[深夜アニメ一期一会]『夢使い』を見て思う
のつもりだったのですが、それも芸がないかと思い、一つ思ったことなど。
ゼミのために明治時代の文書など読んでいると、漢文調の表現に始終出くわすのですが、その影響で? 思ったことです。
小生はオタクではない、少なくともアニオタではないのですが、夜中徒然なるままに深夜アニメを見たりすることは間々あります。
以前、植芝理一『ディスコミュニケーション』を愛読していたこともあり、最近は同じ原作者の作品のアニメ化である『夢使い』を見ています。実は、『ディスコミュニケーション』末期の、『夢使い』への橋渡しのような役割とでもいうべき「精霊編」があまり好みではなかったので、漫画の『夢使い』は全く読んでいなかったのですが(その理由は又の機会に)。
※追記:理由を書きました。こちらです。
で、毎週続けて見るくらいには面白く見ているのですが、CMを見ている時にある疑問が湧きました。
『夢使い』の主要登場人物たちは、人の心に巣食う悪夢を退治することをその職務としているのですが、そのときの決め台詞が、例えば主人公の三島塔子の場合、「金曜星の夢使い」という設定で、
「金曜星あそびたてまつる! 現世(うつしょ)は夢、夜の夢こそまこと!」
というのですが、耳で聞いていた時は別にどうとも思わなかったのです。
が、DVDのCMを見ていたら、「あそびたてまつる」を漢字で「遊奉」と表記していたんですね。
あれ? こういう場合「奉遊」と書くもんじゃない? 例えば「奉仕」とか(本来は「主君に仕える」意)、「大政奉還」みたいな語順になるわけで。
まあ、こんなことは誰か既に言ってるだろうと思って検索してみました。
思い過ごしかなあ。ちなみに「夢使い 遊奉」だと61件ヒットします。
ところでこの場合の「たてまつる」は、「(神に)捧げる」という意味なのでしょうか、それとも謙譲の補助動詞なのでしょうか? 普通に考えれば後者だけど。