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ラーメンを食して思う

 本日は臨時のバイトで遅くなったため更新時刻が遅くなっております。
 何卒ご諒承ください。
 さて、今日は途中立ち寄った池袋でラーメンを食していたのですが、その節に以下のようなことを考えました。

 池袋は「ラーメン激戦区」とやら(テレビ東京あたりが好きそうな言葉)だそうで、実際多くのラーメン屋が立地しております。数年この街でバイトをしていた中で思い出しても、潰れた店より開店した店の方が多いような気がするなあ。で、思うにラーメン屋は比較的経営しやすく(メニューのレパートリーや調理の手間などを考えれば)、そして店舗数が減らないところを見ると利益面でも悪くないみたいですね。
 今日はそこそこ気温が高く、小生は持っていた上着を鞄に突っ込んでおりましたが、ふと急にラーメンを食いたくなって某店にて一杯食しました。そして食しながら、冷房がなかったらこんな日にラーメン食おうとは思わなかったよなあ、などと思ったのでした。
 そう思い出すと、それこそ焼肉屋とか、さらに遡って牛鍋屋みたいな夏場向きではないメニューを出す店は、昔は夏場はどう営業していたんでしょうね。

 森銑三『明治寫眞鏡』という本に氷水(今のかき氷)についての古記録の紹介があって、明治14年(1881年)の頃らしいですが、「伐氷の家、冬は多く牛豚を売る」とあるのを紹介し、さらに続いて、「後には氷屋が冬には焼芋屋になるといふのが、定石のやうになってゐたが、氷屋が肉屋になる時代もあつたのである。この頃の肉屋は、寒い時期だけの商売だつたのである」とあるけど、冷房普及以前に牛鍋屋(だろう、氷屋は氷を食わせる設備込みみたいなので)は通年営業になっていたようですね。夏はさぞ暑苦しかったでしょう。
 ラーメン屋じゃなくて蕎麦屋なら、夏はもり・ざるで凌ぐという方法があるので、通年営業の面では有利であったように思われますが、では上方のうどん屋だったらどうだったんでしょう。
 ラーメン屋は昔は屋台で営業していて、ということは陽が沈んでからの営業が中心でしょうから、暑さの面での問題をある程度回避できたのかもしれません。屋台から店舗への変化が札幌ラーメンと九州のラーメンとどっちで早く進行したか調べたら、案外有意な相違が見出せるかもしれません(何となく九州のラーメンって屋台のイメージが強いんですよね)。
 そういや冷房が普及した今でも夏場は販売していないことが多い鍋焼きうどんですが、あれもそもそもは夜に屋台で売っていたものらしいです(『明治寫眞鏡』の「氷水」の次の次の項目が「鍋焼饂飩」だった。なお昭和初期になっても屋台販売が主だったらしい。柳田國男の『明治大正史世相篇』(1930)に「町の大道の鍋焼き饂飩」とある)。
 「外食産業に冷房の普及がもたらした影響―屋台から常設店舗への移行を中心に―」とか、そんな論文があったら読みたいですね、是非。
 
 しかし本当に、昔夏場の食い物屋やそこへ食べに行っていた人はどうしていたんだろう。
 或いは熱いものを食して汗だくになってもそういうことを気にしない、つまり衛生観念面での変化があったということなのかな。その方が説得的かなあ。

 なお、小生が気温に関らずラーメンを食するに至ったのは、多分ここんとこ家で「刻み揚げ入り温そば」ばかり作って食っていて、流石に脂っこいものが食したくなったからであろうと思われます。
 毎日ひたすら蕎麦ばかりお召し上がりだった百閒先生は偉いなあと(少し)思います。

by bokukoui | 2006-05-22 23:59 | 食物 | Comments(0)

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