思い出すことば
大学でいろいろ授業に出たりしたものですが、その中でもっとも印象に残っている台詞を記憶の中からサルベージしてみましょう。
それは小生がまだ駒場の前期教養課程にいた時分、東洋史の桜井由躬雄教授が授業中に言った言葉です。この先生は他にも逸話を聞いていますがそれは別の機会にして、この時授業で話がどういうわけか『世界ウルルン滞在記』なるTV番組に及んだのです。
この番組は、毎週誰か芸能人が世界の各地に出かけていって現地の人と交流する、とかいうものだったかと思いますが、番組の最後で必ず芸能人と現地人が別れを惜しんで抱き合って涙を流す、そしてスタジオの連中もそれを見て感動し「国境を越えて心が通じているのに感動しました」とか抜かす、だいたいそういう展開であるかのように聞いています。
この番組について桜井教授、この別れのシーンに疑義を挟みます。安易に「心が通じた」なんて言うのは僭越なのではないか、自分が相手を理解したなんて言うのは傲慢なのではないか、そんな議論だったように思いますが、この辺の記憶は残念ながら曖昧です。
ともあれ、最後に桜井教授はこう言い放ちました。
以前書いた教育の話題にも通じるところがあるのではないかと思います。
「人の心を理解しましょう」などという言葉の裏に潜む倣岸さ、或いは無神経さといいますか、それを顧みるきっかけになるかもしれません。
なお、もちろん桜井教授と小生が「分かり合っている」わけではありませんから、この言葉の解釈に不正確な点があることはご承知置きください。
風邪を引いたのか喉の具合が思わしくなく、無闇と眠いので今夜はこれだけで失礼。




>ラーゲリ緒方氏
人が過つということは、念頭に置いておくべきことでしょうね。
>某後輩氏
忘却というのも実は解決なのかもしれませんが。記憶というのもまた政治的なもので。
>te様
ご来訪ありがとうございます。
「愛するというのは相手を許すということ」・・・まさに、そうだろうと思います。自分のモラルを押し付け、それに相手が従わないと逆切れする徒輩は、遺憾ながらしばしば見受けられるように思われます。
>スペード16氏
綺麗に締めてくれてありがとう。
