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筆不精者の雑彙

bokukoui.exblog.jp

いろいろとメモなど

※追記:一応完成としました。

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抽象芸術のような趣すら感じられる銀座・「丸源ビル31」の冷房室外機と配管

 いろいろあって一月ブログを放置しておりました。書きたいことがないわけではないのですが、むしろいろいろあるのですが、なかなか余裕がありませんので、とりあえず放置を避けるために、この種の記事でお茶を濁しておきます。なおこの種の記事の前回同様、鉄道関係のネタは別の機会にしたく取り上げていません。



電脳せどり回避法【注釈版】 / 「日本の古本屋」様江(古本おもしろがりずむ:一名・書物蔵)
 日本近代の出版史について、精力的に記事を執筆しておられ、小生も時折拝読していたサイトの過去記事を、ふとしたきっかけで見つけました。
 小生も戦前の本とか、史料として使いたいのがあるとためしに検索してみて、貧乏院生でも手が届きそうなら結構買っていました。そんな時はまず「日本の古本屋」を使うのですが、時にはアマゾンも見てみたりすることがあります。すると不思議なことに、アマゾンのマーケットプレイスに、「日本の古本屋」の十倍とかの値付けをしている出品者がままみられたのです。「誰が買うんだこんなの?」といつも首をひねっておりました。
 で、それがこんなからくりだったとは! いや、古書好きの方の間では知られている手口なのかもしれませんが・・・。こういう情報格差を利用した濡れ手で粟商売って、前近代の商人の手口としてはよくあったとしても、インターネットという本来はその格差を縮めるはずのメディアがかえってそれを産んでいるのが可笑しくもあります。
 ま、今後とも「日本の古本屋」を愛用する方針でやっていこうと思います。マンガとかならアマゾンの方が便利なことも多いでしょうが、この種の古書はやはり専門店の方に強みがありますね。

大正末期の無名の娼妓の手記と近代公娼制度について(Kousyoublog)
 こちらも精力的にいろいろな書物を紹介されているブログですが、特に興味深いテーマなのでメモ。近代史を調べていく上で、欠かすことのできないファクターでありながら、なかなか分からない世界。しかし暗黒のままにして良いものではありません。都市開発にもかなり関わっているテーマでもあります。そして、近代日本の公娼制度が既に国際的に問題になっていた、ということも、留意すべきことと考えます。

日本において「学術書の危機」、いわゆるモノグラフ・クライシスは学生の貧困化とともに現れる
(OUT TO LUNCH)
 だいたい学術書を開くとどの本でも、前書きか後書きかに「出版情勢の厳しい折に本書を出版していただいた某社の方に謝意云々」みたいなことが書いてあります(まあ、けっこう昔の本でもやっぱ書いてるんですが・・・)。で、如何にして論文を本にするか、というのは書き手にも出版社にも以前より高度な要求が求められているような話は聞きます。内容もそうですし、助成金を引き出してくるワザとか・・・。
 それが北アメリカでは、既に危機的な状況になっていて、モデルの違う日本ではまだそこまで行っていないけれど今後は、という話です。図書館の予算が削減されて学術書出版が危機に陥ったアメリカに対し、日本は出版社が教科書の売り上げで内部補助しているのですが、その教科書の売り上げが学術書以上に落ち込んでいるという・・・。それは重大な問題ですが、しかし考えてみると日本って実は、アメリカ以上に教育を「自助努力」でおこなってしまっていたということじゃないか、ということでもあるような。

富士山入山料の件とか(カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記)
富士山世界遺産認定にも関わらず入山料反対をしている勢力とか(同上)
入山料についての考え(同上)

 先日世界文化遺産に認定された富士山では、環境保護と整備費用の調達などの観点から入山料の徴収が議論となっていますが、その麓の川口湖畔でコテージを営まれるカマヤン先生の入山料についての見解。
 なるほど、昔の富士講も「初穂料」を取っていたのですね。お伊勢参りと並んで富士講の研究はされているので、当ブログでも以前講演をご紹介した神崎宣武さんや西海賢二さんの研究など、探せば十分な参考文献はあると思います。マイカー規制も必要になってくるでしょうね。
 ただこういうのは往々、総論賛成・各論反対になりやすいもので、ここでもそんな地域の状況を垣間見ることのできる、興味深い証言と思います。個人的には登山鉄道ができたら嬉しいですが、費用的には困難でしょうね。まあ、一度は登ってみたいと思います。

オレは表現規制とロリコンが嫌いだ(男の魂に火をつけろ!)
2chにスレを立てる業者と、そのまとめをブクマするはてブ利用者(はてな匿名ダイアリー)

 マンガやアニメの表現規制が問題になると、このブログの過去記事へのアクセス数が増えますが、小生は最近この方面にまで眼を配る余裕がありません。ただ、さすがに目に付いた件をメモ。
 片山さつき議員の発言にはある意味「定評」がありますが、それにしても「まとめサイト」を論拠に斯様な発言をネット上でするとは、偽メールに引っかかるよりさらなる空恐ろしさを感じます。その「まとめサイト」の現在の状況を手短にまとめた記事とを組み合わせると、ある種の自家発電的システムが垣間見えてきます。
 なお、当初この片山さつき議員の発言とそこでリンクされている成年コミックに関して、カマヤン先生がブログでコメントされていたのですが、カマヤン先生は何か思われるところがあったのか残念ながら削除されています。今記憶に頼ってその一節を再現すれば、カマヤン先生は自作の「少女調教(きょういく)講座」と比べてその作品はさほど狂っていない、ということを述べられていたかと思います。確かにその通りで、視点が行為をなす双方にまたがっているのか、片方にのみ存しているかという大きな差があり、そこから何がしか議論もできようと思うのですが、その記事が削除されていることもありますので、ここでは示唆にとどめます。

片山さつき×安田浩一 生活保護に関する対談
「本当に困窮して三食食べられない人がどれくらいいると思う?
生活保護嫌悪のメカニズム(はてな匿名ダイアリー)

 片山さつきつながりで。一時は話題になりましたが、ネットではすぐ流れていってしまうので、時々思い出してみることは大事だと思います。
 自分がなしたことに誇りを持つこと自体は大変大事なことですが、それを他者への攻撃性に転化してしまうのははなはだ情けないことです。この世界は「ちゃんと」していて、だから「ちゃんと」努力した自分は「ちゃんと」成功したのだから、失敗した人間はそいつが「ちゃんと」していなかったのだ、世の中で「ちゃんと」していないことが起こったら、それは「ちゃんと」していない奴のせいなのだ、そういう思考パターンはかなり根強いものがるようですが(ツイッターでもRTしました→これこれこれ)、おそらくこれこそ「近代」の一つの表れなのかもしれません。そしてその根底には想像力の不足があるのではないかと私見では思うのですが、そうすると上のような表現規制やいい加減なソースを振りかざす行動にも得心が行きます。

童貞の僕とリア充の対話(togetter)
 先の片山さつき対談まとめをまとめられた方と、@ss11223 氏とのやり取り。このやり取りの結果か、先の対談をまとめられた方のアカウントは現在事実上削除・休眠状態になっています。片山さつき議員の差別的・攻撃的で偏見に満ちた言説を厳しく批判された方が、今度はレイシズム的な発言をツイッターでした高校生どもをたしなめたら、メールボムのようなネット上での攻撃をされ、それへの反撃をして謝らせたというのが、このまとめ冒頭にリンクされている「高校生によるスパム攻撃の顛末。レイシズム、ネットとリアルは繋がっている。」でした(現在は非公開にされているようです)。
 ところがその方が今度は、そういったネット上で差別的暴言を吐く連中を「ネット童貞」と呼ぶと言い出し、それは童貞を馬鹿にしてるんじゃないの? と突っ込まれても全く応じず、「みんなにリア充になって良いセックスを経験してほしいと言う私の願いは感じられないですか?」という価値観の押し付けを平然としてしまう、という、なんとも捻じくれた状況が現出します。
 これき気づいたときほど小生は、革命的非モテ同盟の古澤克大書記長の死(中の人は生きてますがネット人格としては、ということで)が惜しまれてならなかったことはありませんでしたが、それにしても「サバルタンは語ることができるか」を地で行くような件のようにも思われ、ただ嘆息するばかりです。

有名人との親密な関係は事実か? 日刊サイゾーさんに事実無根の記事を書かれましたので、抗議いたしました(日本情報分析局)
 表現規制問題関係に戻って。最近はコミケの主催者が政党に陳情に行ったとか、漫画家の赤松健氏もいろいろ活動しておられるとも仄聞しますが、コンテンツの消費者団体的なものを作るべきではないか、という意見もあります。アメリカには「通勤者組合」が鉄道運営者に対する圧力団体的な活動をした例があったっけな、なんてのを小生は思い出しますが、そのコンテンツ版でしょうか。それの一つの例のようですが、いろいろややこしこともあるようで、「サイゾー」の記事というと信用ならん感じがしますが、書いているのは昼間たかし氏なので、今後の状況を見守りたいと思います。

フランスの非実在青少年規制:なぜこうなった?(tsurupeta.info)
 表現規制関係もうひとつ。既に強力な規制が敷かれている国での実例。
 ショッキングな事件のインパクトで強力な規制がよく検討されないまま導入され、その運用加減で本来の規制したかったものとは関係の薄いものがその対象となる、という一連の流れが手短にまとめられています。残念ながらこのようなことはまま起こりうることですが、その危険性が十分認識されているわけではありません。特に立法や運用に関わる人々には、このような危険性を熟知した上での行動が求められるのですが、またこういったことがまま起こることを承知した上でのチェックも欠かせないのですが、言うは易く・・・。

丸山和也参議院議員のツイート(twitter @maruyamakun)
上掲ツイートへのコメント(はてなブックマーク)

 政治方面つながりで。現職の国会議員かつ弁護士のかかる憲法や歴史認識には、驚愕を通り越して力なく笑うより他にありません。トンデモ、カルトと呼ぶしかないと小生は考えますが、このような言説が一定の支持を受けていることもまた事実です。それはすなわち、民主主義や思想の自由の大切さを、「お題目」以上に感じ取ることが如何に困難かということを示しているといえそうです。

安倍総理を名誉棄損で提訴(菅直人オフィシャルブログ)
菅首相指示による海水注入中断という安倍晋三の虚言(トムジィの日常雑記)

 震災時の原発事故対応をめぐって。歴史研究をしていると、その当時の評価が時間を置いて丹念に見直すとまるで変わってくる、というのはままあることで、今回の件もそのような実例となるのかもしれません。ただ、まだこの件は、いかなる立場であろうとも距離を置いて語るには「近すぎる」ものではあるとも感じていますが、しかし近すぎず遠すぎず物事を見つめるようには、努力しなければなりません。 

「奇跡のリンゴ」という幻想 -安物の感動はいらない-(バッタもん日記)
「奇跡のリンゴ」について聞かれたら(あなたも農業コンサルタントになれるわけではない
リンゴ農園に突撃(?)してリンゴ農家の本音を取材したよ(前編) / (後編)(とらねこ日誌)
自然栽培が宗教化する理由 ~奇跡のりんごをめぐる農業とその周辺の考察~(togetter)

 小生は子供の頃からユーモア溢れる北杜夫作品などに馴染んでおりましたので、小学校時代に道徳の時間で読まされた副読本には、「こんな見え見えの『感動的』っぽい、安っぽいストーリーで人を誘導しようなんて、人を馬鹿にしてるのか!」と読んでフンガイしていたものですが、まあ嫌な小学生ですな。
 でも、それ以来ずっと考え続けて思うのは、面白さは普遍的であり、感動とは個人的なものなんじゃないのかなあと。自分の心に深く響くものほど、それだけ自分一個人の心に深く突き刺さるだけの関係性があったのだから、深ければ深いだけ、他者との共有は難しくなってくる(そこをうまく説明できれば評論家になれるでしょう)ように思われます。なので小生はもっぱら、理屈としての面白さという、たとえば歴史研究のような方面に関心を向けることとなりましたが、しかしまた面白さと感動が全く別個にあるわけでないのももちろんです。
 で、まあその、食にまつわる言説が安直な「感動」や「安心」を求めるために、かえって不合理なカルトと化す事例がまま見受けられますが、そんな中で「自然栽培が宗教化する理由」などは産業としての食糧生産と農業技術という観点に立っての説明であり、小生としてもこういうのが読みたかったと思っていました。安定した質量の収穫を得るために、人類は誇張でなく数千年の努力をしてきた、そのことの重要さはまた同時に面白いことでもあり、こちらこそが普遍的で共有されるべきことなのだと考えます。

中田考氏が解説する「スンナ(スンニ)派とシーア派」&エジプト情勢(togetter)
 ツイッター上でカリフ制復活こそが人類を救う唯一正義の道と力説され、アフガンのタリバンに馳せ参じたらタリバンの偉い人に「ここはお前の戦場ではない」と諭されたという伝説を持つ、@Im_Weltkriege 猊下ともアジトで会談された、ハッサン中田先生による解説。イスラム世界の勢力としてしばしばその名を聞く「同胞団」の位置がどのようなものなのか、はじめて理解することができました。

【町づくり・保全】廃業後、記念館として一般公開している旅籠・旅館・ホテル わが国はなかなか古い建物が残りづらい(自然的要因だけでなく、制度的にも文化的にも)傾向がありますが、その中でこのような取り組みが増えていることは喜ばしいことです。近世以前や明治時代のみならず、昭和初期の建物も次第に保存の対象とされるようになっても来ましたし。とりあえず甲子園ホテルは行ってみたいです。

特集 桶風呂(サンライズ出版)
 滋賀県で用いられていた伝統的な――といっても高度成長で内風呂が普及するまで、かなり近年まで使われていた風呂の話。水を節約するための独特な構造をしています。琵琶湖周辺の滋賀県が特に無図事情が悪いというわけではないでしょうが、何せ昔なので、川や井戸が家のそばにあっても、その水を風呂まで運んでくるのが大変なのです。ほんの50年あまり前の話ですが、この間の生活スタイルの変遷を痛感します。もっとも都市部では水道や電気は普及していたので、むしろ同時代の地域格差がひどく、現在はそれがかなり均一化されたというべきかも知れません。
 ちなみに桶風呂経験者の方々の座談会中、ちょこっと昔の電灯料金が定額制だったという話も出てきていますね。この座談会出席の方々は、高月町(今は長浜市に合併)や長浜のご出身のようなので、その定額電灯は五大電力の一つ・宇治川電気から供給されていたものと思われます。
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by bokukoui | 2013-07-20 23:59 | 出来事 | Comments(0)