変わりゆく神保町~さらば「天丼いもや」「とんかついもや」そして
「天丼 いもや」の張り紙もこれと全く同じ
当ブログは長年様々な話題を提供して参りましたが(最近は更新が停滞してますが…)、その中で長年安定して来訪者がある記事はといいますと、やはり神保町の「神田天丼家」(旧「天丼いもや」)の移転を扱った記事なのです。また、神保町を怒涛のように駆け抜けてどっかへ行ってしまった「天ぷら革命 ふじ好」関係の記事も、安定したアクセスをいただいているようです。 そして、今月に入ってまたも、これら神保町関係の記事――さらに古いものでは「天丼 いもや」が「神田天丼家」に改称した際のものがあります――へのアクセスが増加しているようです。とはすなわち、神保町の諸店をとりまく状況が変わろうとしているということなのです。それも、大変残念な方向に。
神保町と天丼・天ぷらに関する記事を、如上のようにはしなくも複数執筆した当ブログですが、そもそも神保町で天丼だの天ぷらだのの話が出てくるのは、神保町を中心に「いもや」という、安くてうまいお店がたくさんあったからでした。「いもや」はいわゆるチェーン店とは異なると思いますが、同じ屋号で同じコンセプトのお店の連合体?のようなもので、長年神保町の名物でした。天ぷら・天丼・とんかつの三種類があり、最盛期には神保町を中心にそれぞれ3~4軒くらいがあったようです。
小生が神保町の「いもや」通いを始めたのは、せいぜいここ十数年くらいですが、その頃には最盛期を過ぎてやや店舗数が減少していました。そして、お茶の水小学校附近にあった「いもや」の天丼・天ぷら・とんかつの三店セットについて、天ぷらととんかつが閉店し、天丼が「神田天丼家」に改称したのは当ブログで十年近く前にお伝えしましたし、さらに6年半前に報じた通り、「神田天丼家」は今は亡き「天ぷら革命 ふじ好」の隣に移転しました。
こうして「いもや」グループが減少する中で、神保町から白山通りを少し北上したあたりには、天丼・天ぷら・とんかつの「いもや」三軒がずっと一群となって営業しており、いつも変わらず繁盛しておりました。それは神保町のあたりまえの風景として、ずっと続いていたのですが…。
この2月、「天丼 いもや」「とんかつ いもや」の、3月末の閉店が報じられたのです。
さすがに小生も驚愕し、そして残念に感じたのは言うまでもありません。しかし、長期的なグループの衰退傾向からすれば、それは遠からず来るべきことだったのでしょうか…。
実は小生は、これまでの記事にも書いたとおり、「いもや」系では「神田天丼家」の天丼が一番好きだったもので、「いもや」の名前のままの店にはそれほど通ってはいませんでした。ですがこう聞いては落ち着いてはいられません。何とか用事で近くに出かけた折に、強引に足を延ばしてきました。
昼時でしたので、「天丼 いもや」はいつものように行列でした。しかし、普段よりは列が長いようです。そして一見変わらない、シンプル・イズ・ベストな店の佇まいですが、やはり閉店の告知が、記事冒頭のようにつつましく掲げられていたのです。
「いもや」は1959年の開業だったんですね。残念ながら60周年は迎えられませんでしたが、有為変転の激しい飲食業界で、(おそらくは)スタイルを大きく変えぬままこれだけ続いたことには、敬意を表します。
行列していても回転の速い「いもや」のこと、程なく席につけて天丼をいただきます。「神田天丼家」と種は同じですが、たれが一般的な天つゆをかけるスタイルなのが「天丼いもや」です。味噌汁がしじみなのも違っています。どちらかといえば「神田天丼家」の辛いつゆが好みの小生ですが、この天丼もこれはこれでおいしいことには変わりありません。一箸一箸、別れを惜しんでいただきます。
また別の日には、「とんかつ いもや」を訪れました。小生は神保町に来ると、どうしても天丼を優先してしまいがちで、とんかつにはあまり来たことがありませんでした。わずかとはいえ、天丼や天ぷら定食よりも値段が高かったことが、貧乏書生の選好を左右していたのです。しかし、これは比較対象が悪いのであって、世間一般のとんかつと比べれば、驚くべきコストパフォーマンスなのです。
こちらもまた、閉店を惜しんでの長い行列ができていましたが、やはり高い回転でたちまちお客をさばいていきます。そして列の長さからすると案外に短い時間で席につけ、間なしにとんかつ定食が出てきました。
とんかつ・キャベツ・ご飯・味噌汁と、店構えだけでなく定食の内容もシンプル・イズ・ベストです。しかしシンプルなものほどその真価が問われます。揚げたてのとんかつは、肉と脂身のバランスも良く、ソースなしでも十分なほどうまく仕上がっています。実のところソースという調味料があまり好みではない小生(とんかつに足が向きにくかった一因)にとっても、大いに満足できるお味でした。細かく刻まれたキャベツもシャキシャキとかつの脂をよく中和します。ご飯と味噌汁は他の「いもや」同様で、つまりこれも文句のない品。ほどよい硬さのご飯としじみの風味が、食を進めます。これも別れを惜しんでじっくり…のつもりが、旨さのあまり気づいたら食べ終わっていました。
これだけの安くてうまくて早くて盛のいい店が無くなることは残念でなりません。せめて、残る「天ぷら いもや」と、「神田天丼家」の長命を祈るばかり…って、「天ぷら いもや」は存続するとネットの情報にはあったのですが、天丼ととんかつの惜別に行ったついでに店の様子を見に行ったら、ずっと閉店しています。特に告知とかもありませんでしたが、これからどうなるのか、気になります。
そしてこの「いもや」集中地域には、その名をとどろかせていたお店が他にもありましたが、これもまた時代の流れですでに閉店しています。「半ちゃんラーメン」の元祖として名高い「さぶちゃん」です。
閉店は昨年11月のことでしたが、店主のお歳から閉店に至ったようです。ネットの記事では、高齢化に加え、ラーメン+炒飯という糖質てんこもりのメニューが時代に合わなくなってきつつあるのでは、と評していたものもありますが、何でもかんでも「健康第一」というのもどこか索漠とした話ではあります。
店主一人の「さぶちゃん」と比べると、「いもや」は何人も店の人がいて、中には比較的若い方もおられます。閉店の理由は高齢化ではないようにも思われるのですが、どうなのでしょう。
さて、神保町といえば、バラエティ豊かな書店とB級グルメで知られた街ですが、店の変転はもちろん飲食店ばかりにとどまりません。書店の近年の動きでは、何といっても書泉ブックマート閉店という大きな変動があり、ボードゲーマでもあった小生も衝撃を受けました。出版不況の影響は神保町といえど免れるものではありません。
そんな神保町の書店では、昨年に一つのお店が閉まっていました。すずらん通りの西の方にあった新刊書店・すずらん堂書店です。それほど有名なお店ではなかったかもしれませんが、サブカル方面の品揃えがよく、殊にエロマンガに関しては神保町一!?だったかも知れません。ミリタリー関係も割と強く、エロとミリの距離の近さを伺わせるお店でしたが、そんな同店もエロとミリの間に無理やり売れ線本をねじ込んでいて、そこに呉座勇一『応仁の乱』を見つけた時には、ブームもここまで来たかと苦笑しました。
とまあ、個人的には駕籠真太郎先生のマンガなどをここで買っていた、思い出の深いお店だったのですが、去年9月に閉店していたそうです。全く前触れなどがなくて、驚き悲しい出来事でした。神保町の新刊書店ではコミック高岡もありますが、同店はちと手狭なので、すずらん堂の広さは魅力だったのですが…。もっともすずらん堂も、以前は2階もやっていたのに、近年は1階のみでの営業になっていたところから、前触れを察するべきだったのかもしれません。
そんなわけで、小生は「いもや」参りのついでに、すずらん堂の跡地を見に行きました。
どうも飲食店が入るようです。やはり神保町といえど、書店をこれから新たに開くのは、難しい時代となっているのですね。
そして神保町の書店といえば、最近世間の耳目を騒がせた、この店の話をしないわけにはいきません。
去る2月下旬、神保町の湘南堂書店(すずらん堂の並びにあります)が、いわゆる「児童ポルノ」を扱っていたとして、店主と店員が逮捕されたという事件です。
小生は神保町で「児童ポルノ」を扱った店が摘発されたと聞いて、もしかして湘南堂?とすぐ思いました。この店は中が二つに分かれていて、一方は各種エロものを取り揃えており、小生もここでナヲコ先生の作品が掲載された白夜書房時代のアンソロジーなぞ買ったものでした。もう一方は歴史系など真面目な本で埋められていて(報道によると湘南堂はもともと日本史の本を中心としていたそうですが、小生が神保町通いを始めた前世紀末にはすでに湘南堂は「二部構成」だったと記憶しています)、その取り合わせが面白い店でした。
あまりこういうことを書くべきではないのかもしれませんが、同時代史的証言として敢えて書いておくと、湘南堂は所謂「児童ポルノ」取締法ができる前からその手の本を扱っていて、法ができてもあまり変わらなかったような印象があります。といっても、もともとこの手の本はエロ分野の中でもマイナーでしたので、ひっそりと置かれている状態がずっと続いていただけ、という感じではありましたが。
小生の記憶では、かの清岡純子女史による写真集が置かれていたと思いますが、それもより古い『プチトマト』ではなく、一度女史が摘発されたのちの(当時の)合法路線の『フレッシュ!プチトマト』だけであったように思います。その他、その手の写真集が何冊かあって、喧嘩を売るような値段がついていたのは覚えています。電車や飛行機や軍艦の写真集は大好きでも、女の子の写真集には興味がない――北杜夫いわく「ハダカの女の子の写真も 単にサクバクたる眺めにすぎない。こうノッペラボウであるのより、やはりトサカがついていたり翅が生えていたりもっと節があったりしたほうが趣きがあると思う」(どくとるマンボウ航海記)――小生は、値段を見て興じるばかりでしたが。
なお他には、かつて当ブログでネタにしたこともある、ロリコン誌『Alice Club』を置いていました。あと『小説アリス』ってのもあったと思いますが、これは小説だから別に違法ではないのかな。
湘南堂が捕まったのは、「匿名の通報」があったためと報じられています。小生はこれを聞いて奇妙に思いました。湘南堂がこの手の本を置いているのは、多分ここ十数年間ずっとのことです。警察が全く知らなかったとは信じがたいことです。小生は、「児童ポルノ」取締の本丸であり社会的な問題も大きいのは、今デジタルで画像を作って売っている徒輩であって、今の児童の人権擁護という根本的法益からすれば、過去の残り物を売っているのは問題として優先度が低く、実質的には取り締まっていないのかと思っていました。それが今回こういった事態に至ったのは、警察の取締方針が変わったのか、今後の状況を注意深く見守っていきたいと思います。
小生が事件から一月近く経って神保町を訪れた際には、上に掲げた写真のように、湘南堂はひっそりと閉まっていました。同店がこのまま消滅するのか、あるいは復活できるのか、これも今後を見ていこうと思います。古書店組合から追放されていたとなると、復活はなかなか大変そうですが…。
湘南堂書店の事件に関しては、報道のほか以下のような評論記事を目にしました。
どちらの記事も率直なところ、あまり踏み込んだ印象ではない感を受けます。特に上の記事は、当ブログでも過去に著作を書評したことのある、昼間たかし氏の稿ですが、氏にしては内容が雑然として踏み込みたくないような感じだし、第一『Alice Club』のカタカナ表記に「・」は入らない筈とツイッターで評しました。すると、ありがたくも昼間氏から直接返信をいただけました。以下に引用します。
素で間違えました。忘れて下さい。あと、もう児童ポルノとか表現の自由の問題とか、飽きてるのが文章に出てしまったか。猛省。
— 昼間たかし (@quadrumviro) 2018年3月3日
小生の読みはそれほど頓珍漢でもなかったようで、またここで昼間氏が挙げられている「出版ニュース」掲載の文章には、小生も深く感じ入るところがあり、かつて当ブログで何度も扱った「表現の自由とオタク」というテーマに関しては、いつかまとめたいという思いもあります。神保町の行方ともども、これも近いうちに形にする所存です。昨年「出版ニュース」にも書いたわけですが「御用ライター」なんてものには、堕ちたくないし、そういう面では、この問題は飽きたのです。法改正の問題の頃の紙資料とかそろそろ、有効活用してくれる人に譲渡しようかと。https://t.co/fStlNuK75p
— 昼間たかし (@quadrumviro) 2018年3月3日
本とB級グルメのワンダーランドとして、神保町を中心とした神田周辺は長い伝統を誇っています。明治時代に数多くの学校が立地し、今も明治大学や日本大学や専修大学や駿台予備校などがあります。「いもや」もまたその伝統の一角を担う存在だったといえるでしょう。それが消えることは悲しい限りですが、「伝統」とは古い姿を墨守することではなく、移り変わりつつも受け継がれているエートスなのだ、と考えて、また小生は神保町へ通うことでしょう。
まずは残り少ない日々、一度でも多く「いもや」を味わいたいと願っています。