1930年代日本の経営者に関する思いつきのまとめなど
それはともかく、そんなわけで多少興の乗った先日、ぐだぐだ最近考えていることをツイッターで垂れ流していたところ、憑かれた大学隠棲氏がありがたいことにそれをまとめて下さったので、当ブログでもご紹介させていただきます。
・戦前の財界人の思慮深さと切り売りされる私鉄系有料道路の憂鬱
なお、このまとめ中で出てくる「ユニクロ会長の昨今の発言」については、これも氏のブログに手短にまとめられておりますので、ご関心のある方はご参照下さい。
ここで小生が述べましたことに少しく補足をしておきますと、どちらかといえば「思慮深さ」というよりはもっと切羽詰まった、危機への対応策の検討であったと思われます。それも、国際競争に負けるとかそういう話ではなく、経済体制そのものが企業中心か軍や官僚による国家管理かという、大きな岐路に立っていると思われた時期です。なお、結果としては(一時的にせよ)国家による強力な統制が戦争を背景に行われますが、1930年後半(日中戦争泥沼化)までの統制というのは、目前の戦争に対応するというよりは、世界恐慌で明らかになった資本主義の問題点を克服し、近く来るかも知れない戦争に対応することが目的で、単純な戦争目的(長期的にはそれを含むにしても)には限らないことに留意して下さい。
そして、まとめられた一連のツイートで言い落としてしまったことを一つ補足しておきますが、1930年代の財界人の苦悩というのは、資本主義体制が問題視され各方面から圧迫される中でどのように自分たちのイニシアチブを守り通すかという問題ですが、これは彼らにしてみれば既得権擁護という狭い話ではなく(そりゃまあ、そういう思いがなかったわけではないでしょうが)、軍人や役人には経済が分からない、自分たちがやらなければならない、という自負と使命感がそこにはあったと小生は考えます。
しかしながら、1920年代の慢性的不況状態に加えて世界恐慌というのは、既存の体制への修正が必要ということも示していると受け止められたといっていいでしょう。自由競争の弊害というものも確かにあり、それには経済人自身がまず悩んでいたのです。なので何らかの統制や調整は必要である、しかしそれが政府の全面的介入によるものではなく、業界の安定のルールを定めつつ経済人の能力を生かす、そんな方法が財界でも模索されていたと、おおむね考えられます。
ただ、その方法については、財界でまとまった発想が必ずしもあったわけでもありませんし、業界ごとに、あるいは人ごとに、異なった見解に基づいて異なった行動を取ったといえます。そこに戦争やら何やら、軍や役所の動きが絡まり、ある財界人は戦時中に統制経済の中でも重要ポストに就き、あるものは逆に一線を退きます。ここでの動きを単純に、「戦争協力か否か」だけで二分してしまっては、ことを単純化しすぎ、ひいてはこの時代の様相も分からなくなってしまうであろうと思われます。
具体的な例としては、当ブログで昨年批判した佐高信『電力と国家』が、自由競争=戦争反対=善、統制経済=戦争支持=悪、という二分法に陥ってしまった悪例といえるでしょう。戦前における電力業界の競争による弊害とその対策としての規制については、これまた以前当ブログで紹介した通りですが、佐高氏が自由経済の絶対的信奉者のように描く松永安左エ門にしても、1920年代後半からは様々な電力業界自主統制案を打ち出しています。
もちろん松永の場合は、統制といってもあくまでも業界の自主的なものとする前提で、政府による経済管理を是認したわけではありません。この時代に松永の打ち出した自主統制案こそ、民有民営を前提に地域独占を認めた戦後の九電力体制の原形なのだ、と電力業史の大家である橘川武郎先生は主張しておられます。
ですが、それ以外にも様々な統制案が出され、財界人の中でもどうあるべきかの意見は割れていました(これが軍や政府に対抗できなかった一因ともされます)。結果的に「政府にすり寄った」「戦時体制に協力した」ように見える財界人の行動にしても、当時の(しかもけっこう急に変転する)情勢の中で、資本主義と経営の自由をなるべく守ろうとしてのことか、諦めて投げ出したのか、強い者にすり寄ったのかは、丹念に検討して判断されなければなりません。ある型だけを取り上げてそれを正義とすればいいわけではないのです。
佐高氏がここで大きな誤りを犯していることは先の記事で述べた通りですが、小生の考えでは、橘川説にしてもやや松永寄りに過ぎる面があるのではないか、小林一三の行動を比較してみることでそれを相対化できるのではないか、と現在考えております。
話が長くなりましたが、細かい話をしているときりがありませんので、とりあえずこんなところで。
なお、余談ですが、小生もこんなまとめを作りました。
・備忘:@Im_Weltkriege 猊下の近代と市民に関するお言葉など
ここまでの話とはあまり関係がありませんが、いやそうでもないのかな? ともあれ、「世間」と自分とのズレを切実に感じるような人には、何か考える手がかりになるかも知れませんし、読んでみて狂人の戯言としか思えなかったならば、それはそれで結構なことだと思います。
しょーもない話で恐縮ですが、昨今の成年コミック問題にもこれが言えるような気がします。
なんというか、表現の自由の御旗を掲げるだけでなく、一般人に誤解を招きにくい形で表現の方法を模索するという努力が必要なのではないかと思います。
あと、昨今の規制緩和を声高に叫ぶ経営層については、「俺のところが儲かればそれで良い」なんていう風に考えている者が多いのではないかな~、と偏見の目で見たりして。
ついでに、私事で恐縮ですが、「鉄道史人物事典」が手元に届きました。あと、「東京電力-失敗の本質-」もようやく発注いたしました。2000円もしない本の購入に躊躇するな、とお叱りを受けそうですが。
よほどの詐欺漢でない限り、経営者の多くは自分が儲けること=世の中にも良いこと、と思っているのだろうと想像します。かえって「悪の組織」を貫く方が、精神的にキツいと感じる人が多いんじゃないかという気もします。
橘川先生の本は読みやすく、重要な論点を一通り解説しております。電気の話は世間じゃすっかり忘れられている気もしてなりませんが、これからこそ重要なわけですし、ぜひぜひ読んでみて下さい。
『鉄道史人物事典』お買い上げありがとうございます。お陰様で小生も些少ながら原稿料が入り、『Aチャンネル』4巻を買うことができました(笑)