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日赤ポスター問題をめぐる往復書簡(7:儀狄氏発信)

 本記事は、
への、儀狄氏による返信です。この往復書簡の経緯については、まとめ記事をご参照ください。





==========<以下儀狄氏メール>==========

2019-12-03 22:03 発信

【自由】
 自由の大切さについては異存ありません。
 もちろん、それが他の人権と衝突する場合に調整が必要なことも仰る通りです。ただ、調整が必要な時にはちゃんとやるべきであり、自由に拘泥して調整自体に消極的になるのは問題だろうと、そういう趣旨で私も先のメールには書いたつもりです。
 私がポスター論に限らずフェミニズムの反萌え絵論でいちばん分からないのはそこなのですよ。
「宇崎ちゃんや、先行する形で批判されたキズナアイ、鉄道むすめその他も表現の自由はある」
「もちろん、以上に述べたような表現の自由も、“他の人権・利益と対立した場合には”公共の福祉に基づく調整がされることは当然ありえる」
「ただ、以上のような萌え絵が、具体的に何の権利・利益を侵害しているのかが全く分からない。フェミニストから(ツイッターの有象無象だけでなく、小宮友根先生や千田有紀先生や牟田和恵先生からも)具体的に指摘されたためしがない」
 だから調整しようにもそもそも何と調整すれば良いのかが分からないのです。
 なおあらかじめ申し上げておきますが、最初のメールで書いたように『見たくない権利』に関しては明確に「見たくない権利のほうが優先順位は著しく低い」と考える次第です。

【そっちこそどうなんだ】
 前回も申し上げたように、私は『都合の良いキャラクターを消費する』は人間を描いたコンテンツを作る人および楽しむ人全てに当てはまることであると考えます。
 無論、「頭の片隅に入れておけ」というだけならばある程度同意します。(完全には同意できないのですが、その点は明らかに本題から外れるので置いておきます)
 が、萌え絵を批判する人の中には明らかに『萌え絵は都合の良いキャラクターを消費しているから良くない』『萌え絵は女体を表層消費しているから良くない』と萌え絵だけをスナイパーライフルで攻撃しているつもりなのに実際には核砲弾や地球破壊爆弾を持ち出しているような人が数多くいて、そのような批判を言葉通りに受け取ったら、人間を描いたコンテンツがおおよそ破壊されることになり、それは誇張抜きに文化大革命に他ならないと考えます。
 そして、「アメコミは胸を強調していない」として挙げた人や(註:純粋に名前を忘れただけ)、巨乳を奇形だと言った岩渕潤子を代表として、むしろ『文学や古典芸術などの“権威ある”文化の愛好者』の方が実は“都合の良いキャラクターを消費することの意味”に無自覚だと思うところです。

【ポスター問題はフェミの攻撃が発端であるか】
 墨公委さんの言い分は理解はしました。同意はしません。
 つまるところ、『太田啓子という』『弁護士が言った』という文脈をどう評価するかが相違ですのでこれ以上は平行線にしかなりませんね。

【実在の女性表現への影響】
 つまり、『萌え絵では許されていない→実写では当然許されない』および『実写では許される→萌え絵でも当然許される』は対偶関係であり、これらはともに真であると考えます。
 もちろん、逆および裏は必ずしも真ではありません。

【過度に性的】
【乳袋】
 過去のことを持ち出すようですが。
 かつてくま川鉄道と『まいてつ』がコラボした際に墨公委さんは『エロゲしか出ていないから問題。“全年齢も出ている”という、言い訳程度は必要だ』的なことを仰っていたと記憶しています。(以前書いたようにtwitterがロックされていて正確なログが追えませんが)
 そして、(おそらくご存知のように)エロゲから全年齢に移植する際には、性行為・類似行為の描写はある程度削除され、あるいはパンチラなども対策が行われたりします(『何故か絶対に中が見えないスカート』や『謎の光』が活躍する場面です)。余談ですが未成年者の飲酒・喫煙シーンも対策が行われます。一方で、学校内のシーンを含む日常のシーンなどは前述した要素以外はそのままであることが多いです。例に挙げた『君が望む永遠』全年齢版では乳袋制服もそのままですね。
 それでも全年齢が出ていればコラボして構わないと墨公委さんがおっしゃる(なお、鉄道会社は純粋に私企業ではなく、ある程度は公共性を帯びる存在でしょう)程度には、エロゲそのものや由来するシーンであっても、全てが『過剰に性的』ではないと考えます。
 宇崎ちゃん問題での墨公委さんの主張をくま川鉄道コラボ問題に適用するならば『エロゲ由来であったらその時点で過度に性的。たとえ全年齢版が出ていても不可』でなければ辻褄が合わないと考えます。(同時にFateのアルトリアさんであっても不可となると考えます)

【抗議】
 そして私の問題意識は実はここです。
 私も『抗議』そのものは否定しません。(もちろん、あいちトリエンナーレであったような『ガソリンを持って行く』のような暴力を示すようなものは別です。それは脅迫罪や威力業務妨害罪で取り締まれば良いと考えます)。たとえ『私が不快に思ったから』であっても抗議すること自体は構わないと考えます。
 ですが、今の日本はその『抗議が無いように』と過剰に配慮していると考えます。その最たる例が『従業員が勤務中に水を飲んでいるのは不快』という抗議に“配慮”して従業員を苦しめているケースです。
 同様に、私が見るところ『関東大震災の歴史的教訓の報告書が内閣府のサイトから削除』されたり、碑文から朝鮮人虐殺の文言が消えたり(確か例があったと記憶しています)するのは、何も社会に歴史修正主義が広まったからだけではない。『日本人に不都合なことをわざわざ書くな』という『市民からの抗議』を行政が過剰に恐れている結果であると考えます。抗議してくる人が出てきたのは歴史修正主義が広まったことも一因でしょう。ですが、『勤務中に水を飲むな』が従業員の安全に関わるならば職場はその抗議は突っぱねればいいのと同様に関東大震災の歴史的教訓に関する記述が正当な記述であるならば抗議されても突っぱねればいい。ポスターが『見て不快になる』というだけならばやはり突っぱねればいい。本来はそうであるはずです。
 ですが、過剰に数字で評価してしまうことの影響で公立図書館は利用者数で評価されてしまい、『抗議が何件来たか』も評価の対象になってしまうから過度に抗議を避けようとして、クレーマーなどに弱くなっている。それが問題の本質であると考えています。

==========<儀狄氏のメールここまで>==========

 このメールへの私の返信は、
になります。

by bokukoui | 2019-12-08 22:36 | 時事漫言 | Comments(0)

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