鍋焼うどんの探求(39) 真夏の特別企画・大阪篇 野上屋食堂@新今宮・南霞町
猛暑のさなかに鍋焼うどんもないものだ、と皆様思われるでしょうが、これにはちと仔細がありまして。
そもそも、「食欲が失せる」「蕎麦屋の看板を見ると気持ち悪くなる」と当ブログでも屈指の不人気企画「鍋焼うどん探求」(そもそも人気企画なんかあるのか疑問ですが)、昨冬から今春にかけてのシーズンに一度も記事を掲載しておりませんでした。それは悪評に堪えかねて、というわけではなく、数軒の取材を重ねてはいたのですが、いろいろ身辺のことでドタバタしているうちに季節を逸してしまった…という次第です。
で、当ブログでの鍋焼探訪が停頓しているうちに、とびさんのブログ「鳩の切り売り・量り売り」上に於いて「鍋焼うどん探求・関西編」という記事が掲載されました。これは、とびさんがお住まいの関西における鍋焼うどんの状況を記して下さったのですが、これは小生の鍋焼うどん探求がもっぱら蕎麦屋・うどん屋のそれであったのに対し、昔ながらの(とびさんの言葉を借りれば「今を生き抜く昭和遺産」)大衆食堂のものであるという大きな相違があります。小生のこれまでのレポで同様の店といえば、川崎の「味のデパート コシバ」だけでしょう。
なお、「コシバ」で検索して当ブログへお越しの方が時折おられましたので、地元で人気のお店なんだなあ位に思っていましたら、ふとある時こちらも検索してみたところ、なんとコシバは昨年11月に隣家のもらい火で全焼してしまったそうです。今を生き抜く昭和遺産がこうしてまた一つ失われたのか、と思ったら、なんと現在は代替店舗で仮営業、やがては原位置に復帰の構想もあるとのことで、やはりコシバは昭和遺産どころか現役バリバリだったようです。
ともあれ、自分でも巡った店が50軒になったら具材のリストアップをしようと思っていたのですが、先を越されてまことに悔しいというか、更新をサボっていた報いといいますか…。もちろん、とびさんの分析結果をありがたく参照させて戴いた上で、自分なりの考えを、気候が鍋焼向きになったら(苦笑)述べてみるつもりではあります。
で、小生は蕎麦屋めぐりを続ける一方、近年急速にデータが充実し検索もしやすくなっている各種近代史料のデータベースを使い、鍋焼うどんの歴史的文献を若干ですが収拾しております。まだまだ断片的ですが、季節が涼しくなってきたら(笑)まとめてご紹介するつもりではあります。その断片からの推測ですが、幕末の登場から戦前まで、鍋焼うどんは基本的に冬の屋台の食べ物で、あまり蕎麦屋やうどん屋のメニューではなかったものと思われます。そもそも蕎麦自体が軽食(スナック)であって、戦時中の食糧統制によって主食の一翼に格上げ?されたという経緯があり、屋台の軽食から蕎麦屋の高額メニューに変貌するのは戦後ではないか、今のところ小生はそう考えております。
すると、それほど高くない大衆食堂の鍋焼うどんの方が、むしろ昔の形に近いのではないか、蕎麦屋が鍋焼うどんを出す際、天ぷらやおかめの種を賑やかしに入れて変貌する前のスタイルをより残しているのではないか、そんな風に推測できます。なので、とびさんのレポを拝読しては、やはり関西の大衆食堂の鍋焼うどんは自分でも実食せねば、そもそも鍋焼うどんの発祥自体関西らしいし、と考えておりました。
それが今回、ひょんなことから関西で「大衆食堂の鍋焼うどん」を食べる機会に恵まれました。
そもそも先週、小生はとある学会の関西部会をのぞきがてら、史料調査など思い立ちまして、大阪に行っておりました。そこで興味深い報告を聞いたり、報告者の方と議論をしたリ、幾つか史料を見つけたり、そしてとびさんと久闊を除したりと、いろいろ成果のある旅だったのはよかったのですが、一つだけ問題がありました。値段だけ見て新今宮の格安ホテル、まあ場所から行ってドヤの近代化版のごときところに泊まったところ、冷房が無茶苦茶に強力だったのです。そんな宿ですから、部屋ごとの室温調整なんてできません。一方で寝具は煎餅布団という歴史的表現を体感できる代物でしたから、一晩でてきめんに風邪を引いてしまいました。しばらくブログのみならずツイッターも休止していたのは、そんな理由です。
それでもまあ、昼間は何とか調査をしておりましたが、夜ともなると力尽きてきて、喉の通りの良さそうなあっさり目の食事が欲しくなってきます。で、宿の近くをあてもなくぶらぶらしている内に、一軒の食堂が出していた看板が目にとまりました。
おお! 鍋焼うどんがあるではないか! 真夏でも看板に堂々載せているからにはきっと提供しているに違いない、と小生はさっそく暖簾をくぐりました。
店内は明るく綺麗です。席は30席くらいでしょうか。奥に酒類を収めた冷蔵庫と、多分作り置きのつまみ類を置いているらしい冷蔵庫があります。時間も遅いので、おっさん達が何かつまみながら酒を呑んだりしています。そしてテレビで流れているのは阪神戦。なるほど、関西の大衆食堂ですね。
お店はそれなりの歳のおばちゃんが切り回していて、聞いてみたところ鍋焼うどんは無事やっていました。さっそく注文します。
それほど待たずにやってきた鍋焼うどんが、冒頭の写真です。土鍋の蓋は最初から外されていましたが、どうも鍋の下に鍋敷き代わりに置かれていたようです。
それでは具を見てみましょう。
・かまぼこ(2枚)
・梅焼(2枚)
・椎茸(甘くない)
・鶏肉(小片×2)
・卵(崩して煮てある)
・長ネギ(かなりいっぱい)
ごくごくシンプルな構成です。お値段も630円と大変手頃。とはいえ、この食堂では鍋焼うどんはまだ高い方で、ざっとお品書きを見てみると、きつねうどん430円・肉うどん480円・もちうどん480円・カレーうどん480円・中華そば480円・焼きそば480円・焼きめし480円・カレーライス480円・焼肉480円と、480円がボリュームゾーンのようです。もやし炒め・ニラ玉炒めなどは430円、鶏の唐揚げ・豚生姜焼き・レバニラ炒めなどは460円と少し安く、親子丼とカツ丼は530円、トンカツは560円と少し高いですが、だいたい500円前後に収まります。一番高いのが鰻丼980円でしょうか。ちなみに清酒と酎ハイは320円と安く、ビールは大700円・中530円・小370円です。酒二杯とつまみで千円ちょっと、てとこでしょうか。増税前なら千円で収まったのかも。
ついでに、うどん類のメニューを見てみると、先のきつね・肉の他にハイカラうどん400円(大阪では珍しいかも)、あんかけうどん430円、季節ものの冷やしうどん・そば・そうめんが540円なのはこの店にしてはちょっと高い気もしますが、やはり麺類では鍋焼うどん最高値……と思ったら謎のメニューがありました。その名も「びっくりうどん 780円」。何がどうびっくりなのでしょうか?
追記:「びっくりうどん」の正体が明らかに! たしかにびっくりなその姿はとびさんの「鳩の飲み過ぎ・太り過ぎ」の記事を是非ご参照ください。
うどんのつゆはもちろん、甘さがなくだしの旨味と塩主体の関西風です。ですが、いろいろ具を煮ているせいか塩辛さはあまり感じず、ネギの甘みか鶏の脂のせいもあるのか、全体に優しい味わいで、風邪引きの人間にはもってこいでした。梅焼というのは、伊達巻きを巻かないでかまぼこ状にしたものです。最初名前が分からなかったのですが、先述のとびさんのレポに登場していました。関西では定番のようです。
卵がちょっと変わっていて、割ってだしに落としてそのまま煮たのではなく、ちょっと溶いたようになっていて、黄身と白身が散らばっていました。といって、以前にあったように卵とじにしてあるわけではなく、ちょっと堅めに煮てある卵の変種というところでしょうか。
椎茸はだしでそのまま煮たのか、あっさりの味わいでした。関東のように甘く煮てあるということはありません。考えてみれば、関東のそばつゆはかえしにたっぷりみりんと砂糖が入っていますので、そもそも甘みがあります。それに対抗して具もこってり甘くすると、下手をすると味がくどくなりかねません。その点関西のうどんは、つゆはあくまで塩味主体で、甘みはきつねや肉のような具に分担させる形になっています。このへんの違いが、東西で鍋焼うどんの具にも差異をもたらしているのでしょうか。
うどんの麺は柔らかく、長さもさほどではありません。ですが、だしとよく馴染んでするするいただけます。
というわけで、真夏の大阪の大衆食堂で、具も値段もシンプルな鍋焼うどんをいただきました。蕎麦屋のお品書きの三役に君臨する以前の、鍋焼の姿にかなり近かろうと思います。
関東では蕎麦屋・うどん屋以外で鍋焼うどんを出す店は滅多にありませんが、関西は今回のような、そしてとびさんがレポして下さったような、鍋焼を出す大衆食堂がまだまだがんばっているようで、これはやはり関西鍋焼喰い回りツアーをいつかやるべきとの決意を固めました。関東より安そうだし(笑)
実際、史料調査のため再度の関西訪問は構想しているので、その折には次の機会を得たいと思います。もちろん、昨年の調査のアップや、鍋焼関係文献調査の報告なども……え、この企画は食欲が失せるからもういいって?
もっとも最近は「かすうどん」が急速に一般化しつつあるようで、同和問題にも時代の変化が及んでいるのか、モツへの偏見がなくなったのか、どっちでしょうね。
余談ですが、油揚げの「きざみ」は関東で見ないですね。簡単で旨いんですが、なぜなんでしょう。自分では良く作ります。
ジャンジャン横丁の立ち食いうどん屋が、すうどん160円きざみ210円という安さで感動しましたが、かすうどんはなかったな。
大阪で「びっくりなんとか」というと
値段が半額か量が倍かのどちらかで、
この店の場合は後者かと思います。
かすうどん。京都の「うどんミュージアム」で
大阪のご当地うどんとして紹介されているのを見て
(参考までに http://udon.mu/kasu)
「こんなうどん見たことも聞いたこともない」と
思っていたのですが、上のコメントを拝見して、
「古くから屠殺を生業とされる方々」の
料理だったのか、とはじめて知りました。
今度「うどんミュージアム」で食べてみます。
ちなみに私はいま(というか子供の頃から)
「同和」の方々と隣接して暮らしていますが、
そこは「屠殺を生業とする」部落ではないので、
「かすうどん」とは無縁でした。
「かすうどん=同和」というのはあるいは
ネット時代だから蔓延した偏見、というか
「分かりやす過ぎるレッテル」のひとつなの
かもしれません。
大阪の「びっくり」はそういう用法なのですね。ご教示ありがとうございます。たらいうどんみたいなのが出てくるのでしょうか(笑)
「かすうどん」は河内発祥らしく、「大阪」全体で一般的ではなかったもののようですね。それが同和問題のためなのかは分かりませんが・・・。事実だとしてもかえって公式的な場所では書きづらそうですし。
東京の蕎麦屋で、なぜか「もつ煮込みのせラーメン」を出している所はありますが、「煮込み」についてはあんまりこういうことは言われませんね。
「同和」の由来にしても、皮革業関係とかさまざまなパターンがあるので、「同和」でひとくくりにするのではなく、その個別の成り立ちをちゃんと知るべき、というのが筋なのでしょうが、実際問題としては「寝た子を起こすな」とも言われてしまいそうです。
詳細は上掲リンクを参照下さい。思い込みでテキトーなことを言ってはいけないと痛感した次第です。ご容赦のほどを。
小生も拝見して「びっくり」でした。鍋焼うどんの具+天ぷら+肉+揚げ、となりましょうか、まさにうどんに入れていい種物をあるだけ入れてみました、という感じですね。蕎麦屋の鍋焼は「おかめ」と具が似ていて、それに天ぷらが加わる場合が多いですから、まったく逆のパターンです。
なお、商品名に「びっくり」を使うのは、量の多さにせよ豪華さにせよ、関西のほうが多い気がしますが、いかがでしょう。
ともあれ、鍋焼うどんはそもそも屋台のもので、現在の蕎麦屋最高値メニューとしての鍋焼は戦後の産物であり、原型は大衆食堂のものに残っている、という仮説にとっては有利な材料となりそうです。ご教示まことにありがとうございました。