日本社会と鉄道についてぐだぐだと思う
とはいえ今日鉄道の話をするのはそれはそれで重くなりそうですが。
今日は尼崎の事故から一年ということで、事故の後JR西日本は如何なる対応をしたのか、ダイヤに「ゆとり」は生まれたのかということがマスコミによって検証されていました。どうも必ずしも余裕時間はあまり増えていない箇所もあるようで、それに対する批判の声も上がっているようです。
一方で関東ではJR東日本が、自社開発の工法に何か問題でもあったのか、山手線の線路を隆起させて運休という不祥事を引き起こし、顰蹙を買っていました。同じような事件は前にも起きていたらしく、それへの批判と共に、列車の遅れの被害を被った乗客の怨嗟の声がマスコミで紹介されていました。
ここで西では安全のための余裕が足りないといい、東では電車の遅れに敏感に文句をつける、という大衆の行動(やそれを無批判に報じるマスコミ)を、自分勝手なものだと批判するのは容易ですが、それだけでは芸がないので、やはりこの事態は日本社会に厳密に定時で運行する電鉄というシステムが深く深く根付いているということを無意識的にあらわしているのだなあ、と考えるのが適当であろうかと思います。
考えるに、日本の都市は極めて効率の良い電鉄という輸送機関を中心に発展してきたわけですが、このシステムは満員電車という形で通勤通学者に肉体的・精神的負担を転嫁することで、都市インフラの整備にかけるコストを低下せしめてきたのではないかと思います(しかもその整備コストの少なからぬ部分は電鉄事業者の費用負担で行われました)。このことは、電鉄中心に都市圏が形成されながら、やがて自動車にすっかり取って代わられたアメリカの都市なんかと比較すると、何か日本の特質が見出されるのではないかと妄想しています。もしかすると日本の場合、都市で節約できた公共投資を、その分地方に均霑するという効果さえあったのかもしれません。まあこれ以上は土木に詳しい方にお任せしますが。
しかしそういった状況も次第に曲がり角に来ているわけで、電鉄界の古豪阪神と、電鉄業の範囲を拡張した阪急の提携という話が出るのもその象徴なのでしょうな。で、村上ファンドは本当に株を売るのかな?
あまり関係ありませんが、先日夕方から町田にバイトで出かけた折、町田駅の新宿よりの踏切でえらく待たされました。ちょうど下り線の場内信号機(だろう、多分)が見えるので、暇つぶしに観察していたら、停止(赤)と注意(黄)しか点燈しないという状況で、通る電車は皆ノロノロ運転でした(まあほとんどの列車は町田に停車しますが)。あれは何かダイヤに問題があるような。過密ダイヤとかゆとりダイヤとかとは別に、うまいダイヤと下手なダイヤはあるわけで。
追記。明日は早いのでコメントへの返信は今しばしお待ちを。ありがたく読ませていただいておりますので。
>このシステムは満員電車という形で通勤通学者に肉体的・精神的負担を転嫁することで、都市インフラの整備にかけるコストを低下(略)
>やがて自動車にすっかり取って代わられたアメリカの都市なんかと比較すると
日米双方で毎朝通学した経験を持つ身としては、この件には体感的に同意するところ大です。同じ長時間の通勤地獄と言っても、渋滞の車中に1時間と満員電車に1時間とでは目的地到着後の疲労感が桁違いに思われます。もちろん何事も程度問題であり比較の仕方によっては米国の事例の方が社会的コストが高いことにもなりましょうが、それにしても日本の公共交通はシステム的な問題をユニット(個々の利用者)の負担に転嫁していることが多いなぁと考えてしまいます。米帝に毒された人間の戯言かもしれませんが……。
この問題は、これからじっくり考えるべき課題と思っております。洋書を相当読まねばならぬでしょう(泣)
ちなみに、日本の偉大なる電鉄インフラを信仰している身としては、徹夜でレポートやゼミ発表レジュメを作成した翌朝、満員電車の中で立ちながらとはいえ目を閉じて半覚醒半睡眠状態で移動できる、日本のシステムの素晴らしさを称揚したいと思います(笑)。いやまあ、小生実は居眠り運転で釜掘ったことがありまして。
居眠りはともかく、「呑みニュケーション」の有無と交通インフラの関係はあるのではないかと思います。赤ちょうちんと電鉄の関連、とでもいいますか。
>日本の偉大なる電鉄インフラ
他律的な交通システムとしてのメリットは確かに大きいですね。留学中、試験勉強で徹夜した時は(まことに情けない話ですが)親に送迎して貰ってばかりだったことを思い返すと、運転者の体調その他に依存しない利点は相当なものと思います。
#まあ徹夜明けに満員電車で小一時間揺られるのもしんどいもので、そういう時はついついグリーン車で楽をしたいと考えるのはプチブル的な堕落した心性の成せる業なのでしょうか(苦笑)
「呑みニケーション」と交通インフラの関係は言われてみると確かにありそうな気がします。日本的企業風土の一部であった、会社帰りに同僚と一杯という習慣も、車通勤が一般的な社会では不可能な話ですから。