メイド徒然話~スパゲティナポリタン理論
といっても別に大した話ではなく、単なる思いつきなんだけど。
古い同人誌ですが、先日虫干しに引っ張り出した「制服学部メイドさん学科」の同人誌を読みなおすと、今にして思うとまた当時と異なった感慨を催すのです。
で、『BEYOND the CENTURY』を読み返していると、有名なメイドゲーム『ELYSION』の原作者・藤木隻氏が「おたく文化から生まれたメイドさんは、メイドという西洋様式に東洋様式の慈愛を詰め込んだ、和魂洋才のアンパンだったのである」と書かれていたのでした。
この「メイド=アンパン」説は、それなりに当時人口に膾炙したように思いますが、西洋⇔東洋という二元論に単純に還元しちゃったり、キリスト教的な理念に基づく主従関係にメイドの話題を一元化するのはちともったいないなあと小生は思ったので、もうちょっと異なる発想ができないかと考え、表題の如きことを考えたのでした。
ちょっと調子が悪いので次回に続く。
秩序や上下関係がはっきりしていた
時代への憧れを感じます。
そう考えると、東洋西洋というくくり以上に、もっと
人間の根源的な衝動かもしれませんね。
全くその通りだと思います。
しかし、「スパゲティ理論本論(2)」で書きましたように、末期ヴィクトリア朝自体そういうのが崩壊してゆく時代とも言えるので、それ自体当時の英国人のあこがれを繰り返しているのではないか、などと思います。
人間の根源まではわかりませんが、近代社会のある局面で東洋西洋問わず発生する現象である、くらいのことは言えるかなあと妄想しております。