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筆不精者の雑彙

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近代デジタルライブラリーの史料を見てふと思う~戦時下のアメリカ女性観

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第2次大戦中、アメリカのコンソリーデーテッド・ヴァルティー社の工場で働く女性工員
(Bill Yenne "The American Aircraft Factory In WWII" より引用)

 最近は大学の近代史の講義で、戦争中のことなどを扱っておりまして、手持ちの写真などを学生諸君の目を少しでも惹こうと活用しておりました(前回の記事の写真とか)。で、最近はデジタル化された昔の書物などもいろいろありまして、ネット上で見られるという便利な世の中になっております。そんなデータベースの代表例といえば、何といっても近代デジタルライブラリー、通称「近デジ」で、小生も日頃からお世話になっております。
 で、先日の講義で、日本人の戦時中の対米観として、アメリカ女=贅沢に慣れきった連中、みたいな通念があって、日本人は精神力では負けない、戦争を続けていればアメリカ人どもはきっと戦争に疲れて音を上げて(きっとドイツがイギリスとソ連を滅ぼしてくれるだろうし?)大日本帝国は勝利するのだ!的な発想があった、という話を紹介しました。でも実際は、というのが上に掲げた画像なわけですが。むしろ、マニュアル化や機械化が進んでいたアメリカの工場では、未熟練の女性でもただちに高度な製品を安定して作れたのですが、その点日本では・・・。

 さて、そのような戦時下の日本人のアメリカ女性観を代表する記事といえば、戦争末期の1945年の『主婦之友』新年号に掲載された「この本性を見よ! 毒獣アメリカ女」という記事が有名?ですが(「兵器生活」の記事が背景なども併せ全文紹介してくださっています)、これはちょっと長いので授業では紹介しづらいかなと思い、もうちょっと手ごろなのがないかな、と近デジを検索してみました。



 すると、太平洋戦争開戦直後の1941年12月20日発行という、朝日新聞社社会部編『あらゆる角度から観た敵国アメリカ』(朝日新聞社)という本が引っかかりました。以下に「十、女の世界」のページを掲げます(元の画像は章題のリンクをクリックしてください。続きも簡単に見られます)。
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朝日新聞社社会部編『あらゆる角度から観た敵国アメリカ』「十、女の世界」
(この画像はクリックすると拡大表示します)

 開戦から半月でこしらえた時局便乗本、といえばそれまでですが、海外情報をそれなりに持っている新聞社としては、まず当然の本作りでしょう。国民としても知りたいでしょうし。で、この記事は「本社ニューヨーク特派員中野五郎氏」によるもののようです。ちょっと引用してみましょう。なお、引用に際しては新字体・現代仮名遣いに修正しています。
 戦争スポーツの応援 アメリカは女の天下である。米国参戦の時機が刻々近づき、ルーズヴェルト大統領の音頭取りで米国民の戦争熱が日増しに高潮するとき、米国女性のみは依然として『平和的生活の幸福と自由』を人生最大最高の目的と思い込んでいる。
 米国女性の現実と風俗は、未だに『平和的享楽態勢』を示して、国家の存亡を賭し、困苦欠乏と雄々しく闘っている交戦諸国の女性戦線の如き風景は、未だに全く見られない。
 女天下の米国の社会生活では、日米経済断交によって、日本から生糸の供給が絶たれて全米に絹靴下騒動が起こるや、米国の企画院ともいうべき生産管理局(O・P・M)は忽ち米国女性の反対を恐れて、パラシュート製造用に独占した軍需生糸の一部を靴下用に振向け、女性の歓心を求める始末である。
 永年にわたって世界第一の富の上に築かれた花やかな物質文明と享楽的な生活文化に馴らされた米国女性は、戦争も爽快なスポーツ視し、秋の社交シーズンが始まるや、毎晩のように英国、ロシア、支那救援慰問大舞踏会や慈善音楽会等を開き、専ら花やかな戦争スポーツの応援に熱中している。
 活躍する大統領夫人 ニューヨーク第五街の豪華な飾り窓には、一万ドルのプラチナ狐や五千ドルの貂の毛皮等が米国の享楽生活の象徴のごとく陳列されて、米国女性の虚栄心をそそりたてている。
(後略)
 とまあ、国際情勢の緊張をよそに物質的豊かさを追い求め、ストッキングのために政府をも揺さぶるアメリカ女、というのは、当時の日本人によるアメリカ女性のステロタイプといえそうですね。

 さて、近デジの検索では、他にも戦時中に出版された、アメリカ論的な本がいくつか引っかかりましたので、小生は一通りチェックしたのですが、その中にいくつか、ん!?となるものがありました。
 まず、小山甲三『アメリカ敗れたり』(新正堂、1942)「一三、女の国アメリカ」です。
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小山甲三『アメリカ敗れたり』「一三、女の国アメリカ」

 ・・・まるっきり、さっきの『あらゆる角度から観た敵国アメリカ』と同じですね。ああ、朝日では文末が「~いる。」と特派員の報告という現在形だったのを、開戦前のこととして辻褄を合わせるために「~いた。」としてますけど。この『アメリカ敗れたり』(このタイトルもアンドレ・モーロワ『フランス敗れたり』の真似ですね)の著者・小山甲三は朝日の記者だったんでしょうか? でも朝日の本は「特派員中野五郎」と書いてますし・・・?

 で、さらに検索してみると、中島肇『アメリカの戦略と其全貌』(研文書院、1942)「二 女性気質」というのも見つかりました。
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中島肇『アメリカの戦略と其全貌』「二 女性気質」
(この画像はクリックすると拡大表示します)

 ・・・またも既視感のある文章が・・・。またぞろ文末を「いた」に改めてますけど。中野五郎特派員は、小山甲三・中島肇などのペンネームを使い分けていたのでしょうか?小山・中島とも検索では他に著書はないようだし・・・でもやはり一番ありそうなのは、時局本を出版社の要望で急遽執筆することになって、朝日の本をパクった、というところでしょうね。なお、『アメリカ敗れたり』は1942年4月発行で、『アメリカの戦略と其全貌』は1942年12月発行です。

 ところで、『アメリカの戦略と其全貌』出版元の研文書院というのは、近年廃業した数学の参考書を出していた出版社かと思いましたが、国会図書館のデータベースで検索すると、1940年代までと1960年代以降との間で断絶があるので、多分違うんじゃないかと思いますが、さて?
 また、小山甲三についてはこの本の著者以外のデータは出てこないのですが、中島肇についてはやはりNDL-OPACで検索すると、1950年代に教育関係の記事をいくつか書いている人物が引っかかります(80年代以降、気象学や工学・生化学、さらに法律について書く「中島肇」氏がいますが、これはそれぞれ同姓同名の人でしょうね)。この「中島肇」が同一人物という確証はありませんが、研文書院が戦前にも『処世六法 社会常識』という、「社会教育研究会」なるところ編集の本を出しているところからすると、もしかして、という気もします。

 というわけで、データベース発達のお陰で、思いがけずコピペによる本作りがバレてしまった?のですが、考えようによっては、こうして「戦争よりも絹のストッキングを気にするアメリカ女」というステロタイプが再生産され、日本人の対米観を形作ってきたのかなあ、とも思われます。そういう観点からすれば、パクリでネタが広がっていったということも、今となっては歴史的な資料といえそうです。
 ・・・でも、小山某氏や中島某氏のやったことが正当化されるわけじゃ、もちろんないですが。

 で、実際のところは冒頭に掲げた画像のように、戦時中のアメリカ女性は工場で生産活動を大いに進めました。とはいえ、戦争が終わると、立派に仕事をやっていた彼女たちも、女性だからというだけでお払い箱にされてしまいます。都合のいい時だけ利用された――というわけで、それが女性解放運動(正しい意味でのフェミニズム)につながっている面もあるといいます。その辺はもっと勉強したいことです。 
 最後に、冒頭の画像はコンソリ―デーテッド社のフォートワース工場でのものだそうですが、この工場はアメリカの航空産業の中でも最大級の工場だったそうです。その最大ぶりを痛感させる画像を、締めくくりに張っておきます。こんな生産力の国と戦争しようと言い出した奴は誰だ、絞首刑にしてやる!って思いたくなりますね・・・。
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コンソリーデーテッド・ヴァルティー社の工場で大量生産されるB-24爆撃機
(前掲 "The American Aircraft Factory In WWII" より引用、この画像はクリックすると拡大表示します)

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Commented by 無名 at 2014-06-13 22:56 x
アメリカでは女性がウイングマークを付与され、航空機を空輸していましたぐらいですからね。
極端な例を挙げると、アメリア・イヤハートの友人でジャクリーヌ・コクランという人が居ましたが、(ちなみに、チャック・イエーガーとも友人。)戦後、セイバーやF104の営業で飛び回りました。
Commented by 無名 at 2014-06-13 23:06 x
アメリカは、パラシュートの素材を一気にナイロンに切り替えたので、絹が余剰になった可能性があります。
余剰になったパラ用絹布をマフラーとして兵士に支給しています。(防寒用というよりジャケットが首と擦れると痛いので、緩衝材として、航空機や車両の乗り組みの際、巻くものでした。)
Commented by bokukoui at 2014-06-20 20:07
>無名さま
久方ぶりにコメントありがとうございます。
女性の航空機フェリーといえば、高校生の頃バトル・オブ・ブリテンの本を読んで、英空軍の女性によるフェリーの存在を知って厨二心をいたく刺激されたものですが、自動車を運転できる人間すら少数だった当時の日本の状況を考えれば、彼我の差は大きかったと痛感します。
もしイアハートも行方不明にならなかったら、その後は世界を営業で飛び回ったのかも知れませんね。

ナイロンの歴史は調べていませんが、確かに第二次大戦の米軍はナイロンのパラシュートをもっぱら使っていたようですから、シルクの在庫をストッキング用に放出したところで別に困らなかった、という可能性はありそうですね。当時の日本人の多くには想像の埒外だったでしょうが…。
飛行士のマフラー姿は格好いいですが、あれは防寒じゃなかったんですね。ご教示ありがとうございます。
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by bokukoui | 2014-06-07 23:59 | 歴史雑談 | Comments(3)