雑彙・漠然と思うことなど
本格的な猛暑になってきて、ますます心身鬱々としてしまいそうですが、このまま引きこもるわけにも行かないと思い、少しばかり思うことをメモしておこうと思います。
小生はあまりテレビを見ないのですが、その一因は家人の見ている番組がどうも好みに合わぬからでして、ちょうどそのモヤモヤした気分と同じことを述べている記述を、Hagex 氏のブログで見つけました。
・大政翼賛会TV番組が嫌い(Hagex-day info)
これは「嫌いだけど人に言えないもの」というスレッドの投稿を紹介したものです。そこから何が嫌いか、更に抜粋すると、
日本バンザイ、日本って素晴らしい!っていう番組
外国人に日本のどこが良いと思いますか?と街角インタビューしたり、日本製のものを使ってる外国人を取材したりして
「外国からこう思われてるんですよ!」とやってるのが
最近多すぎてうんざりしてる
色んな国のランキング…と見せかけて「日本のこういう所は良いよね」と
結局賞賛に持って行ってるし
そういう番組、私も嫌いいやもう、一読して喪前は俺か?という思いに駆られるような内容でした。
上手く言えないけど、例え自国でも他国にあちこち感想求めてまでごり推しされると
却ってしらけるというか…。
でもそういう番組好きな人が多いし、言うと
「おまえは日本人のくせに日本が褒められて嬉しくないのか!?」
とか言われるから嫌
で、さらに先日、ネット上でたまたま以下のような連続ツイートを見つけました。ちょっと長くなりますが引用しておきます。
最近かみさんが今さらながら韓国ドラマにはまっているのだが、ネットでその種の記事を見る度にネトウヨが湧いている図と出くわすのに辟易してる模様。幼稚園の先生も韓国ドラマが好きで意気投合。世の中にはそんな女性たちが無数にいる。ネトウヨは社会の半分を敵に回していると言っても過言ではない。
— 直立演人 (@royterek) 2014, 6月 10
韓国ドラマにハマった世の女性たちは、もともと韓国が好きで韓国ドラマにハマったというよりは、たまたまハマったドラマが韓国ドラマだったはずである(そしていつの間にか「韓国ドラマだから好き」という具合になるのだろうが)。ネトウヨが韓国に関わるものすべてを毛嫌いするのとちょうど逆である。
— 直立演人 (@royterek) 2014, 6月 10
3・11以降に反原発デモのおかげでデモの敷居が下がってきた頃、ネトウヨ発のデモの第一弾がフジテレビに対する反韓流デモだったことは象徴的である。当然、参加者の多くは男性だったはずだが、「愛国的」身振りをしきりに強調していた割に、その実ただのコンプレックスの裏返しだったのではないか。
— 直立演人 (@royterek) 2014, 6月 10
19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパのいわゆる「世紀末」文化においては、「男性の危機」が叫ばれていた。そしてその反動的帰結の一つが排外主義的ナショナリズムからナチズムへと至る道であった。レイシズムが蔓延る要因の一つは、この種のコンプレックスと強迫観念の結合に他ならない。
— 直立演人 (@royterek) 2014, 6月 10
テレビをつけると、どこもかしこも「世界で活躍している日本人」だの「世界の片隅で苦労している日本人」だの「世界で愛されている日本人」だので溢れ返っている。たんに個々の日本人が凄い、がんばっているというだけの話のはずなのに、いつの間にか「日本人は凄い」という話にすり替わっていないか。
— 直立演人 (@royterek) 2014, 6月 10
「世界中で活躍する日本人」。この種の「美談」はそれ自体は別段どうとも思わないし、そのような番組で「癒される」というなら大いに癒されたらよろしい。しかし、どこもかしこもそういう番組だらけの一方で、ネットや街頭やつり革広告がヘイトで溢れ返っている社会というのは、恐ろしくて仕方がない。
— 直立演人 (@royterek) 2014, 6月 10
で、「『愛国心』とはコンプレックスの反映ではないか」というこの方の主張には、小生も肯うところがあります。そして、「個々の日本人が凄い、がんばっているというだけの話のはずなのに、いつの間にか「日本人は凄い」という話にすり替」えるという問題については、以前当ブログで「『建国記念の日』に思う 『条件付き愛情』的な『愛国心』」の記事において述べたとおりです。これら「愛国者」は「国を愛している」という身振りをしていますが、やっていることはなにがしか努力し成功した人の業績を、同国人であるというだけで横取りしているフリーライダーでしかありません。
上のツイートでもありましたが、最近はどうもマスメディアに韓国や中国を批難する(世界で如何に嫌われているかとあげつらう)ものが目立ちます。電車の中吊り広告で見かける週刊誌の見出しや、駅のキオスクで売っている夕刊紙の見出しであるとか。特に目障りなくらい目につくのが『夕刊フジ』で、ここ2年くらいで急激に中韓批難へ路線を切り替え、毎日必ず一つはその手の見出しがあるように思われます。その点、『日刊ゲンダイ』は我が道を行っているのには感服します(内容は別にして)。
一方テレビでは、批難はあんまり明確にしない代わりに、先に述べたような「日本素晴らしい」の「大政翼賛会」的な番組が目立つ、という構図のように思われます(紙メディアでも「日本ぼめ」企画はあります)。この種の番組について、先の Hagex 氏の記事が紹介しているような嫌悪感を示している記事として、他にも「日本人は凄いという内容の本やテレビ番組をみて喜んでいるとアホになる」(誰かが言わねば)という記事を見つけました。この内容もおおむね賛同できますが、ただ戦前のメディアとの比較という点では、ちょっと違うような気もします。小生が多少読んだ印象では、戦前の報道はもっと単純に「日本人はスゴい! 日本軍は強い!」という感じだったのが、現今のは「世界の人々が日本を讃えている、それくらい日本はスゴい!」と、やや屈折しているのではないでしょうか。より隠微になったというか・・・それが昔ほど、こういった言説がストレートに捉えられてはいない、ということなら、まあ「いいこと」とも言えるのでしょうが・・・。
で、まあその、団塊世代で退職した小生の父が、斯様な番組大好きらしく、せっせと録画して見ておるのですな。
そんな父は、ことあるごとに韓国・朝鮮をこき下ろすが如き言説をしておりまして、時にはネットで流布しているような嫌韓ジョークなどを得々と紹介していたこともありましたな。そのジョーク、元ネタはアメリカンジョークだよと突っ込もうかと思ったくらいですが、面倒だし人の話を聞きそうもないので止めておきました。
これが現役時代は、外資系製造業の日本支社に勤めた「国際派ビジネスマン」だったりするのですから、なにをかいわんや。
そして先日、鉄道関係でお世話になっている小久保せまきさんが、こんなツイートをされていました。
友達のお父さんがどんどんネトウヨ化していて、僕はニコニコ話を聞いていることしかできない。つまり僕は差別加担者なのだが、それにしても見知らぬ在特会を叩くよりも身近なモンスターにどう対処をしていくかの法が問われているのであり、そちらのほうがはるかに難しい問題だ。
— 小久保せまき (@semakixxx) 2014, 7月 20
※続きはぼちぼち
「もっと自分も頑張ろう。」とか「卑しい真似はするまい。」とかではなく、なんとなく俺様って偉いのかも、ということに安住してしまう点にあるのでは無いでしょうか。
反韓流デモですが、あれは確かにコンプレックスの裏返しというのは分かります。しかし、あの類の活動が結構大規模になったのは件のデモで意外と多くの女性参加者があった点ではないでしょうか。もし男性だけなら「モテない男のひがみ」と片付けられていたのですが、女性参加者が一定数いたために、「これは僻みじゃない、日本国民の怒りの炎だ」と変な自信を与えてしまったのではないかと思ったりしますが。
>「もっと自分も頑張ろう。」とか「卑しい真似はするまい。」とかではなく、
>なんとなく俺様って偉いのかも、ということに安住してしまう点
まさにこの点でして。結局、エラいのはそのことをやっている人であって、たまたま同国人だからといって「誇る」という感覚は全く不合理であります。
ただ、分量的にも最近、この手の番組は増加しているように思われます。長年放映されている情報番組なんかのお題を経年的に調べれば、けっこう実証できそですね。
反韓デモですが、正直「モテない」という要素がデモの内外でどれだけ重いものであったのかは、率直なところ疑問に思います。もちろん、参加者が数的のみならず、老若男女広かった、ということは「変な自信」の根拠にはなります。
「ネット女性保守」については、以前「非モテ」論壇でしばしば話題となったように、女性の「非モテ」問題は男のそれ以上に見えにくい、というテーマに通じるところがあると思います。男のそれ以上にややこしいコンプレックスが存在していそうで・・・
にしたって、ご紹介の女性のお悩みは、鏡を見ろとしかいえませんが。
同様に誇りも譲渡可能な物として捉えられ、日本人の偉業に対して「誇りをもらった」という感覚になるのでしょうか?
「勇気」「元気」についてのご意見、まったく同意します。「誇り」もまた然り、みずから築いてこそのものを借り物ですませるのは、自他双方に対する欺瞞であると感じます。
借り物で欺瞞だからこそ、それを少しでも突っつきそうな言説に対し、泰然と構えられずやたらと噛み付くのですね。