さようなら交通博物館
交通博物館は幼時に来て以来何度来たのか正確なことはわかりませんが、閉館が本決まりになってからは三度くらいは来たように思います。
以下、眺めに行って思ったことなどを箇条書きでつらつらと。
・館を埋める来場者はやはり家族連れが多いが、万世橋駅の現役時代を知っているのではないかという感じの高齢者の方も多く見受けられた。
・見るからにその筋の趣味者と分かる連中(小生の同類)もまた少なくなかったが、案外カップルも見受けられた。男が女に一生懸命説明をしているのも微笑ましき情景(まさに「愛するとは許すこと」ですね)。
・鉄道趣味者は所持する撮影機材に凝る者が少なくなく、閉館を取材に来た報道陣と咄嗟には区別が付かない。
・1階の鉄道コーナーは芋を洗うが如き大混雑であったが、2階・3階の船・自動車・航空機の展示コーナーはそこまでは混んでいなかった。人気の差か。
・しかし本物の「誉」エンジンは、いろんな意味で他のものに引けを取らないお宝だと思う。大宮に所沢の航空博物館に譲渡するとか?
・お子様は運転シミュレーターなどに群がるが、鉄道関連展示で一番混んでいたのは万世橋駅関連だったかもしれない。
・1階の吹き抜けの部分に展示してある蒸気機関車9856(ドイツのマッフェイ製、箱根の後押し用マレー機関車)は大宮にちゃんと持っていくのだろうか。大宮移転後の展示予定の紹介として実物車輌35両が挙げられていたが、その中になかったような・・・
・ついでに、9856と一緒に置いてあるこれまたドイツの名機01(ヘンシェル製)の動輪もちゃんと大宮に持って行くのだろうか。それにしてもマッフェイとかヘンシェルとか、ドイツの蒸気機関車屋はなぜ戦車もよく作るのだろう。
・鉄道の車輌の発達史として大型模型を集めたコーナー、JR化以後の車輌はJR東日本の車輌しかない(新幹線も東海道・山陽は無視。世界最速の500系の姿もなし)。なんという心の狭さ。昔の模型には小田急ロマンスカーや近鉄ビスタカー(新ビスタ)もちゃんとあったのに。
・なお、この模型コーナーのクロ151(パーラーカー)の塗り分け線が微妙に間違っているような気がする。
・今まであまり見に行かなかった屋外展示(行き方が分かりにくい)の弁慶・善光を今回はとくと観察。弁慶の足回りのうち弁装置関連部分は赤く塗られており(教材用?)、お蔭でアメリカ形スティーブンソン式の意味がやっと分かった。
・食堂もお土産品も当然のことながら大混雑で売り切れ御礼状態であったが、軽食用の万世のカツサンド(近所のよしみで売りに来たのか)が大好評。小生も一つ食するも、次から次へ売れてゆくため回転がよいのであろう、出来立てで温かく実に旨い。肉の万世が今日一日で幾つのカツサンドを売ったのか気になるが、それ以上に、小生は今後万世のカツサンドを売っているのを見るたびに今日のことを思い出すだろう。
交通博物館は敷地が狭く、この手の博物館の目玉となるべき実物展示の点で不満があるのは確かです。カットモデルや模型に頼る場面が多いので、大宮移転で鉄道の実物車輌が数倍に増えるのは、基本的には歓迎すべきことと考えます。建物の構造も分かりにくく、エレベーターなどもないですしね。
ただ、曲がりなりにも「交通」博物館と称し、船や飛行機、自動車を含めた総合的な展示であったのを鉄道に絞ってしまうのは、やはり残念です。結構なお宝も所蔵しているだけに、お蔵入りせずに有効な活用方法を考えて欲しいところです。常設展でなくてもなんとか。
そして、「鉄道」博物館として充実するならいいと思うのですが、どうも「JR東日本鉄道」博物館になってしまうんじゃないかという点が懸念されます。JR化以降の鉄道車輌模型の展示が、東日本のそれに限られていたということがそれを示唆するように思われるのですが、これは今後再開時も日本を代表する鉄道博物館となるであろう展示施設の運営方針としては余りに視野が狭いものといわざるを得ません。民鉄も含めた(自前で博物館持ってる会社もあるけど)総合的な日本の鉄道の特質を示すよう、心がけていただきたいものです。
最後に、史料の問題ですが・・・あの余りといえば余りな閲覧体制は改善されるんでしょうね。マイクロフィルムを見るのに何で付き添いがいるのかと小一時間(以下略)。国立公文書館みたいなシステムにして欲しいなあ(公文書館のマイクロは扱いやすく見やすい。国会図書館の憲政資料室のマイクロは旧式で扱いにくく見にくい)。短期的な商売にはなるはずもないけど、このような文化事業は、長期的には宣伝として相当に高い合理性を持つように思うのです。
※追記:鉄道博物館を開館前に見学に行った記事はこちら
私が父に連れられて生まれて初めて交通博物館に行った時は、その前を走っていた都電を使ったことを覚えています。
館内の機関車は本当に見上げるように大きかったです。
当時の秋葉原には「素人客お断り」の札の下がっている店があったり、デバイスも真空管中心で半導体と言ったらセレン整流器ぐらいしか見掛けませんでした。
実に良い言葉だと思われる。おそらくこのブログの文章のなかで最も良いのではなかろうか?喜びであれ、悲しみであれ、物と思い出が忘れがたく結ばれることもまた好事家の喜びではないか?
だが、わが部屋に並んだDVDBOX等を見るたび私は思わざるを得ないのです。思い出を上書きしてしまっていることを。特に特撮ヒーロー物はそれが顕著。
なんか分かりづらい書き込みだな、これ
書き込みありがとうございます。
都電に乗って行かれたとの由、当時が偲ばれます。秋葉原も再開発が進み、高架下の店も入れ替わるようですし、交通博物館の跡地も一帯で再開発されるようです。
秋葉原界隈が注目を浴びる結果、投資が集まり、そして形を変えていくことになるのでしょうね。
実物車輌のある東京の近場、といえば、地下鉄博物館の他には青梅の鉄道公園、川崎の電車とバスの博物館(東急)、東向島の東武博物館、横浜の滝頭の市電記念館、そんなところでしょうか。
>スペード16氏
過褒に与り光栄です。分かりづらいこともありません。
プルーストのマドレーヌの例を挙げるまでもなく、「物と思い出が忘れがたく結ばれる」ことは好事家ならずとも大いなる喜びとなるでしょう。
しかし、思い出す喜びと、同じ作品を見直すなどの再度の体験をする感慨とは別物でしょうね。そして再度の体験が最初の経験時の感動と異なってしまうゆえの違和感というのが生じるわけで。