三年前のこと
といっても、きわめて個人的なことです。
2011年3月11日は金曜日で、大学はすでに春季休講でしたので、小生は在宅しておりました。本来は論文の作業などに大学へ行こうと思っていたのですが、2月末に酒を飲みすぎて池袋の駅の階段から転落するという不祥事による傷がいまだ癒えておらず、この頃にはぼつぼつ動けるようになってはいたのですが、この日は膝など全身の節々が痛むもので、出かけるのを断念しておりました。
もしこの日、大学に出かけていたら、小生も帰宅難民の一人となっていたことでしょう。当時は秋葉原に通称「アジト」がありましたので、まあそこにでも泊めてもらえたでしょうが、ただあの状態の体ではちょっとでも歩くのは辛かったので、やはり出かけなくて正解でした。
で、昼食を済ませ部屋のベッドに寝転がって何か読んでいたころ、地震がやってきました。大きな地震ですと初期微動と本震を体感でも区別できますが、この時は初期微動からして微動どころでなく、そのうちに揺れが激しくなってきて、今まで経験したことのない揺れへと激化しました。
その時、小生が思っていたことは、「遂に東海地震がやってきたか!」というものでした。小学生のころから授業で、東海地震がいつか来るという話を聞かされていましたので、いよいよか、という感情が真っ先でした。
ところが、揺れはあるところまで激化すると、確かに激しいのですが、それ以上の揺れにはならず長々と続くばかりです。あれ、東海地震でもこれぐらいで済むのか? うちの地盤はいいらしいが、それにしたって東海地震なら関東はもっとえらいことになるのでは? と揺れながらある意味不穏当なことを考えていました。この時点では、小生の部屋の本棚はまだ倒れていなかったのです。
と、その時、隣室にいた母から、テレビが台から落ちそう!と救援要請が来たので、そちらへ向かいました。そして、旧式のでかいブラウン管テレビを二人がかりで抑えて転落は防ぎましたが、そうこうしているうちに自分の部屋の方では本棚がひっくり返っていたと、まあそんな顛末だったと思います。原発や停電云々が問題になるのは、次の日以降のことと記憶しています。
以上、関東地方のささやかな思い出でした。
およそ2万人もの方が亡くなった大災害であり、この機に追悼の念をささげるものでありますが、しかしまたひねくれたこともつい考えてしまうのは小生の性です。
率直に言えば、小生は関東地方にずっと住み、先祖は西日本の出で、東北地方には地縁血縁がほとんどありません。ですので、東日本大震災で2万人の方が亡くなられたといっても、小生が個人的に存じ上げている方は一人もいなかったのです。
東日本大震災の4年ほど前、2008年6月14日に、同じく東北地方で大きな地震がありました。岩手・宮城内陸地震で、23人の死者・行方不明者を出しました。このブログでは、過去に地震翌日・一か月後・一年後・一年と一月後と何度もこの地震関係のことを書いていますが、それはこの地震で、交通史の研究・保存活動で活躍されていた岸由一郎さんが亡くなられたからです。小生は生前、何度か岸さんとお会いする機会があり、著わされたものはだいぶ読み、しかも地震のわずか一週間前の鉄道イベント会場で姿をお見かけしたばかりで、衝撃もひとしおでした。それがこれらの記事を執筆した動機です。
なんでこんな話をしたかというと、「悼む」ということについての、想像力の限界のようなものを、感じざるを得なかったからです。わたしにとっては、個人的な情報を有さない2万人が亡くなったことよりも、その事績をよく知っている一人の死の方に強く心を動かされずにはおられない。それ自体はむしろ妥当なことともいえますが、さてそれを社会規模での状況とどうすり合わせていくのか、この問題については、むしろややこしさが増しているような世相にあるようにも、思うのです。目前にある実体的なものへの思いと、抽象的に想像される社会の構造への対応と、その両者の間の溝が、ややこしい形になっているといいましょうか。
この点は、復興が終わったとしても、ずっと考え続けねばならないことです。

至近の例で言えば、マレーシア航空の件も乗客に日本人がいなかったからか、どうもニュースでの扱いがいまいちのように感じます。
外国で客船が沈没して1,000人が死亡(日本人無し)より高速道路で日本人の乗るバスが事故を起こして1人死亡する方がニュースの扱いが大きい、というのはありがちなことな気がいたします。
単純に事故の規模だけで語れないあたりが人間心理の複雑な点でしょうか?
コメントありがとうございます。すっかり返信が遅くなってしまいすみません。
事故の規模の大小は、おおむね社会的な影響の大小につながり、報道の多寡にもだいたい相関するでしょうが、個人の感情は全く別なことですからね。
小生としては、たとえば「被害者遺族の感情」などが社会的影響と同一視されることには強い懸念を覚えますし、究極的にそれは、個別具体的であるがゆえに大きな意味のある個人の思いを、社会的な物語で塗りつぶしてしまうことでもあろう、と思っています。
この辺の折り合いをどうつけるべきなのかは、本記事でも書いたように、小生もわかりません。個人の感情を社会に押し付けるべきではなく、といって無視するわけにもいかず。