特別・通勤・臨時・快速
我ながらあてはまるところ少なからず感じられ、といって正直「全く自分そのまま」というほどでもないという感想です。
就職活動は全くしなかったし、必要以上に人付き合いをすることは余りなかったし今もありません(大学はそのよう煩わしさがない、というのは素晴らしいことだと思うのですが)。中高で不登校ではなかったけど学校自体が開放病棟みたいなとこだったし。友人がいないわけではないですが、人に物事を相談するのは極めて下手です(聞く方は割と平気)。なので論文なども一人で抱え込んで自爆する方ですな。それでも一人で出来る仕事の方が共同作業より気楽です。もっとも学業成績は(機密)。
しかし、若者らしく溌剌であれ、男らしく性役割を受容せよ、人と交われなどという社会的圧力にどうにも馴染めない人間が、何とか居場所を見つけて辛うじて社会不適格者のレッテルを貼られるのを免れているという状況もここには含まれているわけで、余程問題が顕在化するまではあまり突っついたりするのは良くないのでは、とも思うのです。
トータルで言えば、小生は「準ひきこもり」に近い性格を多分に持っているけれど、全くあてはまるとは(自己判断では)言えないだろう、となりそうです。
しかし、「準ひきこもり」自体が「ひきこもり」と「正常」な人間との間のグレーゾーンというか、境界事例を一つのカテゴリとして自立させたものといえそうなものですが、さらにその境界の境界みたいなところにいる小生はなんと名乗ればよいのでしょうか。「準」の下だから「区間ひきこもり」くらいかね?
上掲の文章は、話題提供としては意味がありますが、本当に一つのカテゴリとして取り上げようとするといろいろ難しいところもあるように思われます。だからといって全く否定するつもりもありませんが。

あと女も軍隊に入れ、物事を人間関係に堕落させるなを付け加えて。要するにいつも私が言ってる事ですね。こりゃいかんな。

紹介されていた論考、自分のことかと思って身構えて読みましたが全然違うと分かって一安心。もっとも身内にかなり当てはまる人がいるので喜べませんが……。
ラーゲリ氏>
「敢えて人の嫌がることをやる」「敢えて空気を読まない(というか、空気に逆らった)言動をとる」など、ラーゲリ氏の高等テクには毎回目を見張るものがあります。全く真似したくありませんが(笑)