「戦時体制の中で生まれた東京都と後藤新平の立ち位置」まとめ 及びネット上の雑彙
・戦時体制の中で生まれた東京都と後藤新平の立ち位置
これは、駄場祐司『後藤新平をめぐる権力構造の研究』(南窓社)という本を手がかりに、後藤新平の評価についての見直しを試みたものです。この本の感想もブログに書きたいと思いつつ、いつになったら実現するのか・・・。
また、写真を1枚だけアップしてから一週間も放置していた、「交通博物館跡地の再開発ビル(JR神田万世橋ビル)が竣工」も完成しましたので、まあ写真を並べただけですが、ご関心のある方はどうぞ。
その他、記事を起こす余力はないけれど、小生がネット上でふと見かけて気になった記事をいくつか、以下に備忘としてリンクしておきます。
・国土地理院のサイトにある地図記号一覧の説明写真がマニアックな件
国土地理院はいろいろと面白いデータを蓄積していそうです。当ブログの過去記事もコメント欄で紹介いただき恐縮。
・森美術館で開催中の会田誠展での原発関連ツイートの使用について
これも憑かれた大学隠棲氏のまとめですが、「芸術」のあり方についての問題になっています。発言(ツイート)の意味内容は発言者に属すにしても、この「作品」については被写体と写真家のような関係、と製作した側は思っているのかも知れませんが・・・。その齟齬の問題でしょうか。何か適当に集めた集積体、というものを一歩引いて眺めたとき、何か言いしれぬ感興に打たれることはままあるので、それは「芸術」だ、と小生も感じます。それは集められたパーツ個々の総和以上の何かはあるでしょうが、そこで個々のパーツをどう取り扱うのかについては、小生も確たる意見は練れていません。
そこで全然脈絡なく、池田大作SGI名誉会長の取得した名誉博士号の学位記をずらりと並べれば、それはまさしく「芸術」なのだ、という妄念が突如浮かびました。鳥肌実氏も仰っているじゃないですか、「尊敬するアーテストは、池田大作でございます」って・・・(「アーティスト」ではなく「アーテスト」と発音しているように聞こえます)。
・「桜の木、撮り鉄に勝手に切断された」 しなの鉄道ツイッター「炎上」で謝罪
・ツイッター大炎上 しなの鉄道が謝罪 「証拠もないのに撮り鉄のせいにしてすみませんでした」
・写真が一番!!撮り鉄の人の歪んだツイートをまとめました
しなの鉄道が線路沿いに桜の木を植えたところ、何者かがその木を伐ったという事件が発生。鉄道写真の撮影地だったことから、撮影をもっぱらとするマニアの仕業ではないかと鉄道当局からも疑われるという騒動に。
遺憾ながら、これが鉄道写真撮影者の仕業である状況証拠はかなり多く、そして一部のそういった連中の過去の所行からして、鉄道会社に疑われるのも致し方ないとの印象は抱きます。そのような連中にどう対処すればいいのか、小生にも妙案はありません。「同好の士」ならお互いに啓発すべき、との建前は至極もっともですし、小生個人もそう心がけたいですが、そもそもそのような指摘が通じるのか。しかし迂遠でもそれしかないのでしょう。内田百閒も「とにかくお行儀をよくしなければならない」って書いてるし。
なお、本件への一部の反応に、「鉄オタは発達障害で常識が通じない奴が多い」というのが散見されます。小生の自身を省み周囲を見渡したとき、経験的に、鉄道趣味者に発達障害を抱えている人の多いことは確実のように思いますが、しかし、そのような人が線路沿いの木を鋸で伐るかは別問題です(トラブルを起こすにしても、方向性が違うと思量します)。
・肩書きはチラ裏を金言に変える
うはははは。ひどい話ですが、同時にイソップそこのけの現代の寓話でもあります。
ポルトガルの事情に小生はとんと疎いのですが、20世紀のポルトガル人で知っているのが、アルヴェス・レイスとサラザール(の晩年)の逸話くらいで・・・なんだかポルトガルのイメージが「詐欺師の楽園」になってしまいそうな・・・
・再チャレンジにむけて「論文」募集する韓国教科書進化改正推進会議
反進化論といえばアメリカが本場ですが、統一協会のある韓国でも(直接関わっているとは限らないでしょうが)このような事態が。
・都心住まいの価値とは何か
・地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて
・都会と田舎の比較の話が出るととりあえず絡みつく
・田舎がいやになる原因は、相互監視よりも顔を切り替えられないことかな
小生のような環境に育ってきた人間は、ついついこういうことに思いが至らないことがあると、自戒を込めつつメモ。
・「まじめな話をしたいけど、身近な人とは話せない」ことについて
同じく、こういう点では小生は「まじめな話」をする相手にはいくらでも恵まれていたことの価値を噛み締めねばなりません。その代わり、「個人的なうちあけ話」をするということに、いまだに誰に対しても強い抵抗を持ってしまっているのは(それで問題を往々抱え込んでいるのは)、それ相応の引き換えではあるのでしょう。
面白い本でございます
ただ 後藤新平本として読むんじゃなくて 玄洋社とか 日本共産党とか 緒方竹虎とか 杉山茂丸とか 朝日新聞や 電通に興味がある人が読むと面白いです
こういう学術書もあるんでしょうか?一般向けにもう少し考えてくれれば 意外に売れたとおもうんですが
駄場氏の本を読まれたのですね。確かに、読み手を選ぶ本だと思います。
この本は学術書のスタイルとしても、かなり変わった本だろうと思います。
後藤新平の生涯と没後に渡っての様々なトピックについて、先行研究が如何に鶴見祐輔の伝記に影響されていたか、という歪みを一つ一つ指摘していくところは面白いのですが、では全体として、後藤新平とはどのような人物で、鶴見の伝記はなぜそこまで影響力を持ったのか、というところで肩透かしを食ったような印象を拭えないので、いまひとつ反響がなかった(書評が『日本歴史』だったかの一つしかなかった)のだと思います。
既存の後藤像を知っていることが前提となるので、一般向けにもならなさそうですね。
なのでご指摘の通り、後藤新平本というよりは、後藤周辺の何かのトピックについて調べたい時、その箇所を参照する、という読み方が一番使いやすいかもしれませんね。