たとえコロナのことを抜きにしても昨今は碌でもない時代には相違なく、とりわけ私個人の感じていることでいえば、歴史修正主義の圧力がそこらじゅうで吹き上がっていることがあります。日常生活には関係ないじゃん、と思われる向きもあるかもしれませんが、偽物が大手を振ってまかり通り、政治と癒着して「正統」の地位を簒奪せんとしているような世の中で、果たして自由で自己実現可能な生き方ができるでしょうか。自己に都合のいい妄想に浸りきり、自分が立っている足元をちゃんと見つめることができない者が、どうして未来へつながるような社会を築くことに貢献できるでしょうか。
しかるに本邦では、首相からしてこの妄念に浸りきっており、それに倣ってあちこちで同類が蠢動しているのが現状です。過去を直視できない国に未来はありませんし、実は現在すらなく、ただ妄想で現実を糊塗しているだけなのです。
少し前ですが、ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』を読み、大きな衝撃を受けました。そこに描かれる、「真の生」を見失い、あてがいぶちの「イデオロギー」に浸って日々を糊塗している冷戦下のチェコスロヴァキアの姿は、決して過去の異なる陣営の愚行などではなく、「いまここ」の問題ではないかと思わざるを得ないのです。
ハヴェルはしかし、「真の生」とはどのようなものかを具体的に述べてはいません。それこそ、みずからの力によって見出しつかみ取らなければならないものなのでしょう。とはいえ、歴史修正主義のような欺瞞を打ち破ることは、「真の生」に到る前提条件であることは間違いありません。
ここ最近だけでも、ざっと以下のような歴史修正主義の事例が見いだされます。
今月のこと、明治日本の近代化という世界遺産に登録された――もっともこれも、松下村塾のような関係の薄いものがねじ込まれるなど問題が少なからずあり、山口選出の安倍首相への忖度が噂され、近代日本産業史を専門とする私でも喜ぶ気になれなかったのですが――いわゆる「軍艦島」について、明治の近代化時代よりも後のこととはいえ、朝鮮人労働者を酷使した歴史があり、私の記憶ではそれについて情報を集積して後世に伝えるという付帯条件があったはずなのですが、政府がそれを踏みにじり、どころか元島民すなわち日本人という差別する側の証言によって、被差別の歴史をなかったことにしてしまおうという、恥知らずな暴挙がなされました。
マジョリティ側の「証言」だけでマイノリティへの差別がなかったとしてしまうこと自体が、多数派による暴力に他なりませんが、なにより呆れてしまうひどいことは、「定説を「自虐史観」(政府筋)とみて反論する狙い」なる文言です。「自虐史観」なる、歴史修正主義者のジャーゴンが政府の政策に取り込まれているという、きわめて危険な状況がここにあります。
だいたい、ものごとの光強ければ影もまた濃いのは通例です。それを、影を「自虐」だなんだと難癖をつけてみない振りをし、光だけ言上げするというのが、自分勝手な横暴さの表れでなくて何なのでしょう。さらに、このような行為を食い物にして、政府の金をちょろまかす利権に与る徒輩も現れます。本件については以下のような指摘がありました。
政府がこれなら地方自治体もひどいもので、例えばまもなく都知事選がありますが、再選が確実視されている現職・小池百合子は、関東大震災の際に起こった朝鮮人虐殺事件の追悼集会に、それまで歴代都知事が(石原慎太郎でさえ!)送っていた追悼メッセージを送るのをやめています。 このツイートで引用されている動画では、追悼文を送らないこと、式典のための公園の占有使用許可申請を受理しないことなどの歴史修正主義的行動を追及されている小池百合子が、言い逃れをしているさまが見て取れます。しかし、「票には影響しない」のが実態であり、とにかく朝鮮を差別したい、朝鮮を差別することで自分は「偉大な」日本人なのだと悦に入りたい、そんな唾棄すべき人間が数多いるというのが今の日本なのです。
自分が何もしなくても、自分は「偉大な」日本人だからエラいのだ、と自分勝手な妄念に浸る手合いは絶えませんし、そういった妄念を助長するコンテンツ(当然、歴史修正主義でもある)が、小銭稼ぎを狙った徒輩によって日々垂れ流されています。あまつさえ、そういったコンテンツが教育の場に入り込んでくることまで起こっています。 竹田恒泰といえば、このブログでも過去に取り上げた、
アパホテル主催の懸賞「論文」に入選して知名度を上げた、皇族の成れの果てのデマゴギーですが、そんな歴史修正主義をまき散らしているような人間を「講師」に呼ぶという陸上自衛隊の判断は、きわめてろくでもなく、危険なものであるといわざるを得ません。妄想で「自分は世界で人気がある」と思い込む、そんな得手勝手な屁理屈を、暴力装置の担い手に注入することは、自国にも周辺諸国にも危険なことになり得ます。
しかも陸自が講演させているのは竹田とかいう平民にとどまらず、櫻井よしこや門田隆将といった同類もまた招かれているようで、陸上自衛隊が過去の日本の軍事行動への反省を持っていないのではないか、きわめて危惧されます。 それだけでなく、海上自衛隊も同様だとかいう…
これで航空自衛隊があの田母神なのですから、日本の暴力装置が過去の日本軍の行為に関して全く反省の念を持っておらず、また人権への侵害をやらかすのではないかと疑わざるを得ないような状況です。
そして、歴史への攻撃が言論にとどまらない、フィジカルなものにまで及んでいるという、きわめて憂慮すべき事態も報じられています。
「震える少女」沖縄戦証言に圧力 見知らぬ男性、女性宅押しかけ非難 もちろん振り返ってみれば、従軍慰安婦であるとか、戦時の虐殺事件であるとか、敗戦時の性暴力であるとか、戦争から長年経たないと証言が出てこなかったことがいくらでもあるように、歴史の証言に対する圧力は常に存在していました。ただそれは、同時代を生きた人(集団自決事件の部隊長のような)が自分に都合が悪いから黙らせたいという個人的な都合が強かったといえ、だから関係者が次第に鬼籍に入るにつれて、重い口も開かれていきました。しかしこの件では、おそらくは直接的な利害のないであろう輩がこういった行為に及んでいます。誰かが生きた経験よりも、自分の妄想を優先させようという、ある意味もっと醜く自分勝手な欲望で、つらい経験をされた方の傷に塩を塗るのです。それこそ私はこの記事を読んで、震えるほどの怒りを覚えずにはいられませんでした。
そんなわけで、ネットをちょっと見ていても、たちまち歴史修正主義にぶつかるのが現状です。先日もこんなのにぶちあたりました。

こんな妄言に千もの「いいね」がつくとは、まったく碌でもない世の中です(このツイートの画像は
RAVEN_6@GDZ勢さんが保存されていたものを拝借しました)。
で、さすがに私も腹に据えかねて、鉄道史研究者として(植民地鉄道は実は門外漢ですが)より正確な事実をツイッターで述べておきましたが、また「日本はインドネシアを植民地から解放した! 鉄道も造った!」と叫ぶ馬鹿者が出てきた時に備えて(残念ながら、ゴキブリ並みに湧いてくると思わざるを得ないのが現状です)、ここにそれをまとめておきます。
インドネシアで人口最大の島であるジャワ島の鉄道は、1867年の開業というから日本より早いです。これは当時内陸部になお勢力を残していたマタラム王国への牽制という軍事的色彩の濃いもので、国際標準軌の4フィート8インチ半で建設されました。しかしその後は、経費の問題から日本と同じ3フィート6インチゲージに切り替えて建設され、このゲージでジャワの鉄道は統一されます。そして二大都市のジャカルタとスラバヤを結ぶ路線などが建設されました。
で、この二大都市を結ぶ列車が、時代としては昭和初期なのですが、当時の日本国鉄の「つばめ」なんかよりも速いスピードを出していたという逸話があります。熱帯で豪雨なども多く、夜間の線路の安全を保つことが難しいことから、なんとしても日中にこの都市間を走破しろ!ということで、確か平均時速70キロ台で走っており、70キロに届かなかった「つばめ」を凌いでいたというのです。
太平洋戦争で日本はジャワ島を占領しますが、その段階でジャワ島にはすでにかなり立派な鉄道が存在していたのです。むしろ日本の占領は、日本が軍事的に重要と考えたビルマなどへ資材を転用され、打撃を受けることになります。鉄道整備どころか、破壊しておりますがな。
で、そうやって資材転用をしながら造られた鉄道の一つがスマトラ島の鉄道で、なるほどこれは戦時中に日本が整備したとはいえます(完成した日がまさに玉音放送の日だったという…)。しかしこれは日本のための資源収奪が目的で、その建設に酷使された「ロームシャ」と呼ばれるインドネシア人や連合国の捕虜が大勢亡くなっています。詳しくは江澤誠『「大東亜共栄圏」と幻のスマトラ鉄道』をご参照ください(私は実は積読ですが…)
また、セレベス島でも日本は資源搬出の鉄道を造ろうとしており、なぜか京成電鉄がそのお役目を仰せつかっています。しかし戦時中で資材がないので、京成は系列下の成田鉄道を引っぺがして持って行きました。このため線路を失った成田鉄道はバス会社に転業し、これが今の千葉交通です。
それにしても、日本の歴史修正主義者は、馬鹿の一つ覚えで「日本は植民地でいいこともした! 鉄道敷いた!」というけれど、別にそれは慈善事業ではありません。むしろ、鉄道という膨大な資本の輸出ができる、ということが、本国の産業にとってきわめて大きな意味を持っているのです。それこそ、鉄道建設は植民地支配のうまみというべきなのです。例えばイギリスの鉄道産業(建設や車両製造)にとって、本国に一通り線路ができた後、インドの鉄道建設が極めて大きな儲けの源泉になりました。こういった、帝国主義の先兵としての鉄道建設については、ディヴィス&ウィルバーン『鉄路17万マイルの興亡』をご参照ください。また、蒸気機関車を輸出する話は、最近出版された中村尚史『海を渡る機関車』が大変詳しいです。明治の輸入機関車が好き、という渋いマニアの方も是非ご一読ください。
とまあ、植民地と鉄道とは時代柄もあって深い関係があります。そして植民地獲得の目的は、資源の収奪や製品の市場を求めてのみならず、資本を輸出をする市場でもあるのです。この分野は近年の鉄道史研究でも進展の著しい分野で、最近のものだけ挙げても、林采成さんの『華北交通の日中戦争史』に『鉄道員の身体』、平山勉『満鉄経営史』、あるいは麻田雅文『中東鉄道経営史』と盛りだくさんです。












この他にも、研究書よりは読みやすい一般向けといえる本でも、植民地の交通を取り上げた作品は最近いろいろ出ていて、私の手元にあるだけでも若林宣『帝国日本の交通網』、小牟田哲彦『大日本帝国の海外鉄道』が挙げられます。
それにしても、これだけ研究があれば、鉄道建設が植民地支配を何ら正当化しないどころか逆だということが容易に分かりそうなものですが、そういう連中はまともな本を読まないし、読んでも曲解するのでどうしようもありません。
今後の鉄道史の一つのテーマとして、植民地鉄道そのものの研究がかなり進捗した現状を踏まえて、植民地鉄道の語られ方、つまりは
歴史修正主義者が「鉄道造った!」と植民地支配や侵略を正当化するのは誰が元ネタか、ネタがどう使い回されているかというのは、そのうち総括しないといけないと私は思います。ただ、じゃあその研究を具体的にするとなると、歴史修正主義者が書いた、ろくでもない内容の、同じようなことばかり書いてある本を多数読まなければならないと思うと、手を付ける前からげんなりしてくるのが正直なところです。『憎悪の広告』などを編まれた早川タダノリさんや能川元一さんには、つくづく頭が下がる思いです。
ちなみに、今回の発端となった「インドネシアで日本が鉄道造った」ツイートですが、私の他にも数多くの人が同様の指摘をしたためか、ツイートした人が削除して、無事ネット上で誤った歴史観が広がることは食い止められました。しかしたかがツイート一つを改めさせるだけでもこれだけ大変でなわけで、この世相を思うと、なんともうんざりするばかりです。
※本記事の続編にあたる記事を作成しました。