『ライフスタイルを形成した鉄道事業 シリーズ情熱の日本経営史8』略感
今月は鉄道記念日もありますし、1日は東海道新幹線開業50周年の日であったりしますので、当ブログでも本旨に戻って?鉄道関係の話題をいくつかまとめてみたいと思います。
というわけで手始めに、先月とある学会に行ったときに買った本の感想など書いてみようと思います。
老川慶喜・渡邊恵一
今年8月に出たばかりの本で、ハードカバーですがお値段2800円(税抜)とお手頃です。経営史の入門者や、一般の読者層向けにまとめられたものと思われ、文章も敬体で読みやすさに気を配っていると見受けられます。
恥ずかしながら、小生はこんなシリーズが出ているとは存じませんでした。それに芙蓉書房といえば、旧日本軍を中心とした軍事史関係の本を出しているところ、というイメージがありまして、ちょっと驚いたのも正直なところです。というわけで、学会で同社が出展していたブースで本書を見つけた小生は、寒い懐でも買えるお値段に気をよくして早速買い込んだ次第でした。
本書は日本の鉄道業の中でも、表題のとおり現代のライフスタイルを形成する「郊外」の形成に関わった、大手私鉄の経営者を取り上げた列伝です。本書で取り上げられている経営者は、
小林一三(阪急電鉄) / 堤康次郎(西武鉄道) / 五島慶太(東急電鉄) / 根津嘉一郎(東武鉄道)
の4人です(掲載順)。
本書の執筆者は連名になっておりますが、どちらの先生がどの経営者を執筆したのかは何故か書かれていません。あるいはそのような単純な分担ではなかったのかもしれません。
それはともかく、老川先生といえば鉄道史・経営史で多くの著書を出されている大御所ですし、渡邉先生もかつて当ブログで取り上げた『浅野セメントの物流史 近代日本の産業発展と輸送』(立教大学出版会)を書かれており、納得の人選と思います。
全体としては、先にもちょっと書いたとおり、読みやすさには大いに配慮がなされていると思います。写真や当時の広告などの画像が程よく盛り込まれ、登場する人名などには簡単な脚注もつけられています。もっとも、当時の路線案内を載せるのもいいですが、できればちゃんとした地図を載せた方が親切だったかな、とも思います。
そして読み返していて気づいたのですが、阪急と西武では掲載されている写真に、どういうわけか電車や汽車の写真が1枚もなかったりするのは、あくまで鉄道史ではなく経営史、人物史という意図の表れなのでしょうか。
もっとも、全体のまとめのような章がないので、私鉄経営者一般の中でこの4人をなぜ選び、どう位置づけるのかというところが明確でないのはちょっと残念です。一般向けだからこそ、簡単な全体像は示せればなあと思うのです。
とはいえ、小林・堤・五島の3人は、誰がどう選んだって鉄板なのは間違いありません。そして、鉄道業界に大きな足跡を残したいわゆる「甲州財閥」の中でも、もっとも成功して企業グループが後世に残った東武の根津を選ぶのも、順当なところではないかと思われます。
ただこの4人だと、関東:関西の比率が3:1になって、ちょっと不均衡かなと・・・中産階級のライフスタイル、現在の「郊外」的な生活スタイルを築いたのは、やはり関西のほうが先ですし。とはいえ、じゃあお前が誰か関西私鉄界から1人選べ、といわれても難しいところです。阪神だと三崎省三?(技術者から経営者、という例として) 近鉄なら種田虎雄か(最強の天下り経営者)? 京阪の太田光凞は失敗した面が多そうだし。南海は目立った人が思いつかないのですが・・・高野線(の前身の会社)の経営再建して地下鉄に転じた早川徳次とかどうでしょう?ってそれなら早川の親分の根津を取り上げる方が妥当ですね。
話が逸れましたが、それでは内容について簡潔にご紹介し、感想を述べてみたいと思います(順不同ですが)。
まず堤康次郎については、1996年に由井常彦編著・前田和利・老川慶喜著『堤康次郎』(リブロポート)という本が出ています。西武は鉄道会社としては珍しく、社史らしい社史を出していないのですが(そして近年の状況からするとこれから先も当分・・・)、それに代わる西武の歴史についての定番といっていいのではないかと思います。
で、小生も『堤康次郎』を読んだのは結構前なのですが、内容が盛りだくさんなもので、一読では全容がつかみきれない本でした(それだけ、堤の事業が大きいわけですが)。今回の『ライフスタイルを形成した鉄道事業』も、基本的には『堤康次郎』の線に沿った内容と思いますが、当時の広告などを数多く盛り込んで、堤の事業を不動産中心に、かなり分かりやすくまとめたものと感じられます。この読みやすさは本書の狙い通りで、たいへん結構なことと思います。
続いて、東武鉄道を経営した根津嘉一郎については、もちろん東武の社史もあれば大きな伝記本もあるのですが、ちょっと参考にする、というような手ごろなものは思いつかなかったので、ありがたいまとめです。
根津嘉一郎は山梨県の富豪出身なので、いわゆる「甲州財閥」の一員とされます。甲州財閥といえば、生糸や株で儲けた若尾逸平や雨宮敬次郎が有名ですが、投機的な面の強い彼と比べ、根津がより実業的な方面を志向していたことを指摘し、根津の特徴を明確にしています。
鉄道経営の面では、根津は東武以外にも多くの鉄道に関わり、東武についで著名なのが高野鉄道(現・南海高野線)です。この両者とも、根津は創業には関与せず、経営難に陥っていたところに乞われて根津が経営再建に乗り出した、という共通点があります。その再建手法も、節約と同時に積極的な路線拡張で増収を狙うもので、東武は利根川を、高野は紀見峠を越えることで、収入が大きく伸びました。路線延長を可能にするため、根津は高配当政策を取って資金調達を行っていますが、その分重役の賞与は削りました。
本書で引用されている史料で面白いのが、高野鉄道の株主が根津に、「根津の経営は関東流だがここは関西だから関西流にしてほしい」なる要求を出したときの根津の反論です。「関東流・関西流というのは分かった用で曖昧だから意味をはっきりさせよ。高野も東武も自分が経営に引っ張り出されたときの状況は同じで、関東も関西もない」というのです。確かに、私鉄の経営についてはなんとなく、今でもイメージで関東私鉄・関西私鉄みたいに色分けすることがありますが、それは意味がないと当事者が指摘しているのが面白いところです。
なお、戦前の東武はほとんど兼業を行っていませんでしたが、その代わり沿線での産業振興には熱心でした。貨物が多かった東武らしいですが、このことも触れられています。この沿線振興策については老川先生の論文が以前にあり、とは本章の執筆者も・・・なのでしょうか。
さて、本書の中でもっとも出色と小生が思うのは、東急創設者の五島慶太についての章です。
よく知られているように、五島慶太はもともと鉄道院の官僚で、それを比較的早くに辞めて民間の鉄道会社に天下り、それを東急グループに育て上げます。で、後年の回想で五島は、役人なんてつまらない、と官僚時代の話をそんなにしないため、この時期のことは見過ごされがちでした。それを本書の五島についての章は俎上に挙げ、官僚時代から抱いていた交通についての構想を五島は民間で実現しようとした、連続性がそこに存在していると論じます。他の鉄道会社の合併も、いわゆる「強盗慶太」的な経営拡張第一というだけではなく、五島なりの交通調整構想があったと指摘します。これは、通俗的な五島観に一石を投じる、たいへん面白く重要な視点と思います。
鉄道院を辞した五島は、武蔵電気鉄道という、敷設の免許を持っていたものの資金不足でなかなか開業できないでいた会社に入りました。何で開業が危ぶまれるようなこの会社に入ったのか、それは目黒~有楽町間の免許を同社が持っており、鉄道院で地下鉄について研究していた五島は、この免許を生かして東京に地下鉄を走らせる構想を持っていたからだと、本章では五島が当時雑誌などで語っていた内容を精査して実証します。
すると後年、五島が地下鉄をめぐって早川徳次と争ったのも、地下鉄に情熱を傾けた早川の事業を「強盗慶太」が乗っ取った、という一般的な図式では収まりきれなくなります。五島にも地下鉄について長年研究してきた自負と、独自の交通調整の構想があったというわけですね。
最初にちょっと書いたように、本書ではどの章をどなたが書かれたのか明記されていないのですが、五島の章は間違いなく渡邊恵一先生でしょう。というのも、渡邉先生は昨年、「戦間期における五島慶太の鉄道事業構想」という論文を発表されていまして、その趣旨は本章と共通しています。この論文を昨年読んだ際、小生は五島慶太についての従来の見方を修正する重要な業績と感心しましたが、そのエッセンスがこのように読みやすい形で出版されたのは、大変喜ばしいことです。
もちろんこの章では、五島の田園都市と絡めた鉄道拡張など、五島の事業についての概要も押さえられています。初学者にもマニア(?)にも読みどころがあり、日本の都市の交通史に関心のある方には広くご一読を勧めます。
で、最後に阪急・小林一三の章なのですが、これは・・・うーん。
先に紹介した五島慶太の章が、当人の後年の回想をいったん棚上げして、同時代の史料を読み直すことで、後年に作られて現在に伝えられている五島像の見直しを図ったものであるのに対し、小林の章はどうも、戦後になって晩年の小林が著した自伝『逸翁自叙伝』の印象をそのままにしすぎている感を受けます。
たとえば、慶応義塾に小林が入学したときに初めて海を見た、と自伝の記述そのままに本章では書いています。しかしこれは本当だろうか、小林の文学上の好みではないか、とは1983年に出た阪田寛夫『わが小林一三 清く正しく美しく』(河出書房新社)が指摘しているところで、小林が入学した1888年当時は中央本線が未開業だったので、山梨県から上京するには富士川を船で下って東海道本線に乗り換えるルートが一般的でした。小林もこのルートで上京したので、当然海は見てたはずでは・・・?
また、小林が三井銀行を辞めて証券会社設立に加わるべく大阪に行ったら、とたんに株価が大暴落して話が流れた、というところで、暴落した株価をそのまま『逸翁自叙伝』から書き写しています。しかしこの株価もどういうわけか全く間違いで、株が暴落してから小林は大阪に行ったはず、この辺も『逸翁自叙伝』には小林の作為がある、と『わが小林一三』は長々と論じています。
※2018.5.26. 追記
小林一三の残した資料などからなる池田文庫がかつて発行していた『館報 池田文庫』掲載の論文によれば、慶応に入るため上京した際の小林の日記が見つかり、それによると歩いて笹子峠を越え、現在の中央線に近いルートで東京に向かったことが明らかになったそうです。ですので、初めて海を見たのが富士川の河口、というわけではないようです。この点は訂正します。
一方、本書を再読したところ、48ページで箕面有馬電気軌道が1918年に改称した社名を「阪神急行電気鉄道」としているのに気が付きました。これが重大な誤りで、正しくは「阪神急行電鉄」です。「電鉄」で正式名称なのです。
そもそも、ほぼ同時に開業した京阪と箕面有馬は、どちらも軌道条例に準拠した電車でした。創立が少し早かった京阪は、「京阪電気鉄道」という社名で創立できましたが、少し遅れた箕有は役所の方針で、「軌道条例準拠の路線が『鉄道』を社名に名乗ることまかりならぬ」とされた後だったため、「箕面有馬電気軌道」になりました。阪神は「阪神電気鉄道」で、関東の京浜も「京浜電気鉄道」なのに、近鉄の先祖が「大阪電気軌道」で、京王や京成が戦前は軌道を名乗っていたのも、創立時期の違いです。
にもかかわらず、箕有は神戸線開業に向けて、阪神に喧嘩を売るような「阪神急行電鉄」という社名に改称したのです。役所はいい顔をしませんでしたが、「電鉄」であって「電気鉄道」ではない、と阪急は押し切りました。これは阪急の(他の関西私鉄にも見られますが)役所のいうことを素直には聞かない性格を表すのみならず、路面電車に毛の生えたような存在だった「軌道」が、成長して都市間を連絡する有力な交通機関へと成長し、やがて私設鉄道条例発祥だろうと軌道条例発祥だろうと、はたまた地方鉄道法だろうと、同じような高規格の「電鉄」へ、三木理史先生の表現を借りれば「都市鉄道」へと収斂していく一里塚としても重要と言えます。これだけの意味を見いだせる社名について、誤りが記されていることは大変に遺憾です。
小林が箕面有馬電軌(のち阪急)に関わったのは、同社の前身ともいえる阪鶴鉄道(現・JR福知山線)の株主として三井物産が名を連ねていたので、三井の縁で小林が国有化される阪鶴の清算に加わった、それがきっかけでした。で、何で物産が鉄道の株なんか持っていたかといえば、物産と取引のあった砂糖商人が投機に失敗し、物産へ債務として阪鶴の株を渡したためでした。この砂糖商人の名を、本章では「香野庫治」と書いているのですが、これは「香野蔵治」が正しく、小林が自叙伝で書き間違えていたのそのままなんですね。
香野の名前を小生は、『民鉄経営の歴史と文化 西日本編』(古今書院、1995年)所収の小川功「阪神電気鉄道」で覚えました(同書では、『逸翁自叙伝』が「香野庫治」と書いた箇所を引用し、ごていねいにも「庫」に「ママ」と振ってくれています)。香野はいろいろな事業に手を出し、阪神沿線に香枦園という遊園地を作ったりしていて、今も阪神の駅名にその名を残す人物です(香野から「香」の字を取った)。阪神の百年史でも香野の事績が触れられ、遊園地を作ったもののすぐ閉めてしまったこと、遊園地にあった動物園の動物はなんと箕面有馬電軌が、箕面の動物園のため引き取ったことなどが記されています。…そんな縁もあったんかい。
本書の場合、基本的には初学者・一般向けなので、オーソドックスな通説をまとめよう、という発想だったのかもしれません。ですが、明らかに間違っていると指摘されていることを、史料のまま無批判に書くのはいただけません。そのへん、まことに残念です。
小林一三に関する本は汗牛充棟なのですが、どうも『逸翁自叙伝』はじめ小林が「こう書きたかった」像に引っ張られているのではないか、そして阪急もいわばその「一三神話」を今なお利用し続けるため、社史の編纂に外部の研究者を使わないのではないか、そんな風に小生は感じていました。このへんを、今後経営史は見直す必要があると考えています。
で、五島慶太についても同様の「神話化」傾向があるのですが、本書では五島について、通説を踏まえつつも大きく踏み出した、そこにすばらしいものがあると感じます。それだけに、小林という日本の鉄道史や都市史など経済史の各方面に顔を出す大物について、『逸翁自叙伝』にかかりっきりの記述というのはいただけません。五島の章の末尾は「従来からあるような画一的な五島慶太像を再検証する時期に来ているのではないでしょうか」と結ばれていますが、それと小林の章があまりに対照的であるのを、残念に思います。
ちょっと紹介するつもりでしたが、存外に長くなりました。ともあれ、読みやすいという点では大変便利ですので、まず何か日本の私鉄事業史について読みたい、という方には、読まれてみてはと思います。