天丼チェーン「てんや」とマクドナルド~神保町「ふじ好」天ぷら革命いまだ成らず・補遺
今は亡き「天ぷら革命 ふじ好」より、ご飯の量は多いと思う
以前、当ブログの「いもや」改め「神田天丼家」についての記事「神保町の「神田天丼家」(旧「天丼いもや」)移転 および天丼の雑談」をきっかけに、そのすぐ隣の天ぷら屋についても書き始めたら、
・天ぷら革命いまだ成らず~神保町「天ぷら革命 ふじ好」の終焉(前篇)
・天ぷら革命いまだ成らず~神保町「天ぷら革命 ふじ好」の終焉(後篇)
・「人間力」という魔物~神保町「ふじ好」天ぷら革命いまだ成らず(終篇)
・「人間力」に抗うために~神保町「ふじ好」天ぷら革命いまだ成らず(完結篇)
と、当ブログでも屈指の大長編記事になってしまいました。で、「ふじ好」スレはいまなお2ちゃんねるに存在しているようですが、「ふじ好」公式サイトも契約期間が切れたため消滅し、もはやこのお題について書くことはないと思っておりましたところ、ひょんなことから図書館で検索したら興味深い雑誌記事を見つけてしまったので、懲りもせずさらなるスピンオフを書くことになりました。
先の「ふじ好」関係記事でも書きましたとおり、牛丼や回転寿司などが複数のチェーンで激しい競争となっているのに対し、天丼チェーンは「てんや」以外大きなものは存在しないようです。その理由については、先の記事でも引用したように、自動的に天ぷらを揚げる機械を開発したと Wikipedia にも書かれていますが、先の記事で小生は、丸紅の出資で資本金が当初から1億円あったという資本力も指摘しておきました。
で、最近の図書館の検索システムが日々進歩しているもので、ちょいと検索したら「てんや」関係の雑誌記事が幾つか見つかりました。そこにはより詳しい「てんや」創業の経緯が記されていたのですが、小生はそれを読んで一驚せずにはおられませんでした。というのも、「てんや」創業者は岩下善夫という人なのですが、この岩下氏もまた日本マクドナルドの関係者だったというのです。
てことは、「ふじ好」の藤本孝博氏も、岩下氏という成功者の先例を知って二匹目のドジョウを狙ったのか…でも、小生の記憶では、藤本氏のブログで岩下氏の名を見た記憶はないですし、周辺情報をも積極的に漁っていた2ちゃんねる「ふじ好」スレでも岩下氏について取り上げられたことはなかったように思います。まあそりゃ、藤田田や原田泳三や孫正義に比べれば、知名度はずっと低くはありますが。
ともあれ、岩下氏のビジネス人生について、(1)『月刊食堂』1993年3月号および(2)『財界にっぽん』1998年6月号から抜き書きしてみましょう。
慶應の経済を卒業して「普通のサラリーマン」をやっていた岩下氏でしたが、1969年ごろに「ひょんなことで、藤田(田)さんとの出会いがあって、何回か、酒を飲んだり、食事をともにする機会があり、意気投合し、ある時『岩下君おもしろい仕事をアメリカからもってくるから手伝ってくれないか』という話が、藤田さんからありました」というわけで、藤田田にスカウト?されてマクドナルドの日本での立ち上げに関わったそうです。
・・・設立発起人をやらせていただいたり、店舗の展開など本部の仕事をやりました。同社(日本マクドナルド)が120号店になるころまでお世話になりました。あしかけ5年くらいいましたね。ただ、ハンバーガーという商品は牛肉とパンとじゃがいもという大変にアメリカ的なもので、感心しませんでしたね。しかし、経営の仕組みには非常に感激しました。(以上の引用は(2)より)と、岩下氏は藤田田のもとで、マクドナルドの設立と初期の展開に際し、かなり中心的な仕事をしていた方のようです。そして、当時の日本では「企業」とは見なされにくかった外食が、一大産業になることを認識し、自らも事業に取り組んだわけですが、その道のりは平坦ではなかったようです。
その後私は独立して、自分のアイデアでフード・サービスの事業にチャレンジしましたが、これは四年でたたみ、それから友人の和食の仕事に携わりました。そこで和食に可能性があると気づいたのです。中でも天ぷらが有望だと考えました。(引用は(1)より)これは(2)によると、「(株)サンドイッチハウス」といって1975年に設立したそうですが、1979年には和食の仕事に転進したようです。やはり「大変にアメリカ的」過ぎたんでしょうか。
で、天ぷらに着目した岩下氏は、人気のある天ぷらがそれまでチェーン化できなかった理由を分析します。
職人を必要とするため、大きなビジネスになりにくかった。天ぷらは付加価値が高いのですが、反面仕込みがたいへんなのです。(中略)ですからよほど歴史のある老舗でも、展開力には限りがありました。私はこれに、マクドナルドで勉強したシステムを導入して、天丼のチェーンを展開することを考えたのです。(引用は(1)より)てなわけで、天ぷらの職人技とは何かを研究した結果、「結論的には、油の温度コントロールに一番経験が必要だということに行き着き、コンピュータで微妙な温度調整ができる電気フライヤーを開発しました」(引用は(2)より)のだそうです。この電気フライヤー開発秘話は面白そうなのですが、これこそ「てんや」最高の企業秘密なのか、残念ながらどの記事にも載っていませんでした(苦笑)。
とまれ、職人不要の天ぷら揚げ装置ができたところで、天ぷらといえば海老、というわけで海老を扱う商社の丸紅へ話を持ちかけたそうです。丸紅でも海老の安定消費先として天丼屋をやるアイデアはあったそうですが、やはり職人を揃えるのが大変とお蔵入りになっていたところだったので、話はうまいことまとまり、丸紅75%・日清製油20%・岩下氏5%の出資でテンコーポレーションが1989年に設立されたと、そういう経緯だそうです。
ちなみに、テンコーポレーション創業時の資本金は一億円だったので、岩下氏自身が出資した額は500万円ということになります。いっぽう、「ふじ好」の株式会社TFJの資本金は555万円だったそうで、これは多分藤本氏がほとんど全額出したと想像されますが、個人で出資した額自体は大差なかったといえそうです。
総括しますと、なるほどマクドナルドの経営手法は応用性があり、他のビジネス、特に外食産業にうまく応用すると成功するという事例ではあります。しかし、岩下氏は本部でチェーンそのものの立ち上げ業務を一から担ったのに対し、過去の記事で触れたように、「ふじ好」の藤本氏は店舗管理に特化した経験者でしたから、マクドナルドの経営手法の全貌をうまく実行することができなかった――あるいは、「マクドナルドの経営手法」自体を、ごく狭い範囲に解釈してしまっていたのでしょうか。なお例の鴨頭氏は、「マクドナルドの経営手法」を自分に都合のいいように解釈して、講演でカモを引っかけているものと考えられます。
「てんや」成功の背景には、丸紅による豊富な資本金があったのではないかと小生は前の記事で指摘しましたが、岩下氏は丸紅を説得する言葉として「マクドナルドの経営手法」を使えたわけです。その辺が、店員を鼓舞する「人間力」にとどまった(しかしそれを普遍的で応用性があると勘違いした)藤本氏との相違なのでしょう。
さて、システムとビジネスパートナーを得てスタートした「てんや」は、浮沈の激しい外食産業界にあってかなり順調に発展してきた方だと思われますが、それでも途中には困難があったようです。そもそも黒字化が創業から5~6年くらいかかり、9年目くらいで累積赤字がなくなったというので、結構気の長い話です。やはり「てんや」最高の企業秘密?である、コンピュータ制御天ぷら揚げ装置の開発費がかさんだのでしょうか?
で、この間も単純に右肩上がりだったわけではなく、伸び悩んでいた時期もあるようです。1991年からの3年間では40店舗も出店していたそうですが、「急速に伸びた反動からトップの意思がきっちり伝わらなくなったり内部体制にひずみが出ました」(『財界にっぽん』1998年4月号の記事におけるテンコーポレーション近藤営業本部長の談話)ということで、それからは年3~6店に新規出店は押さえて、他店舗展開に備えた体制の立て直しに当たったようです。
――まさしくこのような、企業がある規模以上に伸びるときに越えなければならない関門を突破する局面ならば、「ふじ好」の藤本氏はきっと大活躍できたことでしょう。
今世紀に入って、テンコーポレーションは丸紅の傘下を離れ、ロイヤルホストの一員になったそうですが、別に救済合併とかではなくて、ロイヤルの方がグループ強化のため買収したもののようで、おおむね業績は堅調のようです。そして、「てんや」以外にめぼしい天丼チェーンがない、という状況も、ここで引用した記事の頃から20年前後経っても変わっていません(「かつや」グループの天丼チェーン参入が失敗した模様なのは以前に書いた通りです)。この点について、先の『財界にっぽん』1998年4月号はこのように述べています。
「これまで結構、似たような店も出てきたんですが……」なおこの記事では、その他の天丼チェーンとして、うどんの「杵屋」がやっている「丼々亭」(表記原文ママ)が、関西で20店ほどチェーン展開していると書いていましたが、調べてみると確かに杵屋グループで「丼丼亭」というのがあります。ただ、現在の店舗数は11店にとどまっているようで、関東でも鶴見に一軒あるようですが、「てんや」ほどの成功は収めていないようです。うどん屋は天ぷらも丼ものも扱うし、無難な方向での展開のように思うのですが、やはり天ぷらチェーンには「一朝一夕ではでき」ないノウハウがあるようです。その要はやはり、自動天ぷら揚げマシーンなのでしょうか。
と近藤本部長。チェーン展開するまでに至らず、あっさり撤退したところが多い。(中略)
「メニューに出てるてんぷらだけ見るなら経営ノウハウもそういらないんじゃないか、そう思われるのか割合簡単に考えていろんな業者さんが参入してきましたが、粉だとかタレだとか、トータルなものから商品ができるんですね。また、食べて胃や胸にドカッとこない調理方法など、一朝一夕ではできません。質の競争力がなければやっていかれないのです」
さて、以上の「てんや」をめぐる話を、先の「天ぷら革命 ふじ好」についての話と改めて関連づけて考えてみると、「マクドナルドの経営手法」を外食産業の企業的経営手法全般として、外部の出資者への説得に使えたか、「人間力」にしてしまって外部の顧客に通じずコケかた、ということになりましょうか。
先に書いたことの繰り返しですが、結局「人間力」というのは内輪向けの言葉であって、外部に通じるようなものでは必ずしもない、ということですね。内部向けの言葉が強すぎると、それはいわゆる「ブラック企業」の発生要因ともなり得そうです。その企業内部の論理が、普遍的原則とすり替えられて、企業の構成員を縛るからです。
こういった「内部向けの言葉」が、社会に瀰漫している状況は、どうも近年強いように思われます。しばらく前に小田嶋隆『ポエムに万歳!』という本が出たと聞きますが、最近このように「ポエム」として批判される言葉が、だいたいこのような、内輪の言葉が一般の社会へ漏れ出している状況にあてはまっているように、小生は考えます。
外食産業は特にこの傾向が強い業界といえそうです。小生自身の経験でも、新しいラーメン屋に入って、ラーメンの味自体は悪くないのに、店員がむやみとうるさすぎるのに辟易して二度と足を運ぶ気が起こらない、なんてことが間々あります。いちいち店員全員で注文を復唱する必要なんかまったくない、うるさくて落ち着かないだけ、と思うんですけどね。店員全員で注文を復唱するのは、店員同士の連帯感を強めるという効果があるのかも知れませんが、それを客の耳にいちいち入れる必要など全くありません。内輪が外部に漏れている、しかもそれをやっている側が「よいこと」と思っている、典型的な例でありましょう。――その点、皮肉にも末期の「ふじ好」は、まこと静かな店でありました。
なんですが、小生が喧しさに耐えがたい、と思うような店はむしろ一般に増加傾向にありそうに思われます。定量的に示すのは困難で、個人的イメージではありますが。
で、こういう内輪を外に漏れさせてむしろ得意になっているような現象が、嫌われるよりむしろ増えているとしますと、それは社会一般に斯様な「ポエム」的「人間力」的価値観が蔓延している、ということになりそうです。どちらが卵か鶏かという問題はありますが、「ふじ好」はコケたにしても、似たようなメンタリティの企業が一定の成功を収める素地が日本の社会にあり、そのような企業の「成功」の存在がフォロワーを生み、あたかも「ポエム」的「人間力」的なものが普遍的であるかのような空気が、社会に広まっていくことになります。
その原因をたとえば、冷戦後の「大きな物語」の崩壊した社会が云々とか述べればそれっぽい気もしますが、あまりそう安直にまとめたくない思いが小生にはあります。原因についてはまた掘り下げて考えるにしても、このような事態がこれからもたらすであろう傾向はかなり想像しやすいもので、内輪と世界の区別が曖昧になるのですから、その「内輪」にノレない人々に対して抑圧的な社会がもたらされる恐れがあります――というか、既にそうなりつつあるように思われます。
そして、普遍的に世界に通じる言葉は、語彙の定義と論理的な構築を必要としますので、専門的な研究や実績の積み重ねによる学問や業務に欠かせないものです。そういった普遍に通じる言葉を軽視し、「内輪」で済むのが当然と思ってしまう傾向は、極論すれば専門家の軽視から、高度に発展した現代社会の根底を覆しかねないとすら考えられます。
これはいささか過言ではあったかも知れませんが、震災以降の「専門家」軽視の風潮(そう思われて致し方ない根拠はあったにせよ)はそれを裏書きしておりますし、STAP細胞をめぐるドタバタもまたその極端な現れであると考えることもできます。
むろん、先の『ポエムに万歳!』のように、この風潮に批判的な考えを持つ人もいるわけで、むやみと悲観するよりは巻き返しを個々の分野で図るべきだと、そう無理矢理前向きに考えて本稿を締めくくることとします。
元々の「てんや」と「ふじ好」の話についても、岩下氏も成功を収める前に一度サンドイッチ屋で失敗しているのだから、藤本氏も天ぷらでコケたからといっておしまいではなく、むしろ先例からすればここからが本番だと、そう前向きに総括することもできましょう。
それにしても、天丼屋の話をしていたら、なんでこんなところに行き着いてしまったのか――以前の記事でも引用しましたが、以下の種村季弘の黙示録的な慧眼に、ただ恐れ入るばかりです。
つまりはそういうことだ。人生は地獄だというのに、天どんを食えばうまい。人生は地獄でも、天どんというものがちゃんとある。残る問題は、と私はつぶやいた、そう、残る問題は、地獄にも天どんがあるかどうかだ。種村季弘「天どん物語」(『食物漫遊記』筑摩書房所収)