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日赤ポスター問題をめぐる往復書簡(5:儀狄氏発信)

 本記事は、

への、儀狄氏の返信です。この往復書簡の経緯については、まとめ記事をご参照ください。



==========<以下儀狄氏のメール>==========

2019-12-01 12:11 発信

 少なくとも一番上の点には答えてからにしていただきたく。

【自由】 
自由とは人権の擁護のためにあるのであって、自由によって人権が抑圧されるのは本末転倒です。
 自由とは参政権や社会権などと並んで人権の根幹をなすものです。『ある人の自由権が他者の人権の制約となっている』時に公共の福祉に基づく調整がなされることこそあれ、自由をそこまで軽視して良いとは微塵も思いません。

【ヘイト】
 これにははっきり異論を唱えます。百田の側は明らかに、特定の民族への差別や偏見を煽動するヘイトスピーチであり、公共の空間に出して良いものではありません。糞味噌を一緒にして、それで「公平」であるかのように振舞うのは、卑怯です。
 そこで議論による調整が必要になるわけです。裸婦像やコロンブス像は議論して置くなり片付けるなり、どっちもあるでしょう。でもヘイトスピーチは、その議論の前提自体を破壊するものです。
 私は議論を破壊するものはあくまでもヘイトスピーチなどによって扇動される有形力であり、ヘイトスピーチそのものではないと考えます。
 そして、有形力によって発言を制約するというのはあくまでも最後の手段であるべきで、『明白かつ現在の脅威がある場合』にのみ制約が認められるとする米国司法の判断を私は支持するものです。そして、現在の日本の状況は、1933年頃のドイツや1985年頃のユーゴスラビアや1992年頃のルワンダほど深刻なものではなく、まだ有形力による排除を必要とする段階ではないと考えます。その『明白かつ現在の脅威』がどの程度かというのは分かりませんが、少なくとも『共産主義は内ゲバによる殺人や粛清を生み出す危険がある。歴史的に実例は多数あるではないか』という以上には明確であることを必要とすると確信します。

【そっちこそどうなんだ】
 別に、都合のいいキャラクターであること自体が悪いわけではありません。ただ、そういうものだということを読者が十分認識しているかが問題です。もっともこの論点はあまり本筋ではないので、特に深入りしません。
 ただ、選択的批難といいますが、それこそ私から見ればそれは、whataboutism 的なあげつらいにしか見えません。他にも同様の問題を抱えている文化はあるでしょう、ですがそっちを先にしないで「オタク」を先にするのはけしからん、というのは、典型的な詭弁ではないでしょうか。これは本筋から外れますが、挙げておられる比喩も不適切です。
 『(前略)在日朝鮮人が呼吸した際に吐く息に含まれる二酸化炭素は温暖化ガスである!』のこの部分は事実ではありますがそれでも正当な批判たり得ないのは、『在日朝鮮人に限らず、ホモ・サピエンスであれば誰であっても呼吸によって二酸化炭素を排出している』からであり、そのことを指摘するのは明らかにwhataboutismではありません。
 同様に、都合のいいキャラクターを描いていること、受け手がそれを認識しているかという問題は、小説、絵画、映画など『人間』を描く文化ならば凡そ当てはまることであると私は考えています。なのでそこを批判するのは正直なところ(風景画、陶芸などを除いた)過半数の創作を否定する文化大革命でもやりたいのかと思ってしまいます。

【ポスター問題はフェミの攻撃が発端であるか】
 まず、私は問題のあるポスターであると一切全く認識していないので「赤十字が発端」論には同意しません。
 ともかくとして。まず時系列としては

  最初、日赤がコラボして
  ↓
  UnseenJapanという外国人がそれを問題視するツイートをして
  ↓
  太田啓子がUnseenJapan氏の意見を取り上げてツイートし、それがきっかけで大論争になった

 という順序であるというのが客観的事実です。
 さらに詳細を述べるなら、このUnseenJapan氏のツイートが私が前回掲載したまとめ(https://togetter.com/li/1417316)ですが、UnseenJapan氏はあくまで『TPOに合っていないのではないか』と主張するに留まっています。それは個人の意見として尊重されるべきものです(もちろん反論はされます)。
 問題はそこから先で、太田啓子はこのUnseenJapan氏のツイートを引用して『環境型セクハラしているようなもの』と発言しています。(https://togetter.com/li/1417986)
 これは彼女が弁護士であることを含めると『環境型セクハラ』という法律上の問題があるかのように誤認させる可能性があるものであり、なおかつ“ようなもの”という表現で「法律上問題があると断定はしていない」と言い逃れを狙った卑劣な行為のように私には見えました。

【実在の女性表現への影響】
 この部分は意味を解しかねます。三次元で許されるが二次元では許されない、という表現は私もとっさには思いつきませんが、それが「となると」以降につながる論理が分かりません。
 二次元特有の胸の強調表現をやったら、場にそぐわないやりすぎだったので問題だと指摘された、それだけのことで、どうしてそこで実際の女性を宣伝に使うことを引き合いに出す必要があるのですか。
 結局のところ『三次元で許されるが二次元では許されない』表現がおそらく存在しない以上、『では公共の場に掲示するポスターに巨乳の女性を起用する際、どのような衣装・ポーズならばOKでどこからがNGになるか』を考える際、宇崎ちゃんも一つの先例になるでしょう。それは二次元だけでなく、たとえば『だっちゅーの』ポーズで話題になったパイレーツを(20年ほど前ですが覚えてますかね?)起用してだっちゅーのさせるのはOKか、などを判断する際にも参考にされるだろうと考えます。例が古いのはさておいて。
 そしてそこで基準を厳しく取りすぎると、実在の女性の衣装・ポーズにも過度な制約が生じてしまうことを私は危惧しています。

【過度に性的】
 結局のところ墨公委さんの主張は「乳袋は過度に性的である。なぜならばエロゲに由来する表現だからだ」となると考えますが、それは結局のところ『乳袋=エロゲ由来』という文脈を知っているから出てくる発想に見えます。その文脈を知らない人にはあくまであの一枚の絵だけで判断されるものであり、そして一般的な人は興味のない絵をそこまでじっくり見ません。
 たとえばぱっと見て「乳首出てるぞ」とか「谷間見えてるぞ」は少し見ただけでも気づくでしょう。ですが、あの絵をちょっと見ただけで「あれ、これ胸のところの服どうなってるんだ?」とまで気づくかというと気づかないと思います。

【乳袋】
 『乳袋がエロゲから出てきた表現である』という点は同意する私ですが、『エロゲのおかしな制服』スレで乳袋という名称を見る(2005年頃だったと思う)まで、『君が望む永遠』の制服に違和感を持ちませんでした(当時の私がシナリオ厨だったせいもありますが)。
 『里山』の問題は名前がついたことで話題になったなどの例があるように、『指摘され、名称がついて初めて一般に理解される』ものは多いですが、『乳袋』もその類だと考えます。そして『乳袋』という名称がオタクでない人にも広まっているとは思いません。

==========<儀狄氏のメールここまで>==========

 このメールへの私の返信は、
になります。

by bokukoui | 2019-12-08 18:10 | 時事漫言 | Comments(0)

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