碓氷峠の神話~阿羅本景/バーニア600『碓氷と彼女とロクサンの。』(ファミ通文庫)雑感
さて、更新再開第一弾は、このブログのメインコンテンツ?である鉄道関係のトピックで、書く方にも読む方にも柔らかそうなお題で行きたいと思います。
というわけでいきなりですがクイズです。
今からちょうど20年前、1997年の秋に廃止された日本の鉄道で、最急勾配66.7‰を持つ区間といえば?
そしてその区間で活躍し、廃止とともに引退した車輌といえば?
そんなの鉄道好きなら誰でも分かるよ、そもそもこの記事のタイトルでネタバレじゃないか―と皆様思われたでしょうが、こんな枕でお送りするのはこの本の感想文です。
阿羅本景/バーニア600
今からおよそ2年前に出版されたライトノベルです。タイトルと表紙の通り、群馬県と長野県の境の碓氷峠を信越本線が越えていた時代(1997年9月30日廃線、今年でちょうど20年)に活躍していたEF63形電気機関車が、主要キャラクター?となっている物語です。
そのあらすじを、公式サイトから引用してみましょう。
'97年9月30日。伝説のあの夜を知らない子供たちが、碓氷の歴史を作る――
「ここにあるロクサンを、私たち女子高生だけで運行して碓氷峠を走らせようって計画なんだ!」正式名称、碓氷観光開発コンソーシアム・女子学生鉄道プロジェクト。廃止された路線に、伝説の電気機関車を走らせるという壮大な計画に参加することになった僕、志賀 真。れっきとした男である僕がなぜこの活動に参加したかというと、鉄道に興味があるから――ではなく、地域貢献がしたかったから――でもなく、僕の前で楽しそうに鉄道の魅力を語る女の子、浅間夏綺がいたからだ。リーダーの明日香、広報の朱鷺音、機関士の夏綺、整備士のみすず。僕ら五人はこの伝説の地で、新たな歴史を作っていく――
もうちょっと詳しく述べると、松井田の高校に通う志賀真は、旧家の跡取りということをやかましく言う完璧超人の姉・葵の前に小さくなっていて、何がやりたいという夢もあんまりない高校生。そんな真くんも思うところあって横川鉄道文化むらでアルバイトを始めましたが、そこで出会ったのが「碓氷観光開発コンソーシアム・女子学生鉄道プロジェクト」こと「しぇるぱ部」(注:碓氷峠専用の補助機関車であるEF63には、「峠のシェルパ」の愛称がありました)の浅間夏綺。彼女の語る、ふたたび横川と軽井沢を鉄道で結び、EF63を走らせたいという夢に心打たれた真くんは、夏綺の夢の実現に協力するようになり、大手私鉄・観光グループのお嬢様である白鳥明日香、地元の有名駅弁(釜飯)屋の娘の萩野朱鷺音、明日香のお付で鉄道マニア(音鉄)で技術担当の丸池みすずといった面々と共に活動してゆくことになります。そして紆余曲折(女装)ありつつも二人の距離は縮まっていくのですが、そこで――
というわけで、小生は最近ライトノベルどころか小説なんてちっとも読みませんし、もとよりこういったものへの鑑賞眼が高いとも思いませんが、本作はとても丁寧に描かれた青春ストーリーといえるかと思います。何かを前向きに作り上げながら関係を深めていく、ヒーローとヒロインの関係に心が温かくなります。古典的ではありますが、その王道を堂々と歩んでいる、素敵な作品ですね。
その王道の中で、本作ならではの個性を醸し出しているのが、詳細な鉄道描写です。これは単に考証が行き届いているというだけではなく、それがうざったくならず品良く描写されているのが、素晴しいところです。本書の挿絵担当のバーニア600氏は、他にも鉄道関係のラノベの絵も担当されていて、大変ディープな鉄道マニアの方のようです。本書の企画もバーニア600氏の方が発起人だったようで、碓氷峠への氏の思い入れも相当なものと察せられます(そういえばEF63もバーニア制御だったっけか?)。それだけに考証は行き届いて正確だと思うのですが、ただあまりそれを前面に出すと、そこまで鉄道に思い入れのない読者を置いてきぼりにしてしまいます。
そこで特筆すべきが、文章を担当された阿羅本景先生の筆力です。阿羅本先生は、自転車ラノベ『止まらないで自転車乙女』を書かれたり、マンガ『ろんぐらいだぁす!』のノベライズも書かれているそうで、自転車はお好きなようですが、「あまり鉄道のことに詳しくなかった」(あとがきより)とのことです。しかしこの場合は、阿羅本先生が鉄道に詳しくなかったことがかえって、濃密な鉄道関係の情報を一般の読者にも消化しやすい形で盛り込めた一因ではないかと思います。といって、執筆者自身が消化しきれていなかったらそもそもお話にならないのですが、その辺はバーニア600氏の指導宜しきを得て、そして阿羅本先生のセンスのおかげで、大変にうまくいったように感じます。
ところで小生にとって、阿羅本景といえば「メイドの人」のイメージなのです。思えば当ブログが開設された十余年前は、「オタク」業界で「メイド」ブームが巻き起こっていた時代で、そもそも当ブログも「メイド」系の同人サークルの広報ついでに始めたはずでした。そんな「メイド」ブームが起こる以前から、この分野で活動されていた伝説的な同人サークル(厳密にはニフティの会議室の有志というべきか)「制服学部メイドさん学科」の主催者が、阿羅本先生だったわけでして。
左に掲げたのは同サークルの総集編同人誌『BEYOND the CENTURY』で、表紙は鏡塵=狂塵さんです。それにしても、左同人誌は2000年発行と時代の流れの速さに嘆息せざるを得ません。当時は「メイド」の歴史的側面にも着目した同人は少なかったもので、小生も大いに師と仰いだものでした。というか、歴史ネタで「メイド」の同人をするならば、如何に「制服学部メイドさん学科」とは異なった特色を打ち出すか、ということが課題だったわけです。
で、何でそんな昔話をしたかといいますと、阿羅本先生がそういった探究心を抱いた方だったからこそ、濃厚な鉄道ネタを上手に消化して作品を作れたのではないかと思った、ということです。小生が本書を手に取った理由の少なからぬ部分は、阿羅本先生のお名前でしたので、その期待がしっかり形になっていたことを、大変嬉しく思ったわけです。
ですので本作は、うるさ型のマニアを唸らせ、全くの素人の人にも新たな世界を見せられる、という素敵な作品だと思います。現実にあったことでも、知らない人にとっては異世界であり、別に転移しなくても異世界はそこここに見出すことができるのです。
また以前当ブログでは、「鉄道むすめ」のコミカライズを評しましたが、そこで正確に(おそらく写真を元に)描かれている車輌と、「萌え」美少女とがうまくあっていない、という懸念を述べました。その懸念も、本作では鉄道ものに定評あるバーニア600氏のおかげで、気にならないのは結構なことです。どちらかといえば、氏の絵は鉄道の方に重心があるようにも感じられますが、その辺は詳しい方のご意見も聞ければ幸いです。
そんなわけで、ざっと検索して見た限りですが、おおむね本作の評判はいいように感じられました。目に付いたネット上の感想をリンクしておきます。
・「碓氷と彼女とロクサンの。」阿羅本景 ファミ通文庫(本達は荒野に眠る)
・碓氷と彼女とロクサンの。 阿羅本景 ファミ通文庫(この世の全てはこともなし)
・『碓氷と彼女とロクサンの。』(にじみゅ~増刊号!)
・碓氷と彼女とロクサンの。【感想】(木彫のラノベチラ裏手記)
・碓氷と彼女とロクサンの。(ラノベ寸評-意見には個人差があります)
・碓氷と彼女とロクサンの。(千夏庵blog)
・碓氷と彼女とロクサンの。(シミルボン)
・読書メーター
・『碓氷と彼女とロクサンの。』(ファミ通文庫 阿羅本 景/バーニア600)インプレッション(togetter)
また作者の阿羅本先生のブログでも、本作についての裏話や関連情報がいろいろと掲載されています。
とまあ、小生は本作に大いに好印象を抱いたのですが、残念ながら発行から2年余を経ても、続巻が出るということはないようです(最近、ドラマCDが出たそうですが)。本作自体は綺麗にまとまっているとはいえ、「しぇるぱ部の野望はこれからだ!」というところで終わっているともいえるので、また作中に名前だけ出ていて如何にも続篇で登場しますよ、といった感じのキャラクターもいるので、続篇には期待したのですが、まことに残念です。それでは、なぜ本作への支持がおそらくいまいちであったか、そっちも考えて見ましょう。
小生が感じたこととしては、主人公の真くんとヒロインの夏綺や、しぇるぱ部の面々のキャラクターはいいのですが、真くんのお姉さんの葵さんのキャラクターがいまいちつかめず、弟に向かって日本刀を振り回すヤバい人、というイメージにとどまってしまっていたのが気になるところです。ただこれは、続篇で回収されるべきものだったのかもしれません。
もう一つ、本作の終盤の山場は、激しい風雨に襲われた碓氷峠での救援活動を描いていますが、やはりそれが愚作アニメ(ノベルの方は知りませんが・・・)『RAILWARS!』をホーフツとさせ、どうも強引な感を否めないところでしょうか。鉄道はその性格上、むしろ日常を地道に支えていくような存在であって、こういった「突発的な危機に立ち向かう」エピソードとの取り合わせは難しいのではないか、そんな感想も思い浮かびます。しぇるぱ部の、夏綺の夢は鉄道の復活にあるのですから、そっちによりフォーカスした方が良かったかもしれません。
また鉄道の性格といえば、地域との密着した(せざるを得ない)性格も考えられますが、これもいまいち出てこなかったかな、という気がします。ことに、ヒロインの夏綺の実家が温泉旅館だとか、朱鷺音先輩の実家が釜飯屋だとか、そういう設定がいまひとつ生かしきれていないかもしれません。そういや夏綺の実家の温泉旅館の名前が、口絵のキャラクター紹介と本文105ページとで一致してませんね(左の図は口絵の一部、文章は105ページの一部)。
釜飯の方は、朱鷺音先輩が情熱をこめて作り上げた釜めしのゆるキャラ・かまめっしーが本文中の随所に出て来はするのですが、何と一枚もかまめっしーのイラストがないのです! これは本作の重大な欠陥と申し上げずばなりますまい。イラスト自体は半公式同人誌に載っていましたので、設定はあったのですが・・・朱鷺音先輩の情熱を編集部はふみにじるつもりか!?
「一枚でも多く車輌の絵を描きたい」バーニア600氏と、「一枚でも多く女の子の絵を載せたい」編集部の折衝の結果、かまめっしーははじかれた・・・というのかなあと下司の勘繰りをしますが、ともあれ残念なことです。とはいえこの辺も、続篇が出れば解決したのかなとは思います。
しばらく前に面白いラノベ・アニメの評論を読みまして、「なぜラノベ原作ヒロインは3分以内に脱ぐのか」(本しゃぶり)というのですが、端的に言えば「萌豚」と呼ばれうるライトノベルの主要消費層は、さっさとヒロインを脱がせて「メインヒロイン」であることを確定させないと逃げてしまう、らしいのです。アニメなら3分以内で脱ぐのがあるべき?姿で、原作ラノベじゃ1ページ目なんだそうです。
その点、『碓氷と彼女とロクサンの。』は、夏綺が温泉で脱ぐまで163ページも使ってしまっているので、ネットに感想を書くほどアクティヴでない多くの読者層にはまどろっこしかったのかもしれません。でも、そうやって着実に主人公とヒロインの関係が深まっていくところが、本作の一番読んでいて楽しいところと小生は思いますので、そもそも良さが今の時代に受けないものであった・・・とするならば、それは何だか悲しいことですね。
本作を買ったら、ファミ通文庫の近作をまとめた大判のチラシが折り込まれてついてきましたが、それを見るとやはり異世界とか魔法みたいのとかがモチーフの作品がほとんどのようで、夢を見るのに異世界や異能がないと難しいのか、まさにいまここで夢を見ている『碓氷と彼女とロクサンの。』が浮いているように感じました。そんな時代だからこそ、いまここで夢を見ている夏綺に憧れ魅せられていく真くんに共感を得られるのですが・・・。
やっぱあれかなあ、夏綺が153ページで「おなしゃす! おなしゃす!」とか、いわゆる「淫夢語」をしゃべってるのが政治的に正しくないということで、続篇が出なかったとか・・・。
前にもネタにしましたが、鉄道ネタで広く「オタク」に受けそうなエンタテインメントをするなら、19世紀末のアメリカ大陸横断鉄道を舞台にすればと思うのです。銃撃戦は日常茶飯事、列車強盗が横行する一方で暗躍するピンカートン探偵社、職業婦人の電信士と結婚までの腰掛就職のハーヴェイ・ガールズ。ネタは揃っています。当時の機関車もアメリカの博物館で結構残っているようですし。
ちなみにアメリカ(のような世界)を舞台としたライトノベル作品として、左に書影を挙げた伊佐良紫築『うみまち鉄道運行記 サンミア市のやさしい鉄道員たち』(富士見L文庫)があります。アメリカの鉄道、それもインターアーバン(厳密には、モデルになったキーシステムは郊外電車というべきかも知れませんが)を題材としています。これもなかなか素敵な作品なので、機会があれば感想を書きたいと思っています。
まあ、「萌えミリ」の惨状を思えば、鉄道を題材にしたアニメやラノベが少ないことは、嘆く必要もないのかもしれませんが…。
話を戻しまして。ここまで小説に即した話をしてきましたが、最後に鉄道と文化の関係という観点から、『碓氷と彼女とロクサンと。』について感じたことを述べて、締めくくりとしたいと思います。
本作では、碓氷峠の路線やEF63、廃止の騒動などを指して「伝説」という言葉が多用されます。記事冒頭に掲げた本書の帯からして、「'97年9月30日。あの伝説の夜を知らない子供たちが、碓氷の歴史を作る――。」という煽り文句が入っていますし、本文中でも何箇所も見つけることができます。例えば21ページから22ページにかけては、
「ここで『伝説の横軽」とまで呼ばれた、この碓氷峠の線路を復活運行させて、温泉のある熊ノ平まで往年の機関車に牽かれた列車に乗っていく、それが一番お客さんを呼べるネタになる! って案が出てきたわけね」というやりとりがありますし、169
「伝説の・・・・・・ってなにか、すごい肩書きがついているんだけど?」
「そりゃもう、すごかったらしいよ、碓氷峠の路線が廃止になった九七年九月の夜は」
女子学生が、日本鉄道史の伝説の地とも言うべき碓氷峠で鉄道再開を試みる奇想天外なプロジェクト。という一節があります。 なんですけど、この「伝説」って何なんだろう、と小生は考えてしまうのです。果たして廃止の際のバカ騒ぎは、そもそも碓氷峠という鉄道は、「伝説」と称揚されるべきものなのでしょうか?
著名な鉄道雑誌の一つ『鉄道ジャーナル』の創刊者で、長年編集長を務めた竹島紀元氏は、碓氷峠廃止・長野新幹線開業にあたる同誌1997年11月号の、巻末の編集長から一筆コーナーを普段の倍の1ページまるまるに拡大して、碓氷峠廃止をめぐる騒動についての思いを記しています。著作権法上の問題は承知しておりますが、竹島氏もすでに故人であること、部分的に引用したのでは意を満たせないことから、以下に敢えて全文を掲載します。この画像はクリックすると若干拡大表示します。
竹島編集長の批判は、どちらかといえばメディアの姿勢へのものが中心ですが、いみじくも『鉄道ジャーナル』編集部へ読者から碓氷の企画を要望する声が寄せられていたように、「伝説」はメディアが一方的にこしらえるものとは言いがたいでしょう。前提として、受け手の願望があるからこそ、メディアが動いて「伝説」が作られるのであり、送り手と受け手は共犯関係にあるとみるべきです。
なお全く余談ですが、この竹島編集長の心情が吐露された『鉄道ジャーナル』1997年11月号には、ハンガリーの子供鉄道の探訪記が掲載されています(子供鉄道のことは本作にもちょっと触れられていましたね)。制服に身を固めた少女が切符を切っている写真なんかがあり、まさにリアル「しぇるぱ部」ですが、これはもともと共産圏で、有事の際鉄道員が出征した穴を子供で埋めて国内輸送を維持しようという、総力戦体制的発想の極みのようなものでした。この記事時点では冷戦後とてキッザニアみたいになっていたようですが。
さらに本作では、碓氷峠を日本の鉄道の「伝説」のように語っていますが、果たしてそれもまた適切なのでしょうか。
原田勝正『日本鉄道史 技術と人間』(刀水書房)の第2章では、碓氷峠区間建設の経緯を鉄道システムの形成の視点から追っています。同書では、碓氷峠の鉄道にインクラインから何重ものループ線を駆使した迂回線まで、さまざまな構想があったことを示した上で、輸送量の面で弱体なものの建設費が安いアプト式が採用されたとします。その背景には、日清戦争が迫る国際情勢から早急な完成が求められたため、日本横断線という重要な路線でありながら「安く早く」が重要視されて、アプト式で66.7‰を越えるという選択がなされたと指摘します。
橋本克彦『日本鉄道物語』は、碓氷峠区間の測量に当たった技師・本間英一郎の「あと二百万円、政府が金をだせば、こんなに苦労な線路はできなかったよ」という言葉を引いています。原田著によれば横川~軽井沢間11.3キロの建設費はほぼ200万円(キロ当あたり約17万6千円)ですので、半分にケチったことなります。もし緩勾配の迂回線を建設した場合、距離は約28.6キロと2.6倍になり、トンネルや橋梁は更に増えて単価も上昇します。同書76ページには、528万円、705万円、956万円と各種の試算が挙げられていますが、手間のかかるアプト式(1931年の時点で、保守費用が一般線のキロ当たり2800円に対し、7700円もかかったそうです)は距離が短い分、建設費や工期では迂回線より有利ではあったようです。
というわけで、欧州でアプト式を見た技術者が新しいものに飛びつき、それを打診されたお雇い外国人のシャーヴィントンも、アンデス山脈越えの路線にアプト式が採用されるという話を引き合いに、碓氷のアプト式を承認してしまいます。ところがそのアンデス越え路線たるや、平野部の路線とそもそも軌間からして違い、乗換・積換必須という代物だったのでした。果たしてこれは、妥当な選択だったのでしょうか? 原田先生はこのように論じます。
それにしても、シャーヴィントンは異軌間接続という条件の山岳線をどのような見通しに立って推薦したのか。彼にはこの本州横断線の将来像を描くことがなかったのか。そしてそれを受け入れた日本の建設計画当事者は、このシャーヴィントンの推薦を検討することがなかったのか。建設費と工期に迫られて、将来への見通しを考慮に入れる余裕がなかったのか。このことは技術導入のさいの基本的な姿勢や主体的な方針の立て方についての問題を提起している。それが開通後の100年間どのような問題をもたらしたか、そして100年後にどのような結末をもたらしたかという結果から見ると、そのときの選択のあり方は多くの問題をはらんでいたということになる。100年を越す間に、線路を守り、列車を運行させてきた人びとの労苦は、他線区にくらべべて、はるかに大きいものがあった。(中略)碓氷峠の「伝説」なるものは、実のところ鉄道システム全体の合理性を、「早く安く」という目先の理由で犠牲にした、失敗例だったのではないでしょうか。そして、戦後の日本国有鉄道も、抜本的な投資と改良を行わず(そりゃあ他にも新幹線はじめ投資が必要な場所は目白押しでしたが)、66.7‰の急勾配を残すという中途半端な改良にとどめてしまったことが、この区間の非命につながったのではないでしょうか。EF63は、最初からいわば非合理性を帯びた存在だったのではないでしょうか。
そうした人びとの犠牲や労苦の上に、この路線はつくられ、運営されてきた。この線がもしもより合理的な立場からルートが選ばれていたら、それらの人びとの犠牲や労苦は、あるいは軽減されていたかも知れないし、路線自体が生き残る可能性も大きいものがあったかも知れない。(pp.80-81)
それを踏まえたうえで、碓氷峠を見つめなおすというのは意味があろうことかと思います。しかし、そのような失敗の側面を捨象して、碓氷峠の鉄道史を「伝説」と祭り上げることには、小生は強い疑問を感じます。これはシステムの根本的な失敗を、現場にしわ寄せして何とか乗り切った百年間ともいえるのであり、それを「伝説」と神話化することで根本的な失敗を見逃すことは、鉄道というシステムへの理解を誤らせるものです。いささか極論ではありますが、現今の日本での閉塞感もまた、さまざまなシステムが時代と合わなくなっているのを、「現場」にしわ寄せしていることが一因ではないでしょうか。そういったその場しのぎの解決を積み重ね続けてきた結果が、この現状のどこか疲弊した空気をもたらす要因の一つではないでしょうか。
ライトノベルのような娯楽分野は、むしろテンプレートな「お約束」を、如何に手を変え品を変え消費させるかというところが醍醐味なのかもしれません。であれば、鉄道の変わったポイントである碓氷峠を、「伝説」と祭り上げた方が話は簡単だったように思われたのかもしれません。ですが、碓氷峠はそんな単純なものじゃなかったのです。本論では政治的側面まで触れる余裕はありませんでしたが、碓氷峠の孕む物語は「難所に挑んだ勇敢な鉄道員」という平板なものではなかったはずです。それを「伝説」と神話化することは、碓氷峠の持つ物語を、単純で平板なものにしてしまったといえるかもしれません。
で、その平板化が物語の根本的弱さとなって、続篇が出なかった…というまとめ方もまた単純化の弊を免れますまい。むしろ先に紹介したブログのように、ラノベ読者の飽きっぽさを考えれば、「伝説」と平板化することなしにはむしろ受け入れられなかったとすら考えられます。では、これだけ平板化してもなお、話がややこしすぎた――ということなのでしょうか。ラノベに門外漢の小生には分かりかねますが、そうであるならば、むしろ碓氷峠の孕んでいる悲喜交々、賢明さと愚かさの同居した豊かな物語を、改めて今後も――碓氷峠鉄道文化むらにでも足を運んで――味わっていきたいと思うばかりです。
最後に、枕のクイズ「今からちょうど20年前、1997年の秋に廃止された日本の鉄道で、最急勾配66.7‰を持つ区間といえば? そしてその区間で活躍し、廃止とともに引退した車輌といえば?」の解説をしておきましょう。
もちろん答えの一つは、碓氷峠(信越本線横川~軽井沢間)とEF63形電気機関車です。しかし、「9月30日」と日付を区切らず、「1997年の秋」としてあるところがポイントで、すると答えはもう一つあるのです。
京津線の最急勾配区間は碓氷峠と同じ66.7‰あり、しかも併用軌道区間でした。電車は勾配に強いもので、貨物列車や客車列車も想定する必要があった碓氷峠より条件は緩かったとはいえ、自動車とともに急勾配を走るのには苦労もあったでしょう。また80形電車は1961年登場と、1963年登場のEF63とほぼ同世代でした。諸条件から敢えてやや旧式の吊掛駆動を採用したため、急勾配では吊掛モーター特有の音を立てて、これはこれで音にも味わいがあったと思います。車体は丸みを帯びて愛らしく、今見ても古さを感じませんが、登場当時はなんとポール集電でした。それがパンタグラフになり、しまいには冷房まで積んで、地下化の日までがんばったのでした。
今でも京津線の残存区間は、大津市内で路面を走行しています。このように、市街地では路面を走行し、郊外では専用軌道を走る、というのは、19世紀末から20世紀初頭にアメリカで流行したインターアーバン(都市間連絡電車)の常套手段でした。日本の電鉄会社の多くも、範をアメリカのインターアーバンに仰いでいます。
ところがこの方式は、自動車が増えると市街地での走行が難しくなり、定時運行ができなくなってしまいます。こうして一時は2万5千キロを数えたアメリカのインターアーバンは、1930年代にはほとんどなくなってしまいました。創業当初は合理的だったシステムが時代の変化についていけなかったのです。ところが日本の大手私鉄は、戦前にほとんどの路面区間を専用軌道化したため、今日でも繫栄しています。最後まで原型を残していた一つが京津線でしたが、それが地下鉄にアップグレードすることで、システムの更新を成し遂げたのです(まあ、ここの地下化にはまた別の問題があるのですが)。
ちなみに京津線には今でも、61‰の急勾配が残っています。地下鉄を抜けたら急勾配で峠を越え、大津の街中では路面を走る――今でも変化に富んだ面白い路線ではあります(経営状況は、その…)。
とまあ、鉄道の66.7‰の廃線区間といっても、いろいろあるのです。そこを自明のように、急勾配といえば碓氷峠、みたいにありきたりな「伝説」に回収してしまうのは、ちょっともったいなくないか、という気もするのです(まあ小生が、少数派の電鉄業史にはまっているというだけのことですが)。
長々語ってまいりましたが、鉄道の持つ物語性は豊かなものであり、しかし劇的ではないがゆえに、エンタテインメントにすることが難しいのかもしれないと、全体をまとめて終わりにします。本作は、その難題に果敢に挑んだ作品として、後世に伝えられるべき試みと思います。