつながるのですが、おおかみおとこの「彼」は、一体何のために、花の通う大学の講義にもぐりこんでいたのでしょうか。おおかみがてんぷらになってまで知りたかったことは何なのでしょうか。
『おおかみこどもの雨と雪』に登場する書物については、上掲リンクのHPO:機密日誌とかえる研究日誌とが詳しい検討をしていますが、後者では花が哲学書を持っていることが指摘され、彼女の専攻は哲学だったのではと推測されています。小生は、映画の中で登場した本はあまり判別できませんでしたが、講義の場面での教授の言葉の断片からも、やはり哲学という印象――古代や現代よりは、何となく近代のような――を受けます。
で、そうなると疑問として浮かぶのは、「彼」は哲学に何を求めたのだろうか、ということでした。書架の本から花の思想を云々するのでしたら、もぐった講義から「彼」の信条を忖度することも当然だと思うのですが、管見の範囲ではネット上に見当たりませんでした(上掲リンク集は実は、このような指摘が既にないか探した過程の副産物です)。
そしてこの疑問が、エンディングの物足りなさにどうつながるのかと言いますと、いわば人間の文明とオオカミを頂点とした自然とのふたつのみちを、訣別で終わらせるのではなく止揚するみちのひとつが、「彼」の探したものではないのか、ということです。「彼」はその手がかりを求めて哲学の門を叩いたのかも知れません。「彼」はたしかに都市で暮らし、おおかみであることを隠して花とつきあいましたが、おおかみであること自体を否定して人になろうとしたわけではないと思いますし、こどもに対しても二分法的決着を求めていたようにも思われません。
この解釈はもちろん小生の勝手な思いつきですが、しかしそのあたりの含みもあった方が、この作品の与える印象はより鮮烈かつ豊かなものになったのではないか、せっかく一橋大学までロケハンに行って協力を得ていながら、当初の設定が充分生きていないと、小生はいささか残念に思われます。もっとも小説版は読んでいないので、そっちには何か書いてあるのかも知れませんが(コミック版の1巻は確認済。コミックでも特に「彼」の大学に来た理由は描かれていない)。
というわけで小生は妄想します。「先生」のあとを継ごうとおおかみとして山に入った雨は、しかし遥か北アルプスの山中まで入り込んでくる人間(雨が「先生」とともに山野を駆け回るシーンはとても美しく、この映画の中でもとりわけ印象的な場面ですが、人里遠く離れたように見える湖は、実は立山黒部アルペンルートの一角の室堂なので、ハイシーズンには観光客が大勢います)とどう折り合いをつけていくかについて思い悩み、ふたたび人に姿を変えて山を下り、母親の通っていた大学でその手がかりを得ようとするが、そこで出会ったのは手がかりではなく、一人の女子大生であった・・・って、ループしちゃダメか。
全く以て余談ですが、立山の狼が勉強しに行くんだったら、拓殖大学で経済学を学ぶのがお勧めです。アルペンルートを作った富山地鉄創業者の佐伯宗義は、拓殖大学で経済学の博士号を取っているので。
・・・富山を舞台に「雨」「雪」とかいわれると、水力発電のことを真っ先に考える癖がついてしまったのは、日々水力発電萌えの革新官僚の日記ばっかり読んでいたせいか。
まあそれはともかく(ともかくか?)、映画の中で韮崎のじいさんだったか、「最近は猪に畑を荒らされて収穫がない、人間が追い出されているんだ」というような台詞があって、そのあたりをもうちょっと突っ込んでも良かった気もします。実際、現在の日本の山村では、人が減る→山が荒れる→獣害深刻化→農業が不振→ますます人が減る・・・という悪循環はかなり広汎に起こっているようです。おおかみがもはや絶滅し、山の監督を頼めない以上、日本もTPPに加盟してアメリカばりに一人一丁ショットガン、一家に一丁ライフル銃にするしかないのでしょうか。
当ブログの仕様で話がとっちらかって、無闇に長くなっておりますが、まあ気がついたらこんなに長々書いていたくらいだから、やはり良い映画だったのだと改めて思います。
長々と文字だらけの記事で読まれた方々もうんざりされたと思いますので、最後に、小生が『おおかみこどもの雨と雪』の存在を初めて知った、ナヲコ先生のこの映画に題材を取ったイラストをご紹介して、締めくくりに代えたいと思います。