富岡製糸場見学記(3)
2号館・3号館を見学した後、繭の倉庫と直角に立つ、糸繰りを行っていた建物の内部を見学させていただきます。
まず、2号館の2階から繭倉庫と繰糸場とを同時に収めた写真がこちら。右手が倉庫、中央が繰糸場です。屋根が2段になっていますね。
![富岡製糸場見学記(3)_f0030574_23243117.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/29/74/f0030574_23243117.jpg)
![富岡製糸場見学記(3)_f0030574_2355686.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/29/74/f0030574_2355686.jpg)
この建物では繰糸が行われていました。もうちょっと厳密に言えば、富岡製糸場建設当時は、この建物で繭を煮てそこから糸を取り出すまで、工女さんが一貫して行っていました。その場面の絵なり写真なりは、皆さんも教科書などでご覧になったことがあるのではないでしょうか。その後製糸機械の進歩により、繭を煮る工程は別の建物で行い、煮た繭をロープウェイかモノレールみたいな機械でこの建物まで運んできて、糸を繰る工程のみするようになっていたそうです。上の写真の下の方に写っている黄色いバケットが、繭を運んでくる装置です。
とまれ、この工場では長らく繭を煮ており、その後も煮た繭を扱っていたわけですから、建物の中は蒸気が立ち上り、相当に湿気っぽかったでしょう。にもかかわらず、木材で組んだ梁がびくともしていないのは立派なもので、この秘訣は丹念なペンキ塗りを行っていたことにあるようです。
窓が大きく明るい建物ですが、これはもちろん電灯のない昔の建物だったからで、窓は直されている箇所も多いですが、昔を偲ばせます。最初は窓のガラスもフランスから持ち込んだものだそうで、一部現存しているようです。昔のガラスは平面性が悪いので、窓の向こうが少しゆがんで見えるのも、今となっては味わいのように感じられます。
窓越しに一枚写真を撮ってみましたが、ガラスのゆがみがお分かりいただけるでしょうか。
![富岡製糸場見学記(3)_f0030574_012242.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/30/74/f0030574_012242.jpg)
![富岡製糸場見学記(3)_f0030574_0181236.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/30/74/f0030574_0181236.jpg)
官営模範工場と比べると屋根も低く、万事安上がりになっている感じがしますね。しかし、昔の日本の工場としては、こちらの方がより「典型的」なものであったとは言えそうです。これら後から建てられた建物の外見を以下に示します。
![富岡製糸場見学記(3)_f0030574_0232530.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/30/74/f0030574_0232530.jpg)
なお、この学校の研究生が作ったという、当時の制服が展示されていたので早速写真に収めましたが、残念ながらガラスケースが映りこむという失敗をやってしまいました。何とか見えなくはないので、腕のなさを晒すことではありますが、以下にその写真を示します。
![富岡製糸場見学記(3)_f0030574_1392650.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/30/74/f0030574_1392650.jpg)
![富岡製糸場見学記(3)_f0030574_1393338.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/30/74/f0030574_1393338.jpg)
小生がこの写真を撮っていると、この一行の引率役である指導教官のS先生がニヤニヤしながら「やっぱ制服は撮るんだね」などと発言します。小生の制服趣味がゼミ中に知れ渡っているためですが、そも発覚のきっかけはS先生のゼミ中の発言にあったわけで・・・まあ、その話はいつか機会があれば。
この次は、ブリューナ館の地下室を見学したのですが、もういい加減長いのでこれ以降の話は明日にします。次回で完結予定。