「前途に如何なる運命が待ち受けていようとも」
8月になりますと、マスコミなどで戦争が話題に上ることが多くなります。やはり8月という季節柄でしょうね。バーバラ・タックマンの本の表題を借りれば『八月の砲声』というくらいですから。
というわけで、8月といえば第1次大戦開戦ですよね。・・・違う?
8月4日は、ドイツ軍がベルギーに侵入した日で、これを直接のきっかけにイギリスも対独参戦するのですが、この日ドイツ本国の議会では満場一致で戦時軍事費が可決され、その際宰相ベートマン=ホルヴェークは次のように言ったと伝えられます。
「前途に如何なる運命が待ち受けていようとも、この日1914年8月4日は、ドイツ国家にとってもっとも重要な日の一つとして永久に記憶されるだろう!」
ドイツでは、今日は何か記念式典をしたのでしょうか。
ところで、英国のグレイ外相があの名言、
「ヨーロッパ中の明かりが今消えてゆく。生きているうちにこの明かりが再び灯るのを見ることは、決してないだろう」
を発したのは8月4日だとばかり小生は思っていましたが、さっき調べたら3日のことでした。一つの時代が終わろうとする時の台詞としてこれ以上のものはないと常々思っていたので、何がしか記念したいと思っていたのですが、あえなく失敗。まあ、8月3日夕刻ということは、日本時間なら8月4日朝になりはしますが・・・。

「ヨーロッパ中の明かりが〜」
「(何か)」
「結局、彼は生きているうちに明かりが再び灯るのを見る事はなかったと言えるだろう」
の(何か)の部分に入る台詞を妄想しました。彼が生きているうちに再び灯らなかった「明かり」とは何かを妄想するのは中学生の悪い癖ですか。
これは難しい問ですね。そもそもヨーロッパに「明かり」は灯っていたのか、その「明かり」が灯っていたとしてそれは誰を照らしていたのか、それを妄想することは「中学生の悪い癖」ではありますまい。
それはともかく、(何か)に入る言葉のコンテストとかできれば楽しそうですね。ファルケンハインなら「砲火に勝る明かりがあるだろうか」とか言いそうですけど。