「モンスの天使」備忘~第一次世界大戦停戦記念日に寄せて
そんなわけで、今日は第一次大戦に関する一挿話をご紹介・・・と思うのですが、これは実は小生が某大学で行っている「日本近代史」講義の使い回しです。講義では毎回紙を配って、感想や質問等を書かせているのですが、第一次大戦の講義をしたとき、こんなことを書いてきた学生がいたのです。
第一次世界大戦に関して質問なのですが、このワードと一緒に、モンスの天使というのを、高校の授業でちらっと聞いたのを覚えているのですが、一体「第一次世界大戦」と「モンスの天使」は、どのような関わりがあったのでしょうか。これは面白いことを聞いてくるなあ、面白い高校の先生がいたんだなあと感心して、小生は何回かあとの講義のプリントに、延々と解説を書いておいたのですが、考えてみればほとんどの学生は関心ないであろうことにやたら労力を割いたようでもありました(苦笑)。そんなわけで、この機会に多少の加筆修正を施した上で、ネットに挙げておきます。
さて、「モンスの天使」というのは、第一次世界大戦当初の戦いで天使が戦場に現れてイギリス軍を救ったと、まあそんなような「伝説」です。欧米では結構今でも有名らしく、英語版ウィキペディアの情報が充実しています。
・Angels of Mons
一方日本では、なにせ第一次大戦への関心が乏しいので、所謂ミリオタ方面からの言及は、管見の限りないようです。しかし、オカルト方面ではそこそこ名が知られているらしく、ちょっと検索したら以下のようなサイトが見つかりました。
・「『モンスの天使』とA・マッケン」(ka-ka_xyzの日記)
・「モンスの天使」(空閨残夢録)
・「FILE007: モンスの天使」(超魔界帝国の逆襲)
・「モンスの天使。第一次世界大戦の戦場に現れた謎の天使達とは。」(暇つぶしニュース)
・「馬鹿な?!第一次世界大戦中の「モンスの天使事件」、全滅寸前のイギリス軍を天使が救った?!」
こんなところでしょうか。最初に挙げた「ka-ka_xyzの日記」さんは、怪奇文学についてという文脈で紹介されていますが、他はオカルト趣味ですね。で、オカルト方面の記述は割と似通っているので、オカルト関係の本でこの事件を紹介したものがあるのでしょう。
さて、改めて事件の概要を紹介しますと、まずモンスというのはベルギーの地名です。第一次世界大戦では周知のように、ドイツ軍はシュリーフェン・プランを発動して中立国のベルギーに侵入、これを理由にイギリスが対独参戦し、大陸に派遣された英陸軍はフランス軍の左翼側に配置され、ベルギーでドイツ軍と交戦することになります。時に1914年8月23日でした。しかし数で圧倒的に劣るイギリス軍は、ドイツ軍相手に奮戦したものの、結局撤退を余儀なくされます。
「モンスの天使」とは、この戦いの時に、天使があらわれてイギリス軍を救った・・・という伝説です。で、上に挙げたリンクの先で既に説明されている通り、通説的にはこれは、この戦いから約一ヵ月後の9月26日にイギリスの新聞に掲載された小説が事実と思い込まれたため、とされています。
その新聞小説アーサー・マカン「弓兵」は、「ka-ka_xyzの日記」さんによると現在翻訳があり、『怪奇クラブ』(創元推理文庫)という本に収められているそうですが、小生は読んだことがありません。しかしその肝心なところが、ジョン・エリス(越智道雄訳)『機関銃の社会史』(平凡社)に引用されていますので、孫引きします。


彼は聞いた。いや、聞いた気がした。何千人もの叫び声を。技術史上における偏見の例として、機関銃をなかなか採用しようとしなかった当時の軍人たち、それと思いを共有していた多くの人々を辛辣に描いたエリスは、この小説について「そこに描き出された戦場の風景は、イギリスの・・・幕僚でさえ、ちょっと古くさすぎると思ったに違いない」と評しています。ここでイギリスの幕僚を引き合いに出しているのは、新技術の威力を認めない頭の固い連中の代名詞というわけです。
「聖ジョージ! 聖ジョージだ!」
「おお! 守護聖人様! ありがたい、救いの神だ!」
「聖ジョージ、イギリスの守護聖人よ!」
「ああ! ありがたい! 聖ジョージ様が助けて下さる」
「おお! 聖ジョージ! おお! 聖ジョージ! 長弓と剛弓を手に!」
その兵士はこの歓声を聞きながら、目の前に見た
塹壕の彼方に、長い一列の影と、そのまわりの一条の光
その影は、弓を引きしぼる兵士たちのようで、
ふたたび歓声があがると、彼らの放った幾本もの矢が
風を裂き、うなりをあげて
ドイツ軍の大群めがけて飛んでいった
さて、上掲オカルトマニアのサイトでは、「天使=新聞小説ネタ」説に対し、それ以前に「モンスの天使」を伝えた兵士の手紙がある、という主張を展開しているところもありました。しかし、戦争ではさまざまなうわさが飛び交うものです。モンスの戦い直後の8月末には、イギリスで「救援のためロシア軍がイギリスにやってきて、フランスに向かう」といううわさがはびこり、中には「ロシア兵は銃ではなく弓矢を持っていた」(!)というのまでありました。ならば、天使が弓矢でドイツ軍を追っ払った、などという噂話もあり得るでしょう。
それでは、戦争で無数にはやる噂の中で、なぜ「モンスの天使」が生き残っているのか? といえば、モンスの戦いがイギリス軍にとって第一次世界大戦最初の戦いであったため、さまざまに語り伝えられて有名になった――というのが主な原因のようです。ドイツ軍の開戦当初の猛進撃に、イギリス軍とフランス軍は追い立てられる一方だったのですが、そこでイギリス軍はモンスで頑張った、だから他のイギリス人もこれに続け!と宣伝され、兵士の募集に貢献しました。結局ドイツ軍の勢いは一ヶ月あまりで止まり、戦争は長期化するのですが、ドイツが当初の計画通り開戦して即座にフランスを倒すことができなかったのは、モンスでイギリス軍が頑張ったからだ――として、イギリスの強さや正しさを主張する「神話」になっていったのでした。

特に、上掲リンクのオカルト系サイトの中でも、「プロ」のライターらしい山口敏太郎氏(小生は、家人が見ていた民放のバラエティ番組で、超常現象の識者として山口氏が登場したのを見た覚えがあります)の記述については、苦言を呈さざるを得ません。昭和の日本の子供向け本にもこの逸話が採用されたとか、オカルトの識者らしい興味深い情報もあるのですが、「筆者・山口敏太郎の個人的な見解に過ぎないが、第一次世界大戦が毒ガスが戦場に出てきた初めての近代戦であることに注目している。当時、ドイツ軍もイギリス軍も毒ガスを投入しており、マスタードガスなどが戦場で散布された。このマスタードガスをくらうと幻覚を引き起こすと言われており、このガスによる幻覚というのが真相ではないだろうか」というのはあんまりです。
「モンスの天使」は第一次大戦勃発当初の1914年8月のことです。これが塹壕戦に移行してにっちもさっちもいかなくなり、その打開策として毒ガスが投入されたのはもっと後のことです(大規模使用は1915年のイープル戦)。開戦当初にも仏軍が催涙ガスをちょこっと使ったという話はあるようですが、英軍じゃないですし、催涙ガスだと何も見えなくなりそうで・・・。
なお、先に引用した『機関銃の社会史』では、こんなファンタジックな物語が語り伝えられたのは、戦争とは正義や勇気で勝敗が決まるという幻想を当時の人々が広く持っていて、技術の発達の意味を理解していなかったためだ、と主張しています。実際のところでは、モンスのイギリス軍は訓練が行き届いていたので、猛烈な射撃でドイツ軍を驚かせて、ある程度食い止められたのでした。そして、イギリスで一番名誉ある勲章であるヴィクトリア・クロスを、モンスの戦いの功績でもらった兵士は、テクノロジーの産物である機関銃の射手だったそうです。
というわけで、戦争でのデマの発生や伝播、受容と変容という点では「モンスの天使」の話は興味深そうです。もっともそのためには、なるべく複数の分野にわたって資料を探さねばならない(それは一つの分野の深堀より意味があるかもしれない)というのが、ひとまずの教訓でしょうか。
ちなみに、第一次大戦が停戦になるというその日、英軍とカナダ軍で不幸にも最後の戦死者が出てしまったのは、奇しくも英軍緒戦の地であったモンスのあたりだったそうです。1918年11月11日、モンスに天使はいなかったのですね・・・。