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宮澤暁『ヤバい選挙』(新潮新書)を読む

 あたかも今日は東京都知事選挙です。そんな日に取り上げるにふさわしい本がつい先月出版されましたので、ここで一筆。

 最初に個人的なことをお断りしておくと、私は某団体の活動を通じて宮澤さんとは以前から交流がありました。そして宮澤さんが選挙マニアであることも存じ上げており、いわゆるインディーズ候補のことなどを調べて同人誌で発表されているのを、何度か読んでおりました。宮澤さんは化学系の技術者で、決して政治学などの専門家ではないのですが、丹念な調査で選挙の面白いエピソードを発掘されることには以前よりたいへん感心しておりました。そして感心したのは私だけではなく、近年はネットメディアに選挙関連の記事を執筆されていましたが、このたび編集者の目に留まってめでたく書籍デビューとなりました。マニアの鑑ですね。




 さて、本書の章立ては以下のようになっています。
はじめに
第1章 死人が立候補した都知事選
第2章 267人もの大量立候補が出た村長選
第3章 選挙前に人口が増える「架空転入」の村
第4章 投票所が全焼、水没、連絡が取れない……
第5章 選挙権が剥奪されていた島
第6章 書類送検、辞職で議員がゼロに
第7章 450万円で立候補を取りやめさせる
第8章 無言の政見放送が流れた参院選
第9章 選挙で荒稼ぎする方法
おわりに
参考文献
 このように、多岐にわたる変わった選挙の話題が取り上げられています。時代としてはすべて戦後の話ですが、第1章のように保革対立が激しかった時代が生んだ選挙のもめごと(さらにこの件の不可思議な結末――ぜひ本書を読んでお確かめください――には戦争の傷痕も感じられます)もあれば、第6章の青森県平川市のように、2014年と近年の事件もあります。さらには第8章の政見放送では2018年とつい最近の事例も……と思ったら、この政見放送の当事者が今回の都知事選でもひと悶着起こしており、早速のアップデート(増刷)が望まれるところです。

宮澤暁『ヤバい選挙』(新潮新書)を読む_f0030574_09220082.jpg 宮澤さんは、いわゆるインディーズ候補、たとえば故・又吉イエスや故・羽柴誠三秀吉、あるいは現存では山口節生といった人々について追っかけておられましたので(宮澤さんのサークル名「にしんを食べると怒らない」は伝説のインディーズ候補・三井理峯の選挙公報に由来しています)、私は最初、「インディーズ候補列伝」のような内容になるのかなと思っていましたが、出た人よりもむしろ選挙のシステムをめぐる話に焦点を当てていて、単なる面白エピソード集ではない、選挙を通じた政治と社会の様相を描いた作品になっています(その点は宮澤さんご自身強調されています)。
 それはそれとして、左は2012年12月に私が偶然、法政大学付近でお会いした又吉イエス氏のお姿です。氏も亡くなられてもう2年ですね。



 現在の日本では、政治に無関心な人が多く、というか、政治で世の中は変わらないという虚無感というか学習性無力感がはびこっている一方で、権力へ安易に自己を一体化させる事大主義も蔓延している、きわめて憂慮すべき状況にある、と総論としてはいえるでしょう。そんな中で、本書が取り上げたさまざまな事例は、政治を生活と直結したものととらえた人びとの、バイタリティ溢れる行動の記録と読むこともできます。
 もちろん、そのバイタリティは地域のボスだの顔役だのによるしがらみと圧力ということでもありますし、選挙の公正さを損なう不正行為の温床でもあるわけですが。しかしまた、そういったバイタリティを旧弊として完全に排除してしまうと、今度は選挙自体が空虚なイベントと化してしまいます。このバイタリティを、バランスよく生かす方法はないものか、そう考えずにはおられません。

 個人的に一番面白く読んだのは、第9章のかつての選挙で横行した、不正行為で金稼ぎをする連中の話です。選挙はがきを横流ししたり、広告代理店からリベート取ったり……さらには、肥後亨というかつて泡沫候補業界に悪名をとどろかせた男の、「背番号候補」作戦など、いろいろな事例が挙げられています。こういった不正は現在では影を潜めてますが、それは制度改革が行われたからで、その一環として供託金が大幅に値上げされたのでした。
 しかし今ではむしろ、世界的に見て高すぎる供託金が選挙へのハードルを上げているのではないかという批判もあります。もともとは意味があった制度ですが、時代背景が変われば考え直されるべきことも当然あるでしょう。こういった、ついつい所与のものと思いがちな現在の選挙制度を、相対化する視角を提供してくれるのも、本書の魅力の一つです。

 かつての選挙での騒動の少なくない部分は、本書の第1章の事例のように、激しい保革対立が背景となっていました。そこでほとんどの場合、保守側が革新側の選挙を妨害するために、右翼ゴロや暴力団を使い、そういった連中が出馬して革新候補の街宣を荒らしたりしました。面白いといっては語弊があるのですが、選挙妨害の方法には対立候補と名前の似た人を立候補させて、有権者の誤認を誘うという、卑怯というかみみっちい方法もありました。逆に革新側が仕掛けて問題になった例はあまりないよう(本書にはない)ですが、それだけ保守側の方が生活と政治の結びつきが密接だったとは言えるかもしれません。
 ちなみにネット時代の今でも、ネット上で政治ネタで誹謗中傷を繰り返し、時にはデマを流してまでも対立派を貶めるのは、保守側が仕掛ける方がずっと多いでしょうね。それは電通とかの関与も囁かれていて、かつてのヤクザのシノギを広告屋が分捕ったという身も蓋もないことかもしれませんが、単純に保守側の方が政治資金があるというだけかもしれません。ただ、かつてのそれと違うのは、一文ももらってないのに政権のために無理くりな擁護をする人がまま見られるということで、このような違いは何なのかと考えさせられます。

 余談ですが、私は個人的に、珍しく左翼側が選挙でこの手の作戦をやった例を実見しています。といっても国政選挙でも地方選挙でもなく、東大駒場の自治会選挙ですが。私が学生だった、ざっと20年ぐらい前の話です。
 当時の駒場の自治会は、共産党系の団体である民青が掌握していましたが、選挙での勝利を確実にするため、民青のある人――K氏と呼びますが――が面白団体をたくさんこしらえて、それを選挙に出させることで、浮動票の分散を狙うという作戦を実行していました。浮動票が分散すれば、組織票を握っている民青が有利になるというわけです。
 しかしその面白団体が、K氏の趣味なのでしょうが、実に面白いものが多く、思わず投票したくなってしまうほどだったのです。その代表が、クリスマス・バレンタイン・ホワイトデーは資本の陰謀であり、モテない人を疎外している! と主張する反白色テロル大連帯でした。そう、当ブログが長年にわたって活動をレポートし、現在も活動を続けている、革命的非モテ同盟の元ネタですね。
 また、東大は有名校出身者が多数いるため、無名校出身者は不利益をこうむっていると訴える無名校出身者連絡会議なんてのもありました。ある時の自治会か何かの集まりで、同会議の代表として現れたK氏に、私はこう話しかけました。
「私は有名校の出身なのですが、無名校出身者連絡会議に入れますか?」
K氏は間髪入れずこう答えました。
「自己批判すれば入れます」
 21世紀になろうとしている時期にもなって、「自己批判」という言葉がすらりと出るK氏に私は深い感銘を受けましたが、その後聞くところでは、共産党関係者が新左翼のパロディをやるということに文句があったらしく、K氏は共産党を離れたという噂でした――だから共産党は選挙で勝てないんですかね。

 話が逸れました。『ヤバい選挙』に戻りましょう。
 で、先述の「対立候補と名前の似た人を立候補させる」という話で、今回の都知事選で一時話題になっていた、小池百合子の同姓同名候補を立てるとか、ホリエモンこと堀江貴文の同姓同名を立てるとかいう件を思い出される方もいるでしょう。
 そう、選挙を自分の商売にしている輩、「NHKから国民を守る党」の立花某どもです。肥後亨から幾星霜、新たな選挙を私利私欲でかき乱す連中が、政治への無関心や無力感を背景にのさばっています。この連中は真面目な公約などなく(真面目な受信料制度改革を唱えているわけではない)、政見放送では「カーセックス」などと連呼し、今回は都知事選なのに候補者を三人もたててポスターを並べて悪目立ちを図り、候補者でもない堀江の名を大書しているという、やりたい放題です。都知事選と同時の都議補選では、「アベノマスク」をブラジャー代わりにした半裸の女性の写真を載せ、場所と文脈をわきまえない性的表象の濫用として顰蹙を買いました。
 この連中は、正面から批判すれば相手にする価値があるように勘違いの印象をあたえかねず、といって無視すればつけあがるという、まったくもって始末に負えない、社会の害虫のような輩です。しかしそういった問題ある連中も、先例があったと本書からは知ることができます。
 かつての肥後亨のような連中は、制度改革によって姿を消しました。であれば今回の徒輩に対しても、新たな制度改革で立ち向かうべきでしょう。本書には選挙を通じて切実に自己の意見を表明しようとした人びとのエピソードも多数収録されています。そういった、選挙の重要な意味を改めて認識し、かかる不逞の徒輩を追放するためにも、本書は指針として役立つと期待したいです。第9章の末尾で、宮澤さんはこのような泡沫候補を厳しく批判されています。

 本書のあとがきで宮澤さんは、執筆意図を、政治を身近に感じてほしい、そして民主国家の国民として政治に積極的にかかわるようになってほしい、と真摯に述べておられます。読者が先人たちの選挙にかけたエネルギー(時にはそれが明後日の方向に向いたとしても)を本書から読み取れば、そういった意義は果たされるでしょう。本書は面白エピソード集としても十分価値がありますが、それにとどまらない一冊といえます。
 なお、巻末には参考資料が明示されており、著者の誠実な仕事ぶりをうかがうことができます。

 最後に個人的な要望を記せば、本書は戦後の話ばかりなので、戦前篇も是非書いてほしいですね。ある種皮肉ですが、国民の政治参加が厳しく制約されていた戦前の方が、選挙に関する壮烈な話は多く聞きます。そこから現代を逆照射することは、きっと可能だと思うのです。

 以上、本書が版を重ね、私が上京して宮澤さんにお会いできた折におごってもらえることを期待して(笑)、締めくくりとします。



by bokukoui | 2020-07-05 23:42 | 書物 | Comments(5)

Commented by at 2020-07-10 19:16 x
墨東公安委員会様は、「立花某ども」のことを「社会の害虫」と形容していらっしゃいますが、ゴキブリ、ダニ、イナゴに代表される「害虫」を殺処分することがある種「是」とされるように、「立花某ども」を身体的に害する、殺処分することもまた是と考えられているのでしょうか?
誤解のないように申し上げますが、私は墨東公安委員会様がこの質問に対して首肯されたとしても、その意見を尊重し、批判は致しません。
あくまで、「害虫」という言葉の意味をよく噛みしめて答えていらっしゃるかどうかの確認です。
Commented by bokukoui at 2020-07-11 10:59
コメントありがとうございます。

さて、ご指摘の点は、私が全く考えもしていなかったことなので、率直なところ当惑しております。常識的に、たとえどんな碌でもない輩でも、基本的人権は擁護されなければならず、身体的に害するなど論外です。
私は歴史修正主義を断固糾弾する立場ですが、といってそれを法的に強制することは、表現の自由に反すると考えております。まして生命の尊重においてをや。

「害虫のような」と本文で書きましたように、ただの比喩表現で、それを「駆除すべき対象」とまで読み込むとは、私は想定しておりません。
Commented by at 2020-07-11 11:46 x
返信ありがとうございます。
墨東公安委員会様のお考えは尊重いたします。
しかし、人間として基本的人権を尊重している相手にたとえ例えでも「害虫」という人間扱いしていない言葉を投げ掛けるものかという疑問は残ります。
また、法的規制には反対と仰っていますが、そうこういっているうちにも奴ら(その他のレイシストも含みます)はヘイトスピーチをし続けますよね。釈迦に説法で恐縮ですが、ヘイトスピーチというのは被害者がいます。その被害者に我慢を強いるというのでしょうか?
Commented by bokukoui at 2020-07-13 17:29
ご疑問は承りますが、私はそれでもそう呼びたいほどの怒りを持っているということです。

私は、歴史修正主義について法的規制は反対ですが(表現の自由と学問の自由を侵す)、ヘイトスピーチについては形式要件から限定が可能であり、場合によっては法規制もすべきではないかと考えています。やらずに済めばそれに越したことはないですが。
ただ、現今の政治的状況からすれば、それは「日本人へのヘイトを禁ずる」という捻じ曲げた解釈を招き、かえってマイノリティを抑圧する手段になりかねない危険が大きく、諸手を挙げて法規制をすべきとは言えません。

正直なところ、手づまりな状況にあることは認めざるを得ませんが、せめてそういった言論を恣にする輩を、厳しく批判することで応急的な対策とする程度しか、考えつきません。
Commented by at 2020-07-13 19:01 x
返信ありがとうございます。
「それでもそう呼びたいほどの怒りを持っている」というのは、オウム真理教教祖の「ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これ(殺人)は立派なポアです」という言葉を想起させますね。

また、墨東公安委員会様は、「厳しく批判を続けること」によって何年後にヘイトスピーチは根絶できるとお考えですか?
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