「線路内を耕作しないで下さい」看板とサイゾー「マイ踏切」記事 附:西武とファンドまとめ
・「マイ踏切」「勝手に畑に」線路内を自由に使う住民たちのメンタリティとは?
この記事を執筆されたのは、ライターとして、マンガを中心とした表現規制問題や、ローカル事情の研究でなど、さまざまな分野で健筆を振るっておられる昼間たかし氏です。
そういえば、半月ばかり前の夜に昼間氏が突如電話してきて、当ブログの看板画像である「線路内を耕作しないで下さい」看板について話を聞きたいというので、二三十分ばかり話をした覚えがあります。その時に、屋敷内を東北本線が突っ切っていた家の話とかもしましたが、それが早速記事になっていたもののようです。何だ、言ってくれれば「線路内を耕作しないで下さい」看板の写真データを進呈したのに(笑)
というわけで、せっかく記事にしてくれたお礼を込めて、この看板の大形画像を掲げておきましょう。
(名古屋鉄道美濃町線新関駅附近にて 2005年3月11日撮影)
この写真は、前にも当ブログの記事でちょっと触れましたが、2005年3月に廃止された、名古屋鉄道の岐阜県内のローカル線で撮影したものです。ちょっと検索した限りでは、同じ名鉄の小牧などでも同様の看板があったようですが、小生は見ていません。またこの近所には「線路を横断しないで下さい」という看板もあったようですが、これも小生は記憶にありません。横断禁止の看板は結構各地にあると思いますが、「耕作しないで下さい」というのはさすがに強烈な文言で、他に見た記憶はありません。追記:検索したところ、同様の看板が京都の嵐山電車にもあるそうです。
で、この時、新関駅附近で撮影した同様の看板がもう二点あるので、ついでにご紹介しておきます。
この付近(名鉄敷地内)の耕作物などは撤去をお願いいたしします。」
ワープロで作成してビニールをかけたもの
製作の順序は手書き→ワープロ→レタリングしたペンキ塗り、なんでしょうか。看板としては手書きの方が内容に相応しいですが、きちんとしたペンキ塗りの看板(名鉄の社名はちゃんと公式ロゴみたい)でこの内容を示された方が、ある意味もっとシュールな印象もします。
ところで、前掲昼間氏の記事ですが、さすがプロのライターは身軽にさっと書いてしまうのだなあと、筆も腰も重い小生は感心しきりです。それでいて、過去何度かメディアの人に話をしてその後記事になったのを読んだときと比べると、かなり正確にこちらの話をまとめていてくれるのは、有り難い限りです。
ただ、多少念のため一応、ちょこっと補足しておきます。
まず、昼間氏の記事で「当時は線路を通すことが急がれたので、住民のために踏切を作るなんて考えないことが多かった」という話の出典は、宇田正『近代日本と鉄道史の展開』日本経済評論社(1995)の第2章、「『村』共同体の解体と鉄道建設」の60-61頁に引用されている史料で、さらに元は津下剛「京阪間鉄道敷設に関する一資料」『経済史研究』第13巻第2号に紹介されていたもののようです。
この史料は、大阪と京都の間で鉄道を引こうとした、1874年という明治初期のもので、引用すると長いので大雑把に内容をまとめると、
「うちの村で12本以上あった道路が、鉄道によって3本に減らされてしまう。これでは鉄道で田畑を分断された者はもちろん、鉄道の左右にそれぞれ田畑を持つ者にとっても遠回りで、大変時間を取られ農業経営に困難を来す。ついてはせめてもう一箇所、道路を増やして欲しい」
といった、村から政府に宛てた嘆願書といったものです。
残念ながら、この後の経緯は宇田先生の本に載っていないので、どうなったかは分かりません。もっとも可能性の高いのは、明治政府は無視して鉄道を作ってしまい、村人はやむなく汽車の隙を縫って線路を踏切以外で渡っていた、というのじゃないかと思いますが・・・とはいえ複線化・複々線化・電化と鉄道が発達するにつれ、そうそう渡れなくはなっていったでしょうね。
昼間氏は、『交通新聞』の記事は小生が年代をうろ覚えだったのを、ちゃんと探されたようですが、宇田先生の本は読まれなかったのでしょうか。本の書誌データは後でメールで送った・・・あ、今確認したら本のタイトルを『近代日本と鉄道史の関係』とタイプミスしてた。すまん、昼間氏。
あと、相模原市の引込線というのは、横浜線と平行していた、アメリカ軍の相模原補給廠への引込線のことです。近年は見ていないのですが、昔と比べるとだいぶ撤去されてしまったようですね。
ちなみに、宇田正先生については、以前当ブログでご著書『鉄道日本文化史考』(思文閣出版)をちょこっとご紹介しましたが、史料の丹念な調査による、実証的な地域に根ざした鉄道史研究に取り組んだ最初の世代で、青木栄一先生や原田勝正先生といった方々と並ぶ斯界の大御所と思います。その研究姿勢はあくまでも重厚で、昔気質の先生、という感じのように本を読んで小生は勝手なイメージを抱いていたのですが・・・
2年ほど前に出た近畿大学の紀要が、これまた同じく鉄道史研究の大御所・武知京三先生の退職記念号で、鉄道史関係がとても充実していたため、大学図書館で借りて読んでいたところ、その中に宇田先生の「明治中期・私設関西鉄道桜ノ宮線建設と桜ノ宮駅々勢の展開 私設大阪鉄道との関連を中心に」という論文がありました(有り難いことにネットで読めます)。これは、大阪市内に今も残る遺構を手がかりに、明治時代の私鉄経営について論じた論文ですが、その末尾のあとがきを読んで、小生は思わず吹き出しました。
若い頃から、鉄道フェティシストと自覚している私にとって、当時(引用註:桜ノ宮駅そばの)9階にあるわが家の書斎から、眼科に壮大なジオラマを展望するように、一日中とりどりの8両編成の電車が行き交い、レールの軋みや轟きが立ちのぼってくるのは、ひそかに私の至福とするところであった。宇田先生もやはり、同好の士だったのでした。お孫さんも英才教育されているようですし、やはり鉄道関係者、ことに歴史研究者には趣味者を兼ねている人が多いようであります。それは、小生はとても素晴らしいことと思っています。現地に足を運び丹念に事実を集めるマニアの営みは学問に通じ、そしてその心情をどこかに抱いた研究であれば空理空論に陥ることはない、そんな風に信じています。
ついでですが、一昨日突如こんなまとめも作ってしまったので、ここにリンクしておきます。
・西武HDと投資ファンド・サーベラスの対立、「路線廃止」提案へのツイッター上の反応
内容はリンク先に譲りますが、かつてアメリカの大手鉄道CSXとイギリス系投資ファンドの紛争のニュースをブログの記事に書いたものとしては、今後機会があればこの問題についても、日本の鉄道事業経営史上の実例とも引き比べつつ考えてみたいと思い、とりあえずまとめておきました。